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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 13

-レン-

 それ程夜更かししたわけでも、酒を飲み過ぎたわけでもなかったが、カリンが忙しそうにしているので、レンはその日の午前中をヨシュアの家でのんびりと過ごすことにした。
 慌ただしくひとりで城へ向かうカリンをヨシュアと共に見送り、朝食の片づけを買って出て、片づけを終えた後、先に工房に入っているヨシュアの元へゆく。ヨシュアはグローブと思われるものを縫い合わせている最中だった。レンは邪魔しないよう、少し離れた位置で暫くそれを眺めていた。
 しかし当然工房へ入った時点でヨシュアはレンに気がついており、一区切りついたところで視線を上げた。
「グローブを造っているの?」
 見れば分かるようなことを、挨拶代わりに敢えて尋ねる。
「そうだよ。弓に使うのとは随分違うだろう?」
「うん。手綱と弓では保護しなければならない場所が違う」
 弓を引くマカニの戦士は利き手にはグローブのようなものを、利き手の反対の腕には手甲を着用している。最近、シヴァとソレルの訓練を見ていると、手甲には弦から腕を保護する役目の他に、鳥の鉤爪から腕を守る役目もあるのだと分かった。
 マカニの戦士のグローブは、親指から中指までは第一関節のすぐ下まであり、薬指と小指は無防備だ。今ヨシュアの手の中に在る乗馬用のグローブはきちんと五本の指が収まるものだった。見た目は防寒用のグローブとそう変わらない。
「以前一度見せてもらったけど、もう一度ゆっくり見せてくれないかな」
 レンは頷いて右手からグローブを外してヨシュアに手渡す。ヨシュアが初めてマカニを訪れた際に一度、見せたことがあったが、その時は話の合間に少し見せただけで、じっくり眺めるようなことは無かった。今ヨシュアは、継ぎ目の糸まで確かめるように時折向きを変えながら、じっとグローブを見つめていた。
「ああ、なるほど。ここは牛革なんだな。全部鹿革なわけではないのか」
「見ただけで分かるんだ?」
「そりゃあな。……ありがとう。何度見てもほれぼれする造りだ」
「サンザシさんに伝えておくよ。ヨシュアさんが褒めてたって言ったらきっと喜ぶ」
 サンザシはマカニの革職人の中では熟練のひとりだが、以前ヨシュアの造ったガイアの馬具を見ていたく感動していたのだ。
「そうか、これはサンザシ殿が造ったものか」
「うん。僕はサンザシさんの造ったものが合うみたい。丈夫なんだけど肌当たりが柔らかいんだ」
「それだよ。多分、革の合わせ方が上手いんだな。俺もちょうど、特に夏物は違う素材を組み合わせて作ることを考えていた」
「へぇ」

 カリンには昼食を城の食堂で一緒に食べようと言われていたのだが、ヨシュアの仕事を見せてもらいながらの話は想像以上に面白く、気がつくと昼時になっていた。レンは城までの道程を急ぐ。
 城の門を通り抜け、真っ直ぐ待ち合わせの中庭へ向かったが、カリンの姿は見当たらなかった。カリンも忙しいのか、あるいはレンが遅いので薬師室へ戻ってしまったのだろうか。医局へ向かおうかどうか迷っていると、カリンが医局の棟から小走りに近づいてくるのが目に入った。
「ごめんなさい。待ったでしょう?」
「いや、実は僕も今来たばかりなんだ。ヨシュアさんと話してたら話が弾んでしまって」
「そうなの? 良かった」
「カリンは、忙しそうだね」
「そういう訳ではないのだけれど、ちょっと集中し過ぎてしまって」
「カリンらしいね」
 食堂で食事をしようといったカリンは、しかし食堂の中でという意味では無かったようで、持ち帰りのできるものの中から食べたいものをそれぞれ選んで、中庭へ戻ることになった。
 食堂では話しにくいから、という言葉に、レンは頷く。確かにそうだ。城の食堂は、空いている間は常に人で賑わっているが、適度な喧騒の中であっても、いつ誰が話を聞いているか分かったものではない。
 しかし中庭に空いているテーブルを見つけ、サンドウィッチをひと口齧ると、カリンは今渦中に居る事件のことを語るのではなく、まずレンに昨日のローゼルとの会話について尋ねた。
「特別な話はしていないよ。会っていない間のお互いの近況報告をして……ああそうだ、新しい訓練場の話をするには僕が遭難した話をしなければならなくて、ローゼルは随分驚いているようだったよ。それに、あんな風に話の間に質問を挟むローゼルは初めてかもしれない」
 話を聞いている間、ずっと睨むようにレンを見ていたローゼルを思い出すと、自然と口元に笑みが浮かんだ。カリンもうふふと笑う。
「興味があったのも事実だろうし、やっぱりレンのことを心配したのではないかしら。もう終わってしまったことだけれど」
「何かあったとは思っていた、って言ってた」
「そう。ローゼルにはやっぱり分かるのね」
「戦士として成長したっていう意味なら、嬉しいけどね」
「きっとそうよ。それに、少し羨ましいのかもしれない。危険に身を置くのは誰であれ無い方が良いのだけれど、自分の身に自分で責任を持つという意味では」
「ああ、そうだね。きっとそうだ」
 明日はどうするのかと問うと、意外なことにカリンは一緒にマカニへ戻るつもりだという。
「私はね、もしかしたらそこに居るかもしれない首謀者を牽制する意味だけで呼ばれたのであって、報告自体は何事もなく終わりそうだし、ツツジ様は首謀者が誰なのかを明らかにするおつもりもないみたい。だから私がこのままアグィーラに居ても特に意味は無いの」
「セダム殿のことは?」
「アグィーラに居ても闇のことはこれ以上調べられない。図書館にある本はとっくに読んでしまったもの。むしろ、あの海沿いの書庫から引き揚げてきた昔の本の中に手掛かりがあるかも知れない」
「なるほど」
「一緒にお城で昼食をと誘っておきながら申し訳ないのだけれど、レンはこの後はどうするつもりでいた?」
 食べ物の残りが少なくなると、カリンは本当に申し訳なさそうに尋ねた。レンは軽く微笑みを返す。
「どうせカリンは忙しいだろうと思っていたから、クコ殿の所でも訪ねてみようかと思っていたよ」
「クコさん?」
「そう。新しい訓練場を造る話をしてみようかなと思って」
「ああ、それは良い案ね」
 勿論クコだって仕事中ではあるだろうから時間は取れないかもしれないが、それなら挨拶をするだけでも良かった。クコが忙しければ図書室に居ても良いし、城ですることがなければ早めに戻って、再びヨシュアの作業を見せてもらったっていい。
 いつの間にかアグィーラにも居場所が増えていることに気がつき、レンは心の中で小さく驚いた。

