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【批評】『天皇皇族實錄』ジャパンナレッジ版

はじめに

 令和4年9月、『天皇皇族實錄』電子版の一部公開が始まりました。令和6年夏には、全巻が公開される予定です(有料)。
 『天皇皇族實錄』・『四親王家實錄』は、皇室についての史料集です。初代神武天皇から第121代孝明天皇迄の歴代天皇(北朝の天皇5代を含む)及び皇族方に関する文献史料類が掲載されています。
 昭和11年に宮内省図書寮により編纂された『天皇皇族實錄』は、計3050名の歴代天皇及び皇族方が収録されています。 一方、『四親王家實錄』は宮内庁書陵部が昭和59年に編纂したもので、四親王家 (伏見宮家・ 桂宮家・有栖川宮家・閑院宮家) の皇族方が収録されています。

編纂の経緯

 歴代天皇の生涯を取り上げた史料集を編纂する構想が最初に持ち上がったのは、明治41年のことでした。大正4年、当時宮内大臣であった波多野敬直は、故人及び元皇族に関する史料集の編纂に着手することを決定しました。翌大正5年には編纂方針が策定されたものの、編纂体制も十分でなかったらしいこと等の事情により、以後4年間に編修を完了したのは僅か4名分に留まるという大変厳しいものでした。そこで、大正8年、当時の事業責任者であった森鷗外が計画を見直し、8年計画での編纂が開始されたのです。しかし、膨大な量の史料収集と人員不足により、計画には大幅な遅れが生じました。
 大正15年、第123代大正天皇が崩御し、第124代昭和天皇が皇位を継承された為、計画は更に遅れが生じましたが、昭和11年、遂に『天皇皇室實錄』は完成しました。そして、校正を経て、全巻の印刷が完了したのは昭和19年のことでした。但し、『天皇皇室實錄』に四親王家出身の皇族に関する記録を含めると、系譜関係の記述が極めて複雑なものになってしまうことは明らかでした。これは、前近代の皇室では、皇族同士の養子縁組が禁じられた近代制度下とは異なり、天皇と宮家出身皇族との間での養子縁組がごく一般的であった為です。
 こうして、昭和19年、『四親王家實錄』の編纂が開始されましたが、翌昭和20年、日本は大東亜戦争に敗れ、昭和22年には宮内省が解体された為、計画は頓挫しました。
 それから約20年後の昭和40年、宮内省の後身である宮内庁が『四親王家實錄』の編纂再開を発表しました。この間、『明治天皇紀』の編纂も並行して進められた為、当初の予定より遅れが生じたものの、昭和59年、遂に『四親王家實錄』は完成しました。
 尚、『天皇皇族實錄』の影印版は、平成12年以降、ゆまに書房より刊行されています。

特徴

 『天皇皇族實錄』の原本1293冊と『四親王家實錄』の原本294冊は、いずれも皇居内の宮内庁宮内公文書館に所蔵されており、所定の手続きを行えば誰でも閲覧することが出来ます。 前者は宮内庁書陵部目録・画像公開システム上でオンライン閲覧が可能です。
 本文は、年月日毎に出来事の網文が記され、次いでその裏付けとなる史料の抜粋が掲載される構成となっており、年代順の史料検索が容易です。更なる検討が必要な史料には注釈が加えられていることから、学術的な信頼性が担保されています。また、各巻には宮内庁の公式見解に基づく系譜が付されています。掲載史料には、公家ら関係者による日記、書簡、メモ、関係社寺の記録等の一次史料の他、歴史書、伝記、研究書等の編纂物、和歌集、歴史物語等の文学作品等も含まれます。これら史料の原本の所蔵先は、東山御文庫、宮内庁書陵部、国立公文書館内閣文庫、陽明文庫東京大学史料編纂所、神社仏閣、個人蔵(旧皇族・旧華族他)等です。これらの大半は未翻刻・未刊行であり、一般に公開されていないものも少なくありません。
 電子版の特長は、キーワード検索が可能になった点です。本文中のリンクをクリックすることで、特定の人物名、地名、行事名等を一括検索することが出来ます。約1300冊の中から目的の情報を瞬時に抽出可能なこの機能は、紙媒体は言うまでもなく、宮内庁によるデジタルアーカイブ版でも実現していなかった画期的なものです。令和5年現在、電子版は神武天皇から第105代後奈良天皇までの巻のみが公開済ですが、令和6年には『四親王家實錄』を除く全巻が利用可能となる予定であり、古代史・中世史の研究者のみならず、近世史・近現代史研究者による活用も期待されます。
 画質も良好です。コピー&ペーストも可能ですが、ブラウザの環境によっては正字体・異体字が文字化けすることがあるので注意が必要です。
 この電子版は、日本研究全般、殊に、歴史学・政治学・法学・宗教学・人類学・系譜学・文学・美術史・考古学・有職故実・宮廷文化等の研究者にとって、非常に有用な史料集であるといえるでしょう。

