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物語の欠片 金色の馬編 2

-レン-

 マカ二からポハクまでは直線距離で飛べばレンは三時限、追い風なら二時限と半刻程で到着できるだろう。しかし、カリンがガイアに乗って行くというので遠回りをした。
 エルビエント山脈を下り、アルカン湖沿いを暫く進む。其処から西に向かって真っ直ぐ駆けるといつの間にか砂漠に出る。砂煙の向こうに大きなポハクの町が見えた。
 町の入口でイベリスが待っていた。飛んでいるレンを見つけて大きく手を振る。レンも手を振って応えた。
「ガイアは一度厩舎に預けよう。先ずは族長の家に案内する」
 ポハクの町は賑やかだ。砂漠で採れる様々な鉱物や貴石を中心に貿易や商売が盛んで、沢山の店が道の両脇に並んでいる。店と言っても雨の少ないポハクの街では日除けの屋根と布を敷いただけの簡易な店構えが多く、冬は雪の降るマカニの村とは随分違った。
「騒々しいだろう?」
 歩きながらイベリスが振り返って言う。人の往来も多いのでぶつからないように縦一列に並んで歩いた。
「賑やかだね。村とは随分違う」
 一番後ろを歩くレンは喧騒に負けないように大きな声で答える。カリンは物珍しそうに辺りを見回していた。
 イベリスの顔見知りらしき人々から時々声が掛かるのをイベリスは手を上げて簡単にあしらっていた。村人全部が知り合いのマカニとはまた違った人間関係が繰り広げられている。
「お嬢ちゃん、埃っぽくないか?」
 イベリスがカリンに気を遣い、カリンは笑顔で大丈夫と答える。カリンはレンを振り返って、「翼、熱くなってない?」と尋ねた。
「お前の髪の色はポハク向きじゃないな」
「そうみたいだね」
 陽射しが強く、実際レンの黒い髪や藍色の翼は既に熱を持っていた。
 カリンが自分の鞄から薄くて柔らかい薄紫色の布を取り出して、レンの頭から被せてくれた。
「少しはましかしら」
「ありがとう」
 ポハクの族長の家に入り、陽射しが遮られるとほっとした。
 レンがカリンに借りた布を返そうとすると、持っていていいよと言われたので綺麗にたたんで自分の懐にしまった。薄いので邪魔にならない。
 ポハク族長の館は白っぽい石で造られている。家の内側はひんやりとして気持ちが良い。以前行ったネリネの住むフエゴ地方は、同じ石作りでも黒っぽく堅牢で要塞のように見えたが、此処は広々として開放的だった。
 族長のパキラは、植物を編んで作った涼やかで大きな椅子にゆったりと腰掛けていた。
「風の化身殿とカリン殿、久しいな。その節は随分と世話になった。今回も、そこのお調子者が口を滑らせたせいで迷惑をかける。エンジュには頭が上がらんな」
 パキラは機嫌良さそうにそう言ってイベリスをじろりと見た。イベリスは慣れているようで、動じない。
「族長よりよろしくお伝えするよう申し遣いました。こちらこそお世話になります」
 レンは頭を下げた。
「族長。風の化身じゃなくてレンって呼んだらどうですか?」
 イベリスが言うとパキラは頷いた。
「お前の言うとおりだな。レン殿、すまぬ」
「いえ。呼び易いようにお呼びください。ただ、本日は公務ではなくイベリスの友人として此処に来ております」
「ほう、お前に友人ができたか」
 パキラは面白そうにイベリスを見る。イベリスは答えずに腕組みをして横を向いた。
「お二人はお前の家に泊まるのだな?」
 パキラはイベリスの様子は気にしていないようで質問を重ねた。
「そのつもりです」
 イベリスは横を向いたままで答える。
「失礼のないようにな」
「だからレンたちは公使ではなく……友人として来てるんです」
  パキラはふんと鼻で笑う。
「……あの、ポハクの族長様」
 それまで黙っていたカリンが口を開いた。
「何だカリン殿。そういえばそなたら祝言をあげたのだったな。祝いの言葉が遅くなってしまいすまないが、心から祝福しよう」
 パキラはひと息にそう言い、カリンは笑顔でありがとうございます、と答えた。
「族長様は、馬の姿をした魔物のことをどのようにお考えですか?」
「どのようにとは?」
「これまで見たことがないような魔物だと聞きました。何故、突然そのような物が現れたのか、お心当たりはありますか?」
 パキラは首を横に振る。
「心当たりがあれば苦労しない。……そもそも町に被害が出ているわけではない故、俺はそんなに問題視していなかった。イベリスは妙に気にしているみたいだがな。ただまあ、怪我人は出ているようなので原因や対処方法が分かれば有難いことは有難い」
「そうでしたか。ありがとうございます。わたくしも、実物を拝見しないことには何とも申し上げられませんが、このまま町に被害が無いことを祈っております」
 カリンはそう言って頭を下げた。パキラはその姿をじっと見詰めている。その視線に気がついたカリンが不思議そうな顔をするとパキラは視線を逸らし、イベリスの方を向いた。
 イベリスは相変わらず腕組みをして横を向いたままだ。いつも明るいイベリスがずっと黙り込んでいるのでレンは不思議に思った。

 族長の家を出ると、イベリスはいつもの調子に戻った。レンが理由を尋ねると、イベリスはひと言「苦手なんだよ」と嫌そうに言った。
 時刻は丁度昼時で、辺りには様々な食べ物の匂いが入り混じっていた。
 太陽がほぼ真上から照りつけている。レンはカリンから借りた布を頭から被った。
「この時間に砂漠に出るのは自殺行為だ。明日の朝一番で行くとして、とりあえずうちに向かおう」
 ポハク族は婚姻関係を結ぶと、女の方の家族の家の敷地内に住むのが基本だという。
 イベリスの家の敷地も大きく、同じ敷地内でイベリスの姉夫婦が暮らしていると教えてくれた。敷地が広いので同じ敷地内に居てもほとんど顔を合わせないのだそうだ。
 イベリス自身は一番大きな母家の一角に暮らしている。同じ母家に母親が住んでおり、父親は居ないとイベリスは短く言った。レンとカリンはイベリスの母親に簡単な挨拶をしてイベリスの部屋に行った。顔立ちはイベリスとあまり似てはいないが、品のある綺麗な人だった。
「寝る時は隣の部屋を使ってくれ」
「広いお家ね」
「土地は沢山あるからな」
「町中はあんなにお店がひしめいているのに」
 カリンとイベリスが話すのを聞きながらレンは大きな窓から見える中庭を見ていた。緑が綺麗に植えられていて、其処だけ見ていると此処が砂漠の中だとは思えない。
「どうした、レン。暑さにやられたか?」
 ぼうっとしているレンにイベリスが声をかけた。
「いや、大丈夫。緑が綺麗だなと思って」
「人工の森だよ」
 イベリスが笑う。
「そういや、お嬢ちゃんは砂漠にも緑を生やせるのか?」
「やったことないけど、多分駄目なのではないかしら。元々の土壌がないと」
「なるほど」
 結局その日はそのままイベリスの家で過ごし、翌日日の出と共に死の砂漠へ出発することにした。カリンとイベリスは馬で行く。ポハクの馬は、砂漠を歩き易いように特別な蹄鉄がついている。イベリスはガイアにもつけるかと訊いたが、カリンは首を横に振り、そのままで大丈夫だと思うと答えた。
 食事はイベリスの母親とは別々に食べた。それがいつもなのか、客人に遠慮したのか分からない。何となくイベリスは家族のことを話したくなさそうな雰囲気だったので特に訊くことはしなかった。

 まだ薄暗い中、砂漠を更に西へ進んだ。町が途切れると、本当に一面砂ばかりだった。椰子の木が疎らに生えているが、木陰で涼を取るには心許ない。
 イベリスの馬であるアカネは、尖った鋲が打ち込まれた蹄鉄で難なく砂漠を駆けた。ガイアは最初こそ歩きにくそうにしていたが、慣れるとやがていつもどおりの力強い走りを見せた。
 途中太陽が完全に顔を出すと、朝早いというのに急激に気温が上がる。
 程なく、明らかに何か掘り出しているという場所に到着した。砂を掘るための器具が散乱しているが、それらも既に砂を被っている。
 ゆっくりと現場を見るためにわざわざ発掘隊が入らない日を選んだので、辺りは誰も居なかった。
 カリンが考古学室から聞き出した情報に拠ると、まだ目ぼしいものは何も出てきておらず、ひたすら砂を掻き出している段階のようだ。
 掘る側から砂煙が舞うので中々作業が進まない。魔物のせいで退散せざるを得ないとその日掘った分が丸々埋まってしまうこともあるらしい。なんとも気の遠くなるような作業だ。
 カリンはガイアを降りてその砂が陥没しているように見える発掘痕の前に立ち、じっと何かを考え込んでいる。
 暫くするとその場に膝をついて手で砂を掬った。カリンの掌からさらさらと砂が落ちる。
 カリンは砂のついた手をはたくと、目を閉じた。カリンの手が緑色に光る。カリンはその手でそっと砂の大地に触れた。
 大地はその光を受けて僅かに緑色に光るが、何も起こらない。
 やがてカリンは目を開けてレンとイベリスの方を見た。
「やっぱり駄目みたい」
 と言って笑う。
 カリンは砂を払って立ち上がると辺りを見渡した。もうポハクの町も見えない。見渡す限り砂だった。気がつけば先程まで疎らに生えていた椰子の木さえ見当たらない。
「こんな所でよく迷わないね」
 レンはイベリスに向かって言う。
「発掘隊は方位磁石を持ってるみたいだぜ。俺は砂の流れと太陽の位置で大体方角が分かる」
「それは偉大な才能だね。空から見ても、どこまで見とおせるか……」
 空を見上げて太陽に目が眩んだ。早くも太陽はレンの髪や翼をじりじりと熱し始めていた。
 大きな馬の魔物が現れる時間帯に今のところ規則性は無いようだ。朝早く現れることもあれば、昼頃のことも夕方のこともあったらしい。こんなに見晴らしがいいのに、現れる時はいつの間にか傍に来ているという。
「このまま此処に居るの?」
 こんなに何も無いところだとは思わなかった。せめて発掘隊の天蓋でも在れば陽射しを防ぐことができるのだが、あいにく見当たらなかった。
「長居はしない方がいいな」
 イベリスも頷いてカリンの方を見た。カリンはまた何か考え込んでいる。カリンの場合、倒れるまで自分の不調に気がつかないこともあるのではないかと心配になった。
「もう少し先の方の様子を見てくる」
 イベリスが言い、軽々とアカネに跨って駆けて行った。周りに何も無いのでその姿は遠くまで見える。
 その姿をぼんやり見ていると、突然視界が遮られた。急に吹いた突風にに砂が舞いあげられたのだ。レンはかろうじて砂が目に入るのを両腕で塞いだ。
「レン、後ろ!」
 カリンの声がして後ろを振り向くと、そこに大きな黒い影があった。
 影が動く。思ったより動きが早い。
 大きな前足で踏まれそうになるのを後ろに飛んで避けた。背中から弓を取ろうとして目眩がする。レンは思わず膝をついた。
 そのレンの頭上を何かが飛び越えた。顔をあげると目の前にカリンの背中が見えた。
 カリンは大きな影の脚に向かって剣を振り下ろす。確実に当たった筈なのに影は怯まない。
 一度後ろに下がったカリンは大きく跳躍して、今度は影の首筋から斜めに斬りつけた。
 すると影は大きく前脚を振り上げ、まだ体勢の整わないカリンの身体に振り下ろした。
 カリンは身を捩ってそれを紙一重で避け、その反動を使って再び大きく跳躍した。今度は影の鬣を左手で掴み、大きな馬の魔物に騎乗した。
 馬は跳び上がってカリンを振り落とそうとする。カリンはその首筋に剣を突き立てた。鬣を掴んでいた左手を離して