【5分でほっこり】OL二人組が会社で小さいおじいさんに出会った【小説】

「印刷室に小さいおじいちゃんがいるの、知ってる?」

 昼休みが始まってから15分ほど過ぎた頃。朝お弁当を作る時間を睡眠に充ててしまった私は、最寄り駅のコンビニで買ったサンドイッチをちょうど食べ終わろうとしていた。

最後の一口、トマトの甘さを舌で味わうために開いた口は、何も咀嚼することなく、呆けたように固まった。

 隣のデスクに座る、先輩の藤ヶ谷さんが急に声を潜めながらとんでもないことを言い出したからだ。

「…え、っと」

 普段ならば、えー何ですかそれ~?と冗談めかして答えていただろう。それができなかったのは、藤ヶ谷さんの顔が真剣そのものだったからだ。

まるで、宝くじに当たったことを初めて人に打ち明けるような、そんな絶対的な秘密を醸し出す匂いのする声のトーンも、私を戸惑わせるには充分だった。

「ごめんなさいね、急にこんなこと言って」

そう言って詫びる藤ヶ谷さんの声は先ほどと変わらず、極限まで潜めた、聞こえるか聞こえないか程度の音量だった。こんなに小さな声なら、もしかしたら聴き間違えたのかもしれない。

印刷室。小さい。おじいちゃん。

どれかの単語をきっと、私が聞き間違ったのだ。

「あのね、5㎝ぐらいのね…ハットをかぶった、小さなおじいちゃんが、印刷室に家を構えているの」

「…家を?」

聞き間違いではなかったと思うと同時に、どういう状況なのかがちっとも描けない。この会社に入って8年。

高速プリンタが2台鎮座していて、古い資料がキャビネットに所狭しと並んだ印刷室は何度も利用したことがある。

どこに何が置いてあるか、大体頭に思い浮かべることができるはずなのに、小さいおじいちゃんが構えている家、というのを私は見たことがない。

「沖田さんは…見たことないわよね」
「ないですね、今のところは」

私の言葉に見るからにしょんぼりとする藤ヶ谷さんは、さしずめお預けをくらった小型犬のような健気な可愛らしさがあった。

綺麗にアイロンがかかった事務服と、今流行りの後れ毛なんて一本も見られないほど、かっちりと一つでまとめられた髪。

信頼できる人、というのはまず身だしなみからそれが手に取るようにわかるのだと、私は藤ヶ谷さんに出会って学んだ。

残業が続く時期は必ずメイクの手を抜いてしまうようなズボラな私とは対照的な藤ヶ谷さんは先輩として大変頼もしく、この人のお陰で何度助けられたことか分からない。

そんな先輩がこんなに真面目に打ち明けてくれた話を、誰が無下にできるだろうか?できるわけがない。

それがたとえ、どんなに荒唐無稽な話であったとしても。

「そうよね。きっと私、疲れているんだわ」
「いや、その、私は『見たことがない』だけであって、それが『いない』ことの証明にはならないので…」

私がそういうと、藤ヶ谷さんは少し微笑んでくれた。

「ありがとう。優しいわね、沖田さんは」
「ちなみに、そのおじいちゃんとはいつ遭遇したんですか?」
「最近よ。えーっと…この前のB社との打ち合わせの後だから…水曜日ね、3時頃だったかな」

最近か。数か月前までは終電で帰ることも日常茶飯事だったけれど、今は殆ど定時で帰ることができている。それなら、疲れやストレスによる幻覚…ではなさそうだ。

「向こうの…おじいちゃんのリアクションは?」
「わっ!って感じで、目を丸くしてたわ。そして、慌てて走ってどこかに行ってしまったの」

驚かせてしまって申し訳なかった、と藤ヶ谷さんは続ける。

「私もあまりにもびっくりして固まってしまって…けれど、少し経ってから、おじいさんが逃げた先、一番奥のキャビネットを覗いてみたの。そしたら…家があって」
「家、が」
「そう。ちゃんとした家…なんていうのかな、物干し竿に服のようなものも吊るしてあったわ。藁ぶき屋根みたいな家で、干し柿みたいなものも見えたような…」

うちのオフィスの印刷室に、そんな生活感のある小さいおじいちゃんの住まいがある。

さっきまで完全に半信半疑だったのに、俄然興味が出てきてしまった。どうしてそんなわくわくすることに今まで出会えなかったんだろう。

私の身長が平均女性よりも低いから、きっとキャビネットの上が見えなかったのだ。

「見に行きたいです、私。会ってみたいです、おじいちゃんに」
「そうよね、そう思うわよね。けどね…もし沖田さんが、ある日巨人に家を覗かれてたら、どう思う?」

暫し想像する。私が住んでいるのは築20年のくたびれた賃貸アパートだ。

朝眠気と戦いながら、どうにかこうにか仕事へのやる気を引っ張り出すために、朝日を浴びようとカーテンを開けた時。巨人がこちらを覗いていたら…

「ぞっとします、というか…もう、大パニックです。心臓発作起しちゃうかも」
「そうでしょう。だから、迂闊には見に行けないのよ…」
「確かに…」

私たちは静かに沈黙した。
執務室に置いてある、昼休みだけ自由に見られるテレビから聞こえる、帯番組のバラエティのゲストの馬鹿笑いが私の耳を通り過ぎる。

ふぐぅ、というベテラン社員の加藤さんのいびきも、いつもなら面白くてクスクス笑ってしまうのに、今はそれどころではない。

「そしてね沖田さん。もう一つ大きな問題があるの」
「なんでしょう」
「印刷室、もう少ししたら整理作業に入るのよ」
「えっ、そうなんですか」
「そう。あそこにある書類、保存期間を過ぎているものも沢山あるから、日程を決めて各課で一斉に整理するみたい。捨てるキャビネットも出てくると思うわ。そうしたら、おじいさん、住まいまで追われてしまうと思って…」

