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【ショートストーリー】さよならは自分から【1600字】

こつん、と信也の左肩に頭を寄せた。
何度も嗅いだ柔軟剤の匂い。見上げると、出会った時よりも緩やかになった頬のラインが目に入る。その柔らかな曲線を人差し指の腹でそっとなぞる。

「…何?」


怪訝そうな声が降ってきた。信也は自身の体型の変化を誰よりも気にしている。私は別にそれを指摘したかったわけじゃないけれど、彼はそう捉えたのかもしれない。

「別にぃ」


私の呑気な声に、何だよそれ、と呆れながら、信也は私の体重がかかった頭を押し返そうとする。

「もう最後だからさ、堪能しようと思って」
「は?最後?」

信也の体に触れていた部分を、今度は私から離す。もう信也の体温に触れることはないのだ。そう思うと寂しさのような、もう一口、と要求したくなるような惜しい気持ちがゆるゆると自分の中に渦巻く。何度も考えて出した結論なのに、結局のところ、本人を目の前にすると私は途端に弱くなる。

「何だよ最後って、縁起でもない」
「最後だよ」
「‥はあ??」
「今までありがとね」

最後だからと、信也の顔を真正面から見つめる。短く切りそろえられた髪、太くぎゅっとつり上がった眉。それに反して常に眠たそうに見える、重たい瞼ととび色の瞳。くっきりとした鼻筋も、柔らかな頬も、少し厚い唇も好きだった。

だった、と思える自分にほっとする。大丈夫、と言い聞かせながら私は言葉を紡ぐ。

「え、ちょっと、本当にわかんねーんだけど」
「しょうがないよ、信也は悪くないもん」
「だったら何で…」
「長すぎたんだよ、4年って」
益々混乱したような表情を浮かべる信也に申し訳なさを感じる。けれど、しょうがないのだ。これは私が何度も考えて出した結論で、今さら彼が何を言おうが、それは変わることがない。決定事項を覆すことはできない。

大人になるにつれて、ずっと続いてほしい時間や関係性がこの世には沢山あることを知った。そして、そういう物ほど、どこかで区切りをつけなければ前に進めないということも。

「彩、待って。俺、何かした?間違った?」

私を引き留めるように、ぎゅう、と信也が両腕で思い切り私を抱きしめる。私もそれに応えるように、その背中に手を回す。体の厚み。彼から発せられる、じんわりと滲み出る体温。
二人でいるときの、甘えたような声を聴くのも、これで最後なのだ。

「信也、大好き」

私の腕の中にいる信也が、何かを言いかける。その言葉を遮るように、彼の背中にあるスイッチをオフにした。

「だからさ、体型が崩れてきた恋愛ロボなんて危ないって、何度も言ったでしょ」

電話越しの妹がぶーぶー文句を言う声が聞こえてくる。保証期間が過ぎた恋愛ロボは廃棄料も高い。それに、いつ起動停止してもおかしくなかった。人間でいうところの心筋梗塞を起こしての急死、というような別れだってありえた。

それだけは避けたかった。

「ていうか、スリープ中に活動停止スイッチ押せば良かったじゃん。そんなに辛いなら」
「…スリープ中は体温感じられないんだもん」
恋愛ロボはスリープ中に充電を行う。そのお陰で日中の活動時間は、私たち人間と変わらない体温や、心音を感じさせるプログラミングが正常に動く。
「最後に味わいたかったの、全部」
信也の体型が変わりだし、廃棄の時が近づくようになってから、彼に着せる服を洗濯する時には自分と同じ柔軟剤を使うようにした。そうすれば、その匂いをかげば、彼との思い出が自然と思い出せる。

「欲張りだねえ、お姉ちゃん」
生身の人間だったら上手くいけば60年ぐらい一緒にいれるんだから、ずうっと味わえるよ。そうからかうような声をあげる妹には分からないだろう。
私が恋愛ロボとしか関係を結べないのは、長い年月をかけて関係を築いた生身の人間との離別に、到底耐えきれないのが分かっているからだ。だから2~5年かけて、相手を変え、プログラミングを変え、私の隣にいてくれる「彼」を選ぶ。

「次、どんなモデルにするの?」
「うーん…」
妹の問いかけに頭を巡らしながら、私は信也の体温を反芻し続けていた。自分が傷つかないために、殺人のような別れを常に選ぶ自身の罪悪感を覆い隠すように、彼との思い出を自分の中に深く沈めていくのだった。

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