見出し画像

物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 20

-レン-

 谷川の水の流れは豊かで、厳寒のエルビエントといえども完全に凍りついたりはしない。川の両端に、やや張り出すように氷が張り、溶けたり再び凍りついたりを繰り返しながら、不思議な造形を生み出していた。
 日中帯の今、光を受けて輝く冬の川は、普段から近くに住んでいても見飽きない美しさがあった。
 大吊り橋の再建に比べると、水車の交換は大掛かりな作業ではなかったが、緻密な連携を必要とする作業であり、体制や作業の順序などは綿密に打ち合わせがなされた。
「よし、それじゃあ、第一班の作業を開始しよう。第二班と第三班は傍で待機」
 シヴァの声が冷たい空気を震わせると、他の戦士たちの「了解」の声がそれに応えた。
 レンがマカニを留守にしている間に組み立てられた新しい水車が、水車小屋の脇の、大きな布を敷かれた平らな場所に寝かされている。最初は、古い水車を一基取り外す作業からだった。
 水車の軸と発電機を切り離すと、一気に水車の回転が速まる。その状態で羽根車に触れると危険なので、切り離す直前に羽根車に数か所ロープを通して、回転方向の反対側に力をかける作業をする。動いたままの羽根車に対してロープを通すこの作業が一番難易度が高い。
 レンは、長いロープの片側に矢を結び付けた。その反対の端を数名の戦士たちがあらかじめ持っておく。同じ人数の戦士たちが水車の反対側で待機していた。
 レンがロープを結んだ矢を弓で射て水車の羽根車の隙間に通し、そのロープを反対側に控えている戦士たちが受け取るのだ。これは、レンが提案した方法だった。
 巨大な水車の動きに耐えられる太さのロープはそれなり重さがある。いつもの矢の軌道では駄目なことは解っており、昨日の夕方レンはずっと、この作業のための調整をしていた。自信はあった。
「そろそろ行くよ。みんな準備はいい?」
 水車の向こう側から返事が返ってくる。後ろを振り返ると、ロープの端を握っている戦士たちも頷いた。
 レンは弓を構えて矢を番えた。自然な呼吸で、視線は水車の動きをじっと追い、輪板と、二本のくも手の隙間の動く速度を計算する。
 一、二、三、四……
 今だ、というタイミングで矢を放つ。
 レンの弓を離れた矢は、狙った隙間を正確に通って水車の反対側に抜けた。レンの後ろに控えていた戦士たちが上空へ飛び立つのと、反対側に控えていた戦士たちがロープの途中を掴まえるのとがほぼ同時だった。続いて、第二班、三班の戦士たちが水車に向かって飛び立つ。
 レンはその場に立ったまま、戦士たちの動きを見守った。
 先ほどレンが放ったロープの中程が、まだ動いている水車の動きに引っ張られて水面へと向かう。しかしそれが水面に沈む前に、水車を挟んで両側からロープを引き上げた第一班の戦士たちの力によって止まる。
 それを待っていた第二班と三班の戦士たちは、それぞれのロープをあらかじめ決めてあった位置の隙間に通し、同じように上空から三点で水車を支えた。
「水車を切り離せ!」
 マカニの土木師長レンギョウが鋭い声で指示を出し、土木師たちが水車と発電機を繋ぐ部品を取り外すと、発電機の負荷から自由になった水車が勢いを取り戻して回ろうとする。しかし一瞬だけ動いたそれは、すぐに水車を支えていた戦士たちにとって再び均衡を取り戻した。
 レンギョウからすかさず次の指示が飛ぶ。
「軸の固定を解除!」
 水車の両側に控えていた土木師たちが水車の軸を固定していた金具を外す。
「解除完了」
 土木師たちの声を合図に、ロープで水車の三点を等しく支えていた戦士たちは更に上空へと高度を上げ始めた。少しずつ、巨大な水車が持ち上がっていく。続いて、一定の高度を保ったまま、少しずつ川べりへと移動してゆく。最終的に古い水車は、新しい水車が横たわっているのとは反対側の水車小屋の脇に降ろされた。
 ひとつめの作業が無事終わり、土木師たちに安堵の表情が浮かぶ。レンを含め、皆が降ろされた古い水車の脇に駆け寄った。
「さすがだったな」
 シヴァがレンの肩をポンと叩いたので、レンは笑顔を返した。
「ご苦労だった」
 続いてシヴァは戦士たちに向かってこれまでの作業をい、レンギョウの顔を見る。この作業全体の責任者はレンギョウである。そのレンギョウは、じっと古い水車を見詰めていた。
 皆が指示を待っているのは分かっているはずだが、レンギョウは無言のまま横倒しになった水車へ近づくと、輪板へと飛び乗り、器用にくも手の上を歩いて回転軸のある中央まで行った。そこでしゃがみ込むと、回転軸に触れる。そのまましばらく何か考えているようだったが、やがて立ち上がると、その場で他の面々を振り返った。
「ひとまずここまでは成功だ。協力してくれた戦士の皆にも礼を言う。しかし、回転軸の腐食が予想以上だった。早めに交換して正解だ。この分だと軸受けの金具の方も念のため取り換えてから新しい水車を設置した方が良さそうだ。それから、二基目の交換も急ぐ必要がありそうだな。壊れて発電できなくなるだけならまだいいが、軸が折れて水車が傾くと危険だ。下手すると交換したばかりの水車や水車小屋にも被害が出る」