 とはいえ、城だけでも広大な土地を持つアグィーラを隅から隅まで知っているわけではない。明確に禁止されているわけではないが、城下町ではなるべく翼を使わないようにしていたので、移動は徒歩だ。隅々まで歩いて回るには時間が必要だ。城の中でさえ立ち入ったことのないところが沢山あった。クコの居る建築局へもカリンなしで来るのは初めてではないだろうか。
 入口で許可は取ったものの、建築局の面々もそれほど来客に慣れているわけではないようで、途中で誰かにすれ違う度に不思議そうな顔をされた。
 挨拶がてらクコにそのことを話すと、クコはからからと笑った。
「ここは城の中でも研究者が多い棟だからなあ。確かに客は少ないかもしれないな。医局も研究者が多いが人間相手の研究だ。法務局は言わずと知れて往来が多い。文化局は室によるが、まあ人との関りも多い。傭兵局は他種族に慣れている。我々建築局の人間がマカニ族を見るとまず興味を示すのはその翼ではないだろうか。きっと皆少なからず謎を解き明かしたいと考えるだろう。だからどうしても目が行ってしまうのだ」
 そうか、あの不思議そうな顔は、来客の存在だけでなくレンの翼にも向けられたものだったのか。
 官吏どうしの打ち合わせに使われる小さな部屋に案内され、来意を告げると、クコは目を輝かせた。
「鍾乳洞か。それは興味深いな。是非見てみたい」
「そう仰ると思っていました」
「しかしあれだな。次は家族を連れて行くと約束してしまったんだ」
 クコは照れたように笑う。
「確かに開拓途中の今の状態ではご家族連れで鍾乳洞へ行くのに無理がありますが、もしご家族さえよろしければ、クコ殿が鍾乳洞をご覧になっている間は他のマカニ族がご家族をご案内します」
「おお、そうか。それは有り難い。実際な、そろそろ太陽光発電が手を離れそうなのだ。そうすれば少し長めの休みがとれる」
「でしたら是非。初夏はマカニの一番良い季節です」
「我々建築局の人間は、もっと外に出てみるべきだと思うのだ」
 クコが意外なことを口にしたので、レンは思いがけずマカニの土木師たちの話をする機会を得た。
「それは何故でしょう。マカニの若い土木師たちはむしろ、アグィーラの技術を学びたがっています」
「ああ、そうだな。研究環境という意味ではここは最高だ。しかし、この目で見ないと分からないことが世の中には沢山在るのだ。俺自身、カリンについてワイに行ってからそのことを思い知った。あの時、ほんの少しだがレン殿の翼を借りて空を飛んだだろう? ここに居たって出来ないことはないだろうが、そうすることを思いつきもしなかった。それに、あのマカニの自然と共存した村の造り」
「なるほど。広い世界を見ることが大切なのかもしれませんね」
「そう。特に新しい着想を得るためには、世界を知らなければ駄目だ」
「自分の居る場所の価値を理解するためにも、外を見ることは必要かも知れません。私は昔からマカニが好きでしたが、外に出てみたら、より一層マカニの良さが分かりました」
「そうかそうか。うん、やはりレン殿にはマカニが合っておられるのだな」
 クコは、マカニの土木師たちの邪魔はしたくないと言いつつ、控えめに幾つかの助言をくれた。
 建築局の入口まで送ってくれたクコに礼を言って別れた後、レンは、アグィーラの大きさを思う。医局ではカリンたちが治験における改ざんという不穏なことに心を砕いているにもかかわらず、建築局には噂すら聞こえて来ていないように思えた。カリンがリリィと起こしたという騒動も話にすら出なかった。クコならば、知っていてレンに黙っているということはないと思うのだ。マカニの村ではあり得ないことだ。しかし今のレンにはこれが一概に良いこととも悪いこととも言えなかった。「いちいち心配されるのが面倒くさい」というスグリの呟きが聞こえるようだ。
 難しいなと思いながら、レンは中庭でひとつ大きく伸びをした。
 


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