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津波は防げる? 〜だんだんと失われていく、〈畏れ〉という感覚〜

 子どものころ、自転車を海岸まで出かけ、砂浜に座り、気のすむまで海を眺めていたことがよくありました。何をする訳でもないのですが、海を眺め、潮風を感じ、打ち寄せる波音を聴いていると、なんとなく落ち着くような気がしていたのです。
 その頃、海岸線に沿って集落があり、同級生の家は海際に面していて、その同級生の家からすぐそばの海で魚釣りを楽しんだこともありました。すぐそばに海があるため、夏は潮風に涼み、海水浴に興じ、ときに海の幸を頂くなど、海は身近な存在として感じていたのです。
 ところが、ここのところ、海と陸との境界が、とても強固なものになりはじめました。東日本大震災の後、復興工事と称して、巨大な防波堤が、海岸沿いに造られはじめたのです。

 景観は損なわれ、海の様子は全く見えません。防波堤は余りに大きく、側に立てばまるで、見上げるかのような高さです。海に近づこうとも、巨大な防波堤に阻まれてしまって、海を眺めることは叶わず、潮風を感じることもあまりなく、波音もよく聴こえません。この壁に申し訳程度に作られている、非常に急な階段をやっとの思いで登らなければ、海の存在を感じることができないのです。
 階段を一段一段登るごとに、次第に波音が大きくなりはじめ、防波堤の上に立てば、急に潮風が私の身体を吹き抜けていきます。そして見下ろすように、海を眺めることができます。

 海が身近に存在するというのに、海の存在を身近に感じられないこの状況は、どうもおかしいのではないかと、感じています。もちろん、津波を防ぐために巨大な防波堤を作ろうとする理屈は理解できなくもないのですが・・・でも、どうしても納得できません。巨大な防波堤を造って、津波を防ごうとするやり方からは、自然恐れるに足らず、津波は人為によってコントロール可能だと言わんばかりの、驕りにも似た態度が、見え隠れしている気がしてなりません。
 このままでは、私たちのなかから〈畏れ〉という感覚が、ますます失われていくのではないかと、危惧しています。自然の脅威を畏れぬがゆえに、防ぎきれるはずのない自然災害を、防ぎきれるという錯覚が生じる危険性は、ないのでしょうか。


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