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安部公房『壁』|意味のない世界へ入り込む


第25回芥川賞受賞作。

ある朝、目が覚めると“ぼく”は名前を喪失していた。職場へ行くと、驚くことにすでに“ぼく”は働いており、懇意にしているY子と仲睦まじくしている。しかし、左眼でよおく見てみると、その“ぼく”はなんと名刺だったー

という物語。

このあとも続く、圧倒的不条理の連続。端的に言えば意味不明で、しかし意味不明であることが大切な作品な気がしました。


それぞれが持つ「名前」って、あなたと私を分ける“”でもありますよね。その「名前」を失った途端、私は何者でもなくなり、自身と他者との境界がなくなってしまう。その境界のなさは、ついには無生物にも及んで、名刺やシャツが人格をもったり、自分の胸にラクダが吸い込まれたりします。


「言葉にすること」というのはよく、「世界を切り取る行為」だと言われます。外界から受け取るものは全て脳を介した電気信号だというのに、私たちは目の前の現象一つ一つに言葉をつけて、世界を細切れにしていく。言葉がなければ、世界は絵の具をたくさん混ぜたかのようなカオスで、何万種類の音楽を一度に鳴らしたかのような騒音でしかない。

だから、自身が受け取るものに〈言葉〉をつけて『壁』を設けることは、他者と自己、モノと自己との境界を明確にし、世界から自分だけの部屋をつくってくれます。


そもそも私たちは、なぜ無生物には意思がないと思っているのでしょう。改めて考えると不思議です。私たちには言葉と動きがあって、モノには言葉も動きもないから、意思がない。あるわけがない。そう思い込んでいる。それは言葉によって生物と無生物との間に『壁』を創出したからだったのではと、この物語に考えさせられます。


つまるところこの小説は、まず名前という、もっとも個人をあらわす言葉の〈壁〉を取っ払った時、何が起きるのかを描いた実験的小説だったような気がします。

しかし、この本をこうやって論じることは、作者の描いた『壁』に勝手に絵の具を塗るような行為かもしれません。意味に囚われず、意味のない世界へ素直に入り込む。それこそがこの作品の愉しみ方なのかも。まさにDon’t Think, Feel!! な作品でした。


⁡初 安部公房さん🥹 ハマりそうです☺️

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