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なぜ介護士になったのか?と聞かれたときの答え

介護の仕事を始めた時、友人・知人からよく「なぜ介護士になったのか」と聞かれた。

これに関しては大変申し訳ないのだが、なんの志しもなかった。ただの成り行きだったので、『ご縁がありまして…』とお答えしている。

時は戻って、私が大学生の頃、世の中は“就職氷河期”だった。子どもの頃から華やかな世界に憧れ、あれこれ夢見てきたが、そもそも私の通っていた大学は今でいうFランで履歴書を大学の封筒に入れて郵送すると、開けもしないで捨てられるというのはもっぱらの噂だった。

それでも20社30社と履歴書を送る同級生を尻目に私はバイトに没頭していた。海辺のテーマパークでのバイトだ。

かわいい制服を身をまとい、キラキラとした世界は、フリーター大歓迎で、同じ就職氷河期を生きる同世代のバイト仲間たちがたくさんいて、氷河期の中において温泉のような居心地の良さだった。

そんな中でぬくぬくと楽しく働いて(いや、仕事ですからね、楽しくないこともありましたけど(笑))、結婚&引越で退職。その後は引越先の近所の化粧品販売店でバイトを始めた。ここが後にターニングポイントとなる。

化粧品販売店は自宅から近い駅ビルの中にあった。月に1度は駅ビルの会議があったり、イベントがあったりと働く中でずいぶん土地の人たちと親しくなった。しかしある日親会社の都合で、私の働く店舗が撤退することになり、それにともないバイトが解雇された。

仕方なく近くのカフェで働くが、空気が合わなかったり、この歳でまさかの職場“いじめ”にあったりして、転々としてしまう。フリータ一人生は長いが、ひとつ仕事を始めると、わりとどこでも馴染んでしまうタイプだったので、この『転々とする』というのは実に初体験だった。

そんな時、駅ビルでお世話になってた方から、近くに開設される老人ホームが、配膳係のパートを募集してるんだけどどう?とお誘いを受けた。
配膳だけだから資格もいらないと言われ、まあどうせ暇だしと面接に向かった。

面接官は言葉巧みに(人聞きの悪い(笑))配膳係ではなく介護課で働かないかと勧誘してきた。『資格は追々取ればいい!まずは実践あるのみだよ!』などという口車に乗らされ、まんまと介護課に配属された。

最初は不安しかなかったが、ここでまさかのテーマパークで鍛え上げた小技が役に立つ。いわゆる三大介護と言われる『食事』『入浴』『排泄』は何一つ出来なかったが、施設内で行われるちょっとしたイベントの司会、毎朝の体操の仕切り、目の前でどんなに驚くことが起きても、決して笑顔を崩さない表情筋など、介護が出来ない割にはそこそこ役に立つ駒として、居場所を作った。

それから、研修や国家試験などを経て3年後に介護福祉士取得。現在に至る。

人生ほんと何があるかわからないけど、就職氷河期で社会の波に乗ることができず、そのまま氷河の流れに身を任せていても、川と同様私の身の回りでは、ゆるやかに時代が過ぎてくれたことは幸運だった。

と私は思っているのだが、世間はどうだろう?仕事にありつけなった氷河期世代が、仕方なく誰でもなれる介護士になって、何とか生計を立てているように思われがち。とても悔しい。キィーッ(笑)

介護の仕事って楽しいよ。というと嘘くさいのでそれに関してはこれから書く予定の記事を読んで、皆さんで判断して頂くとして、”きつい・汚い・給料安い”だけの仕事じゃないことを発信していけたらと思う。




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