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子どもの成長から考えたこと

生後7ヶ月の息子がいる。

最近になって、ハイハイができるようになってきて、今は親の後や気になったものを追っかけてあっちこっちへと移動している。

そうやって笑顔で追いかけてきてくれる姿を愛おしいと思うと共に、子どもの成長の早さに驚かされる。

「子どもの成長は早いよ〜」
「一瞬だよ〜」
と、子どもが生まれる前から、よく耳にしてはいたものの、実際に暮らしてみるとその速度は想像以上だった。
もはや鈍行と新幹線、人間とチーター、音速と光速、それくらい想像と現実の速さが違った。

けれど、最も驚いたことは「昨日出来なかったことが、今日突然できるようになっていること」だ。

実は彼(息子7ヶ月)、ハイハイができるようになる前日までは、全くハイハイが出来なかった。

両手をつき、両足を伸ばして、四つ這いの姿勢のようにはなるものの、一向に前に進む気配がなかった。
妻と「まだまだ移動しなさそうだね」とか言っていた。

ところが、次の日になって仕事から帰ると、なんと彼は台所の入り口にいた。
居室から台所までハイハイで移動してきたのだ。

育休の妻からは「なんか今日急にできるようになったわ(笑)」と言われた。

「やっぱり子どもの成長って早いんだね〜」と妻と笑っていたが、よくよく考えてみると何も“突然”出来るようになったわけではなかったのだ。

彼は『チャレンジ』していた。

四つ這いをとり、足を伸ばし、なんとか手を前に出すも転び、それでも起き上がり、また同じことをする。
次の日には、足を伸ばすのをやめ、膝をつき、両方の膝を一斉に前に出そうともがいた。

脳のどこかにインプットされているのであろう「ハイハイ」をなんとか習得するため、彼は何度も工夫をし、転んでもまたチャレンジした。


ああ、《成長》とはそういうものなのかもしれない。
と彼を見て思う。

自分の経験から振り返っても、
「成長できた」
「うまくいった」
と思えるのは、一瞬だけだった。
しかし、そこに行き着くまでには、試行錯誤とチャレンジを繰り返していた気がする。

「できる」ようになると、いつの間にか忘れてしまうけど、それに行き着くまでにはいつもチャレンジがあったのだ。

大人になって、何かの目標を持った時、そのゴールの遠さや不透明さに打ちのめされる。
チャレンジや工夫を諦めてしまう。


学習曲線というものがある。

これは学習初期には成長が鈍いが、ある時期が来ると再び急激な成長が起きるというものを時間と成果の軸で表したものである。

僕も含めて多くの人は、この停滞期が嫌でサイコロを振ることをやめてしまう。
《成長》という未知の瞬間を待ちきれずに、チャレンジを諦める。

けれど、《成長》とは一瞬なのだ。
それまで鈍行で走っていたものが、新幹線並みのスピードで走り出す。そんな感覚に近いかもしれない。

いつ出るかわからない成長という《1の目》を出すために、サイコロをふり続ける。
それをすることでしか、《成長》することはないのだ。

そんなことを息子の成長を見て思った。
今日も無邪気に床を這いずり回る彼の背中から、僕も学ぼうと思う。

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