沖田さんが切なげに目を伏せる。綺麗に塗られたマスカラに、思わず惚れ惚れとした。最近少し元気がないように見えたのは、このことに胸を痛めていたからだろうか。

いつもはランチの後にどこからともなく甘いものを取り出して、美味しそうに頬張っているのに、ここ数日はそれも見なかったことに、今更ながら気がついた。

私は必死に頭を捻る。ゆとりだなんだと言われて育った典型的なマニュアル人間でも、何かしら沖田さんの悲しみを和らげる、良いアイディアが浮かぶことを信じて。

「そしたら、まず私たちが考えないといけないことは…」

さっきの電話対応のメモの端っこに、フリクションのボールペンでちょこちょこと走り書きをする。

①     おじいちゃんを怯えさせないようにしてコミュニケーションを取る
②     印刷室が引っ越し作業に入ることを伝える

「そうね、怖がらせないように伝えたいわ。そしておじいさんも私たちよりも早く引っ越し作業ができて、新天地でご活躍できることを祈るしかないわね」

おじいちゃんの新天地、という言葉に少し気を取られそうになる。けれど、私は更に頭を働かせた。時は一刻を争うのだ。何といっても、昼休みが終わるまで後15分しかない。

「そしたら、お手紙を書くというのはどうでしょうか」
「お手紙?」
「そうです。私たちが現れたらびっくりさせてしまうけれど、伝えたいことがある…これはもう、手紙以外の選択肢はないと思います」
「良いアイディアだわ、流石ね。沖田さん」

藤ヶ谷さんに久々に褒められて、私は嬉しくなってしまう。仕事に全く関係ない点というのが少々気になるけれど。

「問題は日本語が読めるのか、というところですが…でも住まいを聞く限り日本人のような暮らしをしていますね」
「そうそう。それに、日本のオフィスに住んでいたのだから、大丈夫じゃないかしら?念のため英語でも書きましょう」
「私、大学の時第二外国語でスペイン語選択していました。それも書いておきますね」
「そしたら私、韓国語とロシア語と…スワヒリ語でも書いておくわ」

藤ヶ谷さんはどこまでもチャーミングで才色兼備な完璧な先輩だと、私はこの時再認識したのだった。

それからなるべくおじいちゃんのことを考えないようにして午後の執務を終え、業務終了後のチャイムが聞こえたと同時に私はメモを取り出した。

小さいおじいちゃんの負担にならないよう、最小限のサイズの髪に端的にメッセージをつづる。

『こんにちは。もうすぐこの棚は運びだされてしまいます。お早目に新しいお家を探してください』

大学の時に学んだはずのスペイン語はすっかり私の頭から逃げ出してしまっていたので、パソコンの検索サイトで調べた言葉を書き連ねた。

隣の藤ヶ谷さんを見ると、私のメモが恥ずかしくなるくらいの端正な文字を等間隔にしたためている。

「よし、これでオッケーですね」
「沖田さん、場所教えるから持っていってみる?」
「いえ、これは藤ヶ谷さんが持って行って置いてきた方がいいと思います」

あら、と藤ヶ谷さんは少し意外そうな表情を見せた。

「折角のチャンスなのに…いいの?」
「この会社の誰も今までおじいちゃんに遭遇しなかったのに、藤ヶ谷さんとは遭遇できた。しかもおじいちゃんの生活がかかったこのタイミングで。これはもう運命ですよ。藤ヶ谷さんにしかこの役目は果たせません」

私がそう断言してメモを渡す。藤ヶ谷さんは少し照れたような仕草を見せたけれど、素直にそれを受け取ってくれた。

やっぱり、口では私のためにああ言っていたけれど、直接渡しに行きたかったのだ。

オフィスの窓から差し込む夕日を浴びながら、私は何とも誇らしい気持ちになった。

これで今までこの人から受けた恩を少し返せたんじゃないかという尊大な気持ちさえ芽生えてくる。

それを慌てて打ち消して、心の中にある「謙虚さ」と書かれた袋の中に投げ込んでおく。

「そしたら、持って行ってみるわ」

緊張気味に執務室を後にする藤ヶ谷さんを見送る。何となく浮かれていた気持ちのやり場が無くなって、はあ、というため息のような、安堵の塊のような息を吐き出した時だった。

「お疲れ様。沖田さん、残業するのかな?」

机の上をすっかり綺麗にした加藤さんが、帰り支度をしながら私に声をかけてくれた。

「いえ、もうすぐ帰ります。あ、そういえば印刷室の整理があるなら、うちの課の書類もあらかじめ片付けないといけないですよね。いつがいいでしょうか?」
「ああ、印刷室の整理ね。それ、1年後に延期になったそうだよ」

「…えっ」


「1年後にこのビルの大規模改修が入るらしくてねぇ…その時でいいんじゃないかっていう話になったらしいんだ。まあ、どこも忙しいしね」

じゃあ僕はお先に帰るよ、という加藤さんの執務室の扉を閉める音で我に返る。

私は、入社8年目で一番必死に、印刷室まで走ったのだった。

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