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優しさは非合理だが

 別に私は他人に優しくするつもりなど毛頭ない。他人に優しさを期待することもあまりない。店員さんなんかとはただの売買契約を結ぶ相手に過ぎない。店は財を提供する対価として金銭を受け取り、私は金銭を渡して店側から財を譲ってもらう。そこに上下関係などない。でも、店員さんは私に敬語を使うし、商品の取り扱いの有無を聞けば優しく教える。対等な契約関係である以上そんな必要はないはず。他店との競争があるから売買契約にない無賃サービスの質を上げているという側面もあるのだろうがそれはまた別のお話。

 そんな風に対等な契約関係であるはずの店員さんが優しくしてくれる。だからこちらもそれに対等になるように優しくする。レジに商品を持っていったら「お願いします。」、レジを打ってもらったら「ありがとうございます。」、店員さんに用事があるときは「すみません。今お時間大丈夫ですか?」とか。別にそんなことする必要はない。店と私は売買契約のみの関係だから。店の持っている財と客の支払える対価が釣り合っていれば売買契約が成り立つというだけの対等な関係だから。でも、店はそんな対等な相手に必要性のない優しさを向けてくれるから、それに対等になろうとこちらも負けじと優しくする。

 なんだかんだ言ってこの社会は不必要な優しさで成り立っていると感じる。不必要に丁寧に、不必要に気を遣う。目の前の優しさは、あって当然のものではない。そんな多くの不必要な優しさのおかげである程度社会が上手く回っているのかもしれない。ある程度。もちろん十人十色の思考や感情を持っているからトラブルは絶えないけれど、だからといっていつでもどこでも無秩序な修羅場が展開されているわけではない。なんだかんだ多くの人は多くの他人に優しくしているし、優しくされているようだ。棘を向ける人間に、ブチギレたい気持ちを抑えつつ優しくしてあげている人も数えきれないほどいるのは残念だが。

 私は他人に優しくするつもりなど毛頭ない。しかし、それで自分や他人の幸福が生まれるというメリットがあるなら、私は自分にも他人にもできるだけ優しく生きていくつもり。手の届く範囲でね。

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