辻 明典

書くことと生きることが、重なるように。言葉を編むのは、不条理がまかり通るこの世界と、向…

辻 明典

書くことと生きることが、重なるように。言葉を編むのは、不条理がまかり通るこの世界と、向き合うために。共著として『哲学カフェのつくりかた』『哲学対話と教育』。

最近の記事

津波は防げる? 〜だんだんと失われていく、〈畏れ〉という感覚〜

 子どものころ、自転車を海岸まで出かけ、砂浜に座り、気のすむまで海を眺めていたことがよくありました。何をする訳でもないのですが、海を眺め、潮風を感じ、打ち寄せる波音を聴いていると、なんとなく落ち着くような気がしていたのです。  その頃、海岸線に沿って集落があり、同級生の家は海際に面していて、その同級生の家からすぐそばの海で魚釣りを楽しんだこともありました。すぐそばに海があるため、夏は潮風に涼み、海水浴に興じ、ときに海の幸を頂くなど、海は身近な存在として感じていたのです。  と

    • 〈弔い〉の作法について

       2017年の3月11日は、仙台におりました。14:46分、町にサイレンが響きわたると、歩いていた人たちは自然と立ち止まって、海の方角を向き直し、静かに祈りを捧げておりました。多くの人たちが一斉に、じっと祈りを捧げる時間は、よくよく考えてみると、稀なことのように思います。それだけ、大きな災害に見舞われた土地には、弔いの所作が深く編み込まれているのでしょうか。  その翌日、なんとなしに海を眺めてみたくなり、友人と連れ立って、浜辺をまわっておりました。いつもより少しばかり荒い波を

      • 海の懐

         かつての相馬地方では、海が陸へと踏み込んで入江を形成する、いくつもの潟が存在していた。潮がさせば隠れ、引けば現れる、海と陸との曖昧な境界が、風光明媚な景勝を象っていたのだ。  土地の歴史を紐解きはじめてみると、松川浦、新沼浦、八沢浦、金沢浦、井田川浦といったいくつもの潟があり、そこには海水と淡水が交わり、イサザ、コイ、ウナギ、ウニ・・・といった生き物がすまい、漁や製塩を生業とする人々が暮らしていた。  土用の頃になると、暑さに敵わない井田川浦のウナギたちは、海水と淡水の

        • はじまりの物語

           原発禍についての〈物語〉を描こうとしています。生についての〈物語〉を描こうとしています。  〈物語〉とは何でしょうか? 私は何を〈物語〉に託そうとしているのでしょうか?  そういえば、津波の爪痕が深く残る地域では、幽霊の〈物語〉が生まれています。福島第一原発にほど近いある学校で、津波に飲み込まれたはずの子供が、誰もいない校舎にふと現れたという話。屋根裏から聴こえてくるの小さな物音に、亡くした我が子の足音を重ねる母親の話…いくつもの〈物語〉が、誰にも聴かれないままに残され

        津波は防げる? 〜だんだんと失われていく、〈畏れ〉という感覚〜

          まずは、書き始めることだ

          これは、ある一つの試み(essay)である。筆の赴くままに、つらつらと綴る随想の端々に、哲学のエッセンスを滲ませようと試みる。 哲学とは何だろう。 いくつものご意見はあろうが、スペインの哲学者ウナムーノの顰みに倣うならば、それは「人間的な所産」である。 人間的であるために、私は書き綴る。 不条理がまかり通るこの世界で、ほんの少しでも、人間的であるために。 まずは、書き始めることだ。 書くことと、生きることが、重なるように。 不条理がまかり通るこの世界と、向き合う

          まずは、書き始めることだ