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おはよう、せかい

書店員の朝は、遅くはじまる。モーニングルーティンなど蹴っ飛ばして、ざっざっとメイクをして、とびっきり好きな服を着て。とりあえず鏡の前で決めポーズ、走り出すように海を目指す。初夏の香りが潮風に混ざり、きらっきらにまぶしい景色がわたしの瞳を射抜いてゆく。

香川県の瀬戸内海が見える本屋さん。今日もわたしは穏やかに扉を開ける。ワクワクとトキメキを、めくるページに忍ばせて。



昼、開店したての店ではたきをかけていると、一番めのお客さんがやってきた。「やってる?」と微笑んだのは、リーゼントのいかついおじいさん。デニムジャケットにデニムパンツ、イカしたロックTシャツを着ている。ほうっとため息がでるような素敵な出立ちに、思わず声が色めいてしまう。いくつかポストカードを購入してくれたそのひとは「俺、お姉ちゃんの格好好きやわ。かっこええ」と讃岐弁で笑う。海が穏やかにさざめいて、わたしの鼓動だけが聞こえた気がした。目に焼き付く、そんな後ろ姿だった。

こうしてトキメキを運んでくれるお客さんたちが、たくさん訪れてくれる。

続いてやってきたのは、3人組の女の子。芸術系の大学に通っているというその子たちは、目を輝かせて店を隅々まで冒険する。ひとつひとつの本を、まるで宝物を見つけたときのように大切に扱う姿に、少しだけ涙が出そうになる。わたしも年だなあなんて笑いながら、話しかける。「ずっと、来てみたくって」もじもじしながら、緊張を小脇に話す3人は紅潮する顔。若さとは煌めきだと、改めて思う。そんな3人にプレゼントのつもりで、音楽をかける。カネコアヤノの「愛のままを」。これ、好きな曲だ…!とひそひそ話す3人を見て、久しぶりにお客さんの好みをドンピシャで当てたことに、わたしもひそひそ喜ぶ。陽の光はやさしく窓から差し込んで、涼しい風が吹く。3人の前髪が静かに揺れた午後3時。美しい、瞬間。

お客さんは人だけではない。蜂も時々来店する。ひとり格闘していると、今度は人間のお客さんがやってきた。「蜂、いるので、気をつけてください…」なせが小声で言うわたしを可笑しそうに見つめながら、わかりました、と小声で応答してくれる。窓を開けてみたり、念を飛ばしてみたり。そうこうしてるうちに、蜂さんご帰宅。思わずお客さんと見つめ合って、自然とわあっと起こる拍手。おかしくって、今思い返しても心に火が灯るよう。

閉店間際は、駆け込みでお客さんが多い。見るからにバックパッカー、という出立ちのお姉さん。大きなリュックを背負いながら、これまた大きな写真集を購入してくれる。「これ、こんなに安くていいんですか?」尋ねてくれた写真集は、確かに装丁の割に安い。「ほんとですねえ、大丈夫なんですかねえ」つい能天気に返事をしてしまい、お姉さんがふふっと笑う。

続けて「ここら辺で美味しいお店、知ってたりしますか?」尋ねられたわたしは、そら来た!とあらゆる脳内の情報網を探索する。酒飲みでよかったと、心から思う瞬間はこういう時だ。いくつかお店をご紹介、わたしも実は一回しか行ってないけど…なんてのは内緒だ。さも顔馴染みの店かのようにおすすめして、もしかしたらお店で会うかも!なんて笑いあう。

そうこうしているうちに閉店。最後まで残っていたカップルがいた。海外の人らしく、英語で話し合っている。じっくりお店に滞在していて、写真集をいくつもめくっていた。こうして海外の人が来てくれるのはとても嬉しい。日本という場所の思い出の一ページに、我が本屋さんが刻まれる、ということだから。緊張もするけれど、だいたいサンキューサンキューで乗り切る。(まるで若手のお笑い芸人だ)



たくさんのお客さんが来店してくれた一日、暑くて汗がじわりな初夏の気温。18時に店を閉めて、こんな日はやっぱりビールでしょう!とひとりいそいそと飲みに出かける。酒飲みは大概どんな一日も酒を飲む理由にしてしまうから、我ながらタチが悪い。

香川県のブルワリーのお店に初めて顔を出す。お洒落なお店で、IPAを飲む。IPAがなんなのかはいまだによくわかっていないけれど、とりあえず美味しいということだけはわかる。すると、お店に新たなお客さんが。「あ!は、ハロー」声をかけ合うハメになったのは、海外のカップルとまた出くわしたからだ。マズったなあ、英語全然話せないよ、と気まずさを顔面に貼り付けてビールを飲む。

ごくり、ごくり。

そんな喉越しもあまり感じないまま、結局相席する。わたしが避けてしまうのは、自分が失敗したらどうしようと不安に思ってしまうから。ろくに話せない英語を話そうとすると、恥ずかしくなってしまう。脱却しなければ、と意を決して話しかける。グーグル先生を駆使しつつ、3人でおそるおそるする会話。

酒の力は偉大だ。ビューティフル!シー!マウンテン!ブックストア!そんな言葉ばかり並べて笑うわたし、お酒がなければきっと黙ってしまっていた。そんなわたしにやさしい英語で話してくれる2人は、もう友達だ。たくさん話をして、写真を撮って別れた。

最後の締めはやっぱりうどん!たらふく食べて家路を急ぐ。今日も高松の港、赤灯台は美しく光っている。やさしい明かりを見つめながら、わたしの人生を少し振り返る。

悲しいことばかりだった、苦しいことばかりだった。それでも、生きてきてよかった。わたしがわたしで、よかった。そう信じられる夜がきっと増えてゆく、そんな予感に胸を高鳴らせて。

瀬戸内の夜は更けて行く。

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