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〈怒り〉は大切なものを守る戦士だった

“怒ること”はずっとダサいことだと思っていた。

同僚に愚痴を吐いたり、怒りを飛ばして周囲の人へ当たり散らしたり。
どの本を読んでも「そんな人とは離れなさい」だとか「アンガーマネジメント」みたいなことが書かれていて、自分も出来るだけ怒りという感情を持たないようにしていた。

けれど、最近は〈怒り〉や〈憤り〉という感情は、決して悪いものではないのではないか?と思うようになった。

そもそも〈怒り〉がなんで沸いてくるかというと、それは自分の持っている価値観や信念みたいなものを踏み躙られた時だと思う。

例えば他人に馬鹿されて怒ったりするのは、馬鹿にされたことそのものではなく、自分の中の大切な何かを踏み躙られたと感じるから、怒るのだ。

〈怒り〉とは、本来守りの感情なのだ。
自分の中の大切なものを、守るための感情なのだ。

そう考えると〈怒り〉という感情を、少し愛おしく思う。大切なものを守るために闘う戦士のような働きをしていたんだって。

僕は勘違いをしていた。
自分の中に生じる〈怒り〉が、ものすごく矮小で恥ずかしいものだと思って、出来るだけその感情を殺すように心がけてきた。

〈怒り〉を消火しているうちに、自分の大切にしているものが何なのかよく分からなくなっちゃった。

〈怒り〉がいつも悪者にされるのは、〈怒り〉を利用して他人を怖がらせたり、傷つけたりする人がいるからだ。
いけないのは、〈怒り〉を他人をコントロールするための道具に使うことだった。

〈怒り〉は守りの戦士。
決して他者を攻撃するために使うものではない。 


〈怒り〉を少しでも感じたら、聞いてみよう。
“なんで怒ってくれたの?”って。
そしたら、少しずつだけど、自分の大切にしているものが見えてくる。
自分のモノの見方や考え方が見えてくる。

漫画ハンターハンターの1巻でこんなセリフがある。

“その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ”

これを初めて読んだのは、小学生の頃だった。
最初は全く意味がわからなかった。だって、同級生の子ども達はよく分からないところで怒ったりするからだ。
けれど、今はこの言葉の意味がすごくわかる。

もちろん〈好き〉や〈楽しい〉という感情も、十分自分の大切なものを示してくれるとは思う。けど、それはどちらかというと〈心の拠り所〉であったり、〈癒し〉のような要素が大きいような気がする。

それよりもムッとしたり、怒りを感じたら、その時のことを振り返ろう。
そうすることで、自分が大切にしていたり、守ろうとしているものがきっと分かると思うから。

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