留意点

 前述の通り、『天皇皇族實錄』は非常に有益な史料集ですが、注意が必要な点も幾つかあります。第一に、これらはあくまで編纂物であり、一次史料ではありません。当時の最高の歴史学者らによって入念に校正されているとはいえ、完璧なものではありません。重要な史料が見落とされ、収録されていない可能性も考えられます。或いは、くずし字の誤読・誤植が含まれるかも知れません。第二に、引用史料は全文ではなく、該当箇所の抜粋に過ぎません。これは大変便利な反面、史料の誤読を招く危険性もあります。史料全体の性質や文章の前後の文脈により、ニュアンスが大きく変わることがある為です。場合によっては、原典にあたることが必要となるでしょう。
 引用史料は膨大な点数にのぼりますが、それらは史料名のみが記載されており、詳細な解説は特にありません。とはいえ、それぞれの史料にはそれぞれの特色や性質があり、それらが残された背景にもそれぞれ異なる目的や立場が存在した筈です。また、極端に後世の文献や創作物、和歌等の文学作品等も掲載されていますが、これらは、研究分野によっては引用史料としては不適切な場合もあります。従って、各資料が、いつ、誰によって (著者の立ち位置も含め)、どの様な目的で残されたのかを把握した上で内容を吟味することが重要となります。
 そして、電子版の最大の欠点は、『四親王家實錄』が含まれていないことであると考えます。皇室の系譜について考える際、四親王家の存在を無視することは有り得ません。実際、第102代後花園天皇は伏見宮家の、第111代後西天皇は有栖川宮家の、第119代光格天皇は閑院宮家のそれぞれ出身です。また、四親王家の歴代当主の大半は、天皇または上皇の養子となる慣習であったのみならず、少なくない人数の天皇の皇子が四親王家を養嗣子として相続しています。『四親王家實錄』は、『天皇皇族實錄』で欠いている部分を補完する唯一の史料集であり、『四親王家實錄』の存在により『天皇皇族實錄』は真の意味で完成するといえます。現時点では予定はないとのことですが、更なる学術研究の発展の為にも、『四親王家實錄』電子版の将来的な公開が強く望まれます。

 総じてこの様な点には留意が必要ですが、『天皇皇族實錄』電子版は非常に有益であり、皇室の歴史を知る上で大変優れた史料集であるといえるでしょう。

※本稿の内、『天皇皇族實錄』及び『四親王家實錄』編纂過程についての概説は、所功「『天皇・皇族実録』の成立過程」(『産大法学』第40巻第1号、京都産業大学法学会、平成18年、32-67頁所収)に大きく依拠したものです。

参考文献

Tsuji, Hirohito, 'Japan Knowledge: Tennō Kōzoku Jitsuroku, Records of the Emperor and the Imperial Family”,' "The Digital Orientalist" (2023). URL: https://digitalorientalist.com/2023/12/26/japan-knowledge-tenno-kozoku-jitsuroku-records-of-the-emperor-and-the-imperial-family/

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