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FPとして自己紹介をしてみます。

2022年に2級ファイナンシャル・プランニング技能士の検定試験に合格し、AFP認定者となりました。現在は日本FP協会愛知支部で、相談員や運営委員のボランティアをしています。FPとして駆け出しですが、定年までに執筆・講演・相談で生活できるようにするのが目標です。
現在の本業は自動車部品メーカーの総務課で、それなりにかなりストレスフルな日々を過ごしています。

noteでは、身の周りのことについて、FPとしての視点で考え、書いていきたいと思います。皆さまへ何らかのヒントやナルホドネを提供できますと幸いです。

学生時代

父親の仕事で関東地方を点々とし、転園・転校が続きました。だから私には故郷や幼馴染みという概念がありません。
お勉強は苦手な子でした。代ゼミで開花した後、受験戦争の末に大学へ進学しました。極貧な学生生活を続け、炊飯器や冷蔵庫を揃えるのにも数年かかりました。演劇とバイトをしていた記憶しかありません。
バイトは東京都内の高級ホテルでの配膳です。長期休暇になると、蓼科や白馬へリゾートバイトに出かけるのが定番でした。
数字や論理的な思考は不得意な方で、「FPになりたい」などと言い出しそうな子ではありませんでした。ただ、学費と生活費を稼いで管理していたため、家計的な感覚はしっかりとしました。

IT機器販社時代

2000年にIT機器販社へ就職しました。遊牧民になるのが学生時代の夢でしたが、サラリーマン人生が始まってしまいます。カメラ量販店向けにプリンターなどの営業をするお仕事です。徹夜で店舗の改装を手伝ったりする時代ででした。
ほんの少しの個別株式を購入し、ほんの少しの損益を出すくらいの資産運用を開始しました。勉強代をお支払いしていた段階だったと思います。

外資系医療機器販社時代

2003年に手術用の医療機器を売る会社に転職しました。10年間で、鹿児島〜広島〜大阪〜群馬と転勤し、医局や手術室で働いていました。
資産運用について経験と知識を積み重ね、同僚や取引先から相談されることが増えました。また、自宅の購入には財形貯蓄を有効活用し、非課税のありがたさを実感しました。

自動車部品メーカー時代

2013年に医療機器の営業として転職しました。新規事業の立上げでしたが、医療向けの技術力が不足していたため、チームは解散となりました。
農業の部署へ移動し、三重県で農場の新規立上げに関わり、総務・人事に関わること全てを担当しました。100名以上の正社員とパートを受け入れる仕組みをつくり、採用しました。給与や社会保障の業務なども包括した知識の形として、FP資格に興味を持ちました。
その後は総務課へ移動し、業務内容はFPと離れてしまいましたが、日本FP協会愛知支部やSG三河ネットワークなどで、様々な人と繋がりながら学び続けています。

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