 レンギョウは数名の土木師に指示を出し、戦士たちにはその間休んでいるようにと言った。
 レンは力作業をしたわけではなく矢を放っただけなので、休憩する気になれず、引き揚げられたばかりの水車に近づいてみた。
 水車は軸のみ金属で作られており、それ以外は木製だった。レンは詳しくないので見た目で詳しい素材は分からないが、前もって聞いていた知識ではそれは桧葉ひばの木であるらしい。そっと触れると、先ほどまで冷たい水に浸っていた羽根車はひんやりとしていた。ところどころからぽたぽたと落ちている水滴は、今が夜中ならばあっという間に凍ってしまうだろう。
「桧葉は金属なんかよりずっと優秀な素材なんだよ。耐久性、耐水性、抗菌性全てに於いてひのきに勝るとも劣らない。それでいて扱いが楽だ。木材に比べると金属は、型に入れればいいだけだから加工は楽だが、耐久性が読みにくい。木材よりも摩擦に強いから軸には使っているが、元々は軸も木材だった」
 土木師たちに指示を出し終えたらしきレンギョウが、近くへ来てレンに話しかけた。
「えっと、確か檜って、翼の骨に使われているんじゃなかったっけ」
 以前ポプラから聞いた話を朧げに思い出しながらレンは応えた。
「そのとおり。檜と桧葉はよく似ているんだが、桧葉の方がより耐水性が強いから水車には桧葉を使っている」
「適材適所ってやつだね」
「ははは。そうだな……あのさ」
「何?」
「荒天の時にも使える訓練場の件だが……」
「ああ、うん。大丈夫。レンギョウさんが忙しいのは分かってるよ」
「違うんだ」
「え?」
 レンギョウの真面目な表情で、それが話しかけてきた目的なのだということが分かった。
「二つ目の水車を更新し終わったら、やらせてほしい」
「本当? 無理してない?」
「ああ。さっきの……」
「さっきの?」
「あの、重いロープを結び付けた矢を、動く水車の狙った場所に打ち込む技術。凄かったな」
「ああ、なんだ。うん、ありがとう」
「土木師である俺が、戦士が弓を使うのを見る機会なんて弓術大会の時くらいしかない」
「そうだろうね」
「だが大会はあくまでも的が標的だろう? 凄いのは分かるんだが、いまいち胸に迫って来るものは無かった」
「あはは。そういうものかもね」
「でも、さっきは違った。あんな風に弓を使って水車にロープを通すなんて、俺では到底思いつかない。それを正確にやってのけるんだ。感動したよ。その技術を継承するための場所をつくりたいと思ったんだ」
「そうだね。弓は、やっぱり訓練すればするほど上手くなると思うから、天候に関わらず訓練できる場所は有難いな」
 マカニは、特に冬は荒天の時が多いし、山間の村なので天候の変化も激しい。レンは、思い切って頭にあった案を話してみた。
「レンギョウさん、僕が秋に行方不明になったことを憶えてるでしょう?」
「忘れるわけはない。あの時は村が一時騒然となった」
「あの時僕が迷い込んだ鍾乳洞。ああいうのって、使えないのかな。結構広かったんだよ。光が届かなくて暗いんだけど、あそこに電気を通せば使えたりしないかな」
「え? ああ、鍾乳洞か……なるほど。火を燃やす灯だと空気の問題など色々と心配だが、電気ならば行けるかもしれんな。ちょうど太陽光発電を導入して電力に余力が出て来たことだし、検討してみる余地はある」
「本当? やった」
「春になったら、まずはその鍾乳洞とやらを調査してみよう。どこから出入りするのが最も使いやすいか、どこを訓練場として使うのが良さそうか、検討する必要がある」
「シヴァさんに相談して、戦士も協力するようにするよ」
「助かる」
 レンは、荒天の日に利用できる訓練場ができることはもちろん嬉しかったが、それが太陽光発電を導入したこのタイミングであったことがさらに嬉しかった。クコにこの話をして、礼を言いたいと思う。
 新しい技術を開発することは、単純に選択肢を広げることだとレンは思うのだ。それをどう利用していくかは、また別に考えるべきだと思う。単純に新しい技術を称賛するのも間違っているし、僅かな欠点を指摘して反発するのも違う。

 水車の回転軸を受ける部分の金具の交換は短い時間で終わり、新しい水車の設置はほぼ予定通りの時刻に終わった。作業に関わった者たちは皆、しばし新しい水車ともう一基の水車が並んで稼働するのを眺める。同じ水量の水を受け、同じように回っている水車だが、丸みをおびてやや赤っぽい色に変色した古い水車に比べ、白く固い質感の新しい水車は勢いよく回っているように見えた。
 先日族長とシヴァと共にマカニの世代交代について語ったレンとしては複雑な思いに捕らわれる。
 一概に古いものと新しいもの、どちらが良いとは言えない。ひとつだけ言えることは、古いものは安定していて、新しいものは勢いがあるということだ。レンは、その両方が必要だと思う。
 間もなく両方が新しいものに代わってしまうだろう水車を想像して、レンは再び、適材適所、という言葉を思い出す。これは水車の話だ。マカニの村という共同体の話ではない。人間の組織は、もっと複雑なのだ。


 ***
韓紅の夕暮れ篇1』へ
韓紅の夕暮れ篇21


鳥たちのために使わせていただきます。