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物語の欠片 金色の馬篇 9

-レン-

 カリンが族長と二人で話をしたいというので、レンはイベリスを連れて族長の家を出た。そのまま近くの第五飛行台まで歩く。イベリスは不思議そうな顔でついてきた。
「空、飛んでみない?」
 レンはそう言って自分の背中を指さす。イベリスは自分よりも大きいし重いが、今のレンなら乗せて飛べる筈だった。イベリスは驚いた顔をしたが、比較的早く頷いた。
「……何だよ。」
 飛行台を飛び立って少し経ち、こらえきれず笑いを漏らしたレンにイベリスが尋ねる。
「僕、今までカリンしか乗せたことないんだ。イベリスのぎこちない乗り方が新鮮で」
「悪かったな」
「いや、僕もごめん」
 それきり二人とも黙って飛び、程なくイヌワシの岩に到着した。空は青く、初夏の日差しが眩しかった。それでも、ポハクの強烈な日差しとは比べ物にならない。
 湖から吹いてくる風が心地良かった。湖には虹がかかっていた。
「座りなよ」
 立ったままアルカン湖を見詰めていたイベリスに声を掛け、先に腰を下ろす。イベリスも言われた通りレンの隣に腰を下ろした。
 虹の向こうにアルカンの森と、その更に先にアグィーラの城郭が見える。
「此処は、子供の頃から僕の気に入っている場所なんだ」
 座ってからも黙って遠くを見詰めているイベリスの隣で、レンは話始めた。
「イヌワシの岩っていうんだよ」
 レンがそう言うと、イベリスが僅かに反応する。
「そう。カリンがあの空の魔物……アイリスさんを浄化した場所。彼も、此処が好きだったのかな」
 レンは膝を抱えてその上に顎を乗せた。
「子供の頃、もやもやするとひとりでよく此処に来た。その後此処にカリンを連れてきて、此処はカリンとの思い出の場所になった。でも、カリンがマカニに居る期間はほとんど無くて、その後も僕はよくひとりで此処からアグィーラのを眺めた。そうすると、自分が何をすべきかが分かる気がしたんだ」
 イベリスは黙ってレンの話を聞いている。
「僕が十五歳の頃、風の強い日に強風に煽られて山肌の亀裂に落ちたことがあるんだ。普段あまり行かないようなところだから誰にも見つけてもらえないと思った。僕は足を岩に挟まれていて動けない。冷たい雨が降っていた。自分は此処で死ぬんだと思った」
 話しながらレン自身がその時のことを鮮明に思い出していた。
「その時もカリンが助けてくれたんだ。意識を失っている僕を背負って岩を降りる時、雨に濡れた山肌で足を滑らせて両手は傷だらけになった。それでも僕を診療所まで連れて行ってくれて、レンが助かって本当に良かったって笑った。僕がそれを知ったのは目が覚めた後で、カリンはその場には居なかった」
 イベリスがレンの方を向いたのでレンは笑顔を返す。イベリスは笑ってはいない。
「カリンが僕を助けてくれたように、僕もカリンを助けたいって思っていたのに……その後、例の夢のせいでひとりで泣いているカリンを見て、僕は自分の苦しみをぶつけてしまった。どうしてカリンはひとりで闘うんだって言って、自分の苦しさを見せつけてカリンを傷つけた。カリンが夢で苦しんでいたのは僕のせいだったのに」
 レンは笑顔でイベリスの顔を見たまま続ける。苦い思い出な筈なのに、笑顔で居られる自分が不思議だった。
「更に僕はカリンを傷つけたことに動転して、心配してくれるおじさんもおばさんも、仲間たちにも会いたくないと言って部屋に閉じ籠もった。そうしたら族長が尋ねてきた。さすがに断れなくて、僕は族長と話をした」
 最低だろう? と言ったがイベリスは答えなかった。レンも答えを期待していたわけではないので先を続ける。
「大切なものができることは苦しい。その時、族長が教えてくれたんだ。今ではカリンと僕の合言葉みたいになってる」
 再び僅かにイベリスの表情が動いた。
「苦しいけれど、大切なものが在る幸せの方が大きい。それは、苦しみも含んだ上での幸せなんだって」
「……そうか」
「うん。……でもね、カリンはずっとその苦しみばかりを味わっていた。僕が言うのも何だけど、大切なものができてすぐにそれを失う夢を見た。その大切なものを守りたくてずっと苦しんでばかりいた。でもそれは、やり方を知らなかったからなんだと族長は言った。カリンは自分の親にも恐れられていた。だから子供の頃から親にも頼らず全部自分で背負って生きて来た」
 イベリスは真剣な眼差しでレンの顔を見ている。
「似てるだろう? 君たち、そっくりなんだ」
「……似ているのかな」
 レンは頷く。
「僕には両親は居ないけれど、大切にしてくれるおじさんとおばさんが居た。族長も、マカニの仲間たちも居た。カリンに出逢って、僕は随分甘えて育ったのだと知った」
「そうは、見えないけどな」
「それは、甘え方を知った上で、出来るだけ甘えないようにしようとしているからだ。君たちは甘え方を知らない」
 レンは抱えていた膝を伸ばして空を見上げた。真上には雲ひとつない青空が広がっていた。鳥の影さえ無かった。
「カリンはヨシュアさんに出逢った。族長にも、マカニの仲間にもね。けれど、未だにうまく甘えられない。だから、この間みたいになる」
 闇を浄化した後、カリンはひとりでアルカンの森に閉じ籠もってしまった。
「イベリスは、未だに誰にも甘えられないと思っているんじゃないかな」
 レンはイベリスの顔を見た。じっと考え込むような表情をしている。
「直ぐには無理だと思うけど、まずは認めるところから始めれば? ポハクの人たちは知らない。でも、少なくとも僕とカリンには頼っていい」
 どう? とレンは尋ねた。
「……お嬢ちゃんが、お前じゃなきゃ駄目な理由がよく分かった。……俺では駄目だった理由も」
「そう? まあ君たちは似すぎているからね。二人で居たら二人で沈んじゃうかも。……でも、今話していて気がついたけれど、僕の話の要は全部族長の受け売りだ」
 レンは自分でも可笑しくなって笑う。
「いや、それでも俺はそれをお前の口から聞いたからこそこうして考えているんだ」
「それなら良かった。マカニの族長は凄いんだよ。シヴァさんも凄い。勿論カリンも。カリンは自分のことは弱いけれど、他の人のことになると誰よりも強い。僕は、皆が居ないとやっていけない。最近、そこにイベリスが加わった」
「俺が?」
「うん。君が居ると僕の生活は楽しくなる。それは、君にしかできない。人の人生を楽しくできるって凄い才能だよ。感謝してる」
 不意にイベリスが柔らかい笑顔になった。
「お前の心は真っ直ぐなんだな。悪い意味ではなく。迷っても、ひとりで此処に来ればまた自分の道に戻って行ける。それも大きな才能だ」
「似たようなことを、カリンにも言われた。僕はいつも自分の道を自分で見つけて進んでるって。でも、それはカリンのおかげなんだ。カリンが僕に進むべき道を教えてくれる」
 レンはカリンとした大地の話を思い出した。カリンはひとり、道もない荒れた大地を癒して回っていた。レンは癒された大地を、カリンの背中を追って進んでいるだけだ。イベリスは……イベリスの大地はポハクの砂漠の砂のように不安定なのだ。踏みしめた途端、足元から崩れ落ちていく。
 ふとイベリスを見ると、イベリスは空を見上げていた。その頬に、光るものが見える。レンは気がつかなかったふりをして前を見た。
 大分陽が傾いてきていた。これから夕方に向かう午後の光の中、アルカン湖の湖面が白っぽく見える。朝日の中の雲海みたいだとレンは思った。虹はもう消えていた。
「人前で涙を流したのは随分久しぶりだ。子供の時以来だな」
「なんだよ。気がつかないふりをしてやったのに」
「気がついてほしかったんだよ」
「……それならいい」
 レンはイベリスの顔を見て笑った。イベリスも笑っていた。それは、心からの笑顔に見えた。
「すっきりした?」
「随分な」
「じゃあ、カリンの所に戻ろうか。多分、診療所に居るんじゃないかな」
 イベリスを乗せて診療所の近くの飛行台に降りる。便利だな、とイベリスは笑った。
 カリンは思った通り診療所に居て、アルカンの森で採ってきたらしい薬草を処理していたが、二人の顔を見ると駆け寄ってきて二人を同時に抱きしめた。
「二人とも大好き」
 カリンには解ったのだとレンは思った。レンとイベリスも片手ずつカリンの背中に手を回し、三人で暫く抱き合ったままで居た。
「おい、お嬢ちゃん。薬草は放っておいて大丈夫なのか?」
 イベリスが尋ねる。
「うん。ちょうど終わったところ」
 カリンが笑顔で答えた。
「カリンに無茶をさせたのはそこの二人か」
 ラウレルが渋い顔で言い、レンはイベリスと顔を見合わせる。カリンがふふふと笑った。
「先生。寧ろ二人は私を止めようとしたのに私が止まらなかったのよ」
「止められなかったやつは同罪だ。お前も薬草の処理が終わったのなら早く傷を診せなさい」
 カリンはくすくす笑いながら処理が終わった薬草を取りに戻った。
「なあお嬢ちゃん、見ててもいいか?」
 薬草から取り出したらしいどろっとした液体を脇に置き、ラウレルに傷を診せようと座ったカリンにイベリスが尋ねる。傷が診やすいように長い髪をくるくると巻いて止めようとしていたカリンの手が止まる。
「構わないけれど……」
「目に焼き付けておきたいんだ。今後のために。俺はもう大丈夫だ」
 イベリスの笑顔に安心したのか、カリンは頷く。イベリスがラウレルの背後に移動したのでレンも隣に並んだ。
 カリンは自分で服を脱ぎ、包帯を解いた。きれいな白い肌に明らかに異質な赤黒い傷痕が斜めにくっきりと浮かび上がっている。
 くっつき始めて少し盛り上がった傷痕は傷ついた直後よりも痛々しく見えた。
 ラウレルが一瞬息を呑み、大げさな溜息をつく。しかし、そのまま何も言わずに淡々と傷を洗浄し始めた。カリンの処理した薬草に布を浸し傷口に貼っていく。その布ごと包帯で固定した。
 処置が終わると、カリンが恐る恐る後ろを振り返って叱られた子供のような顔でラウレルを見る。レンからはラウレルの表情は見えないが、おそらくしかめっ面をしているだろうことが分かった。
「ありがとうございます」
「……呆れてものが言えん」
 ラウレルはもう一度大げさな溜息を吐いた。
「族長に報告するからそのつもりでおれよ」
 そう言ってカリンをじろりと見る。
「はい……」
 ラウレルはぶつぶつ言いながら診療所を出て行った。
「先生は私のこと心配しているのよ」
 言い訳がましくイベリスに説明するカリンが可笑しくてレンは思わず笑いを漏らす。
「分かってるよ」
 イベリスも笑ってカリンの頭をポンポンと叩いた。そしてそのままカリンの頭を引き寄せる。
「カリンごめんな。それから、ありがとう」
「うん。でも、まだまだこれからよ」
「それも分かってる。俺は、漸く始めの地点に立ったんだ」
 カリンはイベリスから身体を離して頰に軽く唇で触れた。
 そして今度はレンを抱きしめる。
「レン、ありがとう」
「どういたしまして」
 二人は軽く唇を合わせた。
「どんな魔法を使ったの?」
「イヌワシの岩とやらでレンに口説かれたんだよ。俺はもう少しで落ちるところだった」
 カリンの問いにイベリスが割って入る。
「どうやって口説かれたの?」
 カリンはくすくす笑って訊いた。
「俺とカリンは似てるんだそうだ」
「似ているの?」
 カリンはレンの顔を見て首を傾げる。
「甘え方を知らないところはそっくりだ。他人のことはもの凄く気を遣うのが上手いのに、自分のことになると途端に不器用になる。二人きりにしておいたら心中しかねないから、僕が居ないと駄目だと言ったんだ」
 レンは笑ってそう答える。
「心中……」
 カリンはそう言って考え込んでしまった。
「カリン? 冗談だよ?」
「……ああ、そうか。順番が反対なのだわ」
「どうした?」
 イベリスも心配そうに尋ねた。
「ごめん。何でもない。さて、それではこれからの作戦を練りましょう」
 カリンが笑って言う。
「夕飯でも食べながらね。食堂に行こう」
 レンはほっとしてそう提案した。
「レンの意見に賛成だ」
 イベリスも頷く。
 イベリスの言うとおり、まだレンたちは謎の入口に立ったに過ぎない。ひと月、カリンはそう言った。この先、忙しいひと月になりそうだ。
 診療所を出ると、空は美しい夕焼けに染まっていた。三人は連れ立って食堂への階段を下って行った。 

鳥たちのために使わせていただきます。