博士、餃子、愛。
博士、というあだ名の恋人がいる。博士は理系の研究者で、たぶんちょっと変わっている。
怖いものは採血と大学の先生で、電話越しのわたしの声を立体音響で聴こうと日々努力している。わたしの怒るポイントや悲しむポイントを知るたびに、「傾向と対策ができてきました」とか、「これはケアレスミスだなあ」という言い回しをする。わたしを何かしらの試験だと思ってるのか?と時々憤慨するが、そんなところも愛おしい。
そんな博士とわたしは遠距離恋愛。海外を拠点に研究する博士は忙しく、なかなか会えていない。それでも電話をしながら話す未来の話。「ぼくは一週間先のことしか考えられないんだけど…」と言っていた博士の口から自然に未来の話が出ると、なんだか彼の人生にお邪魔させてもらえたようで嬉しくなる。
遠距離恋愛中のルールは、毎日食べたものをお互い送り合うこと。「また牛丼ばっかり食べてる!」と怒ると、次の日からはハンバーガーばかり食べる博士。やれやれ、と思いつつ、彼に作ってあげたいものが積み上がる日々。いつか一緒に住んだらこんな夕飯を、こんな朝ごはんを、こんなお弁当を。
ご飯を作ってあげたい、と思うたびに、料理研究家・土井善晴さんの「料理することは愛すること、料理を食べることですでに愛されている」という言葉を思い出す。
*
博士はよく、自分は素敵な人に囲まれている、と言う。「ぼくに嫉妬しても無駄だよ、これは才能だからね」とイタズラっぽく笑う彼は、ほんとうに愛されて育ってきたのだろう。笑ってしまうほどに純粋で、まっすぐな光のようなひと。
一方わたしは、泥をかき分けて進んできたような人生だった。うつで闘病中、10年以上この病に悩まされている。お世辞にもまっすぐ育ったとは言えない環境で、ただひたすらに自分を傷つけてきた。そんな毎日に突然現れた、博士という光はまぶしすぎて、時々目がくらむ。
博士のおうちはとても仲が良く、毎日家族全員でご飯を囲む。我が家にはないその習慣に、羨ましさとすこしの嫉妬。博士が語る"我が家"は美しく、いつも愛に溢れている。
そんな博士のお母さんは、料理上手らしい。「ぼくの家に来ることがあったら、母にはとりあえず餃子を褒めておけばいいよ」と笑う博士。お母さんが聞いたら怒りそうな言い草だ。
博士家では、餃子はどうやら一大行事らしい。
よく話を聞けば、「餃子をする時はね、家族みんなで包むんだ」という。それにタネはお母さんの秘伝のレシピ、博士いわく一子相伝らしい。弟子入りせねば!などと妄想を膨らます。
「作った餃子の餡と、皮の枚数がちょうどぴったりだと、母はほんとうに嬉しそうなんだ」と語る博士の言葉。わたしは、穏やかな春の日のような彼を愛している、と改めて思う。
それでいて、わたしは嫉妬で気が狂いそうになる。わたしにはそんな思い出ないのに、わたしには、わたしには。そんなことを考えて堕ちてしまいそうになる自分を、理性で必死に止める。
*
餃子を家族で包む、というものに昔から憧れていた。一人暮らしを始めてからは、無い思い出を埋めるように何度も何度も、友人たちと餃子パーティーをした。「ほんとうに餃子が好きだねえ」と笑う友人たちは、わたしの切なさに気づかないフリをしてくれていた。
すぐにパーティーをしたがりのわたし、寂しがりやのわたし。心のパズル、愛のピースが永遠にはまらない。それでも何度だって包んだ、愛と悲しみをぐちゃぐちゃに混ぜた餡を。
「餃子実行委員会を開催します!」なんてふざけて、実行委員長、副委員長、会計、なんたらかんたら…と肩書きまでつける始末。やさしい友人たちはノリノリで委員会に参加してくれていたから、わたしは寂しい思いをあまりせずに済んだ。
それでも、やっぱりピースは欠けたままだった。
*
「…もしもし、もしもし?」
ハッと気がつくと、博士の声が電話越しに聞こえる。餃子の話を聞きながら、どうやらうとうとしていたらしい。過去の記憶を思い出しながら、悲しみにふけってしまった自分を恥じる。嫉妬なんてしたって無駄だよ、と笑っていた博士を思い出して、すこしだけ胸がぎゅっとなる。
博士はいいなあ、と口からこぼれそうになる。そんな自分が嫌いだ。
「あのね、」
電話越しに聞こえる陽だまりのような声、今は聞きたくないとつい耳を塞ぎそうになる。
「いつか、一緒に包もうね」
すこし震えながら、なにを?とようやく絞り出す。
「餃子!ぼくの家族と一緒に、みんなで包もうね」
そう笑う博士の言葉に、我慢していた涙が溢れ出す。
ああ、わたしは、このひとに、愛されているのだ。
わたしとともに料理をして、食べたいと思ってくれること。それは、あまりにも美しく、あまりにも当たり前のこと。その紛れもない事実が、どうにもこうにも嬉しくて。家族の仲間に入れてもらえる気がして、泣き笑いで返事をする。
続けて博士は言う。
「あなたは、ぼくを囲んでくれる素敵なひとのひとりだよ」
才能だと笑った博士を羨んだ気持ち、餃子をひとりで包んだあの夕方。悲しみも嫉妬も苦しみも。すべてが、すうっと空に溶けて行った気がした。
わたしは、このひととなら生きていける。わたしは、ぜったいに、幸せになれる。だって、このひとを信じられるから。このひとを愛せるから。わたしは、ぜったい、自分を好きになれる。そんな予感が胸を突き上げるように脈打つ。
ありがとうしか言えない毎日に、彼に愛してる以上の言葉を贈りたい毎日に。
人生はどうしようもないことばかりだ。過去は変えられない、家族も変えられない。だからこそわたしは唯一無二のオリジナルなんだ、と思っても納得できず泣き明かす夜。そんな夜ばかりでも、呪う日々ばかりでも。
いつか、みんなで餃子を包めるのなら、きっとそれだけでわたしは生きてきた意味があるのだ。笑いあって、作りあって、食べあって。それだけで、わたしはひとを愛せているし、愛されているのだ。そんな単純で、どうしようもなく尊いことを、ただ繰り返していきたい。
「うん、いつか、いつか包もうね」
必死で返事をしたわたしの涙がバレていないといい。そしていつか笑い話として話せたらいい。
大きな愛で、包もう。不格好な人生を、不器用な自分を。ぎゅっと包まれる餡の中には、悲しみも苦しみも、そしてどこにもないわたしだけの"家族"がきっと詰まってるから。
そしてきっと、それが、わたしのかけがえのない心のピースになるから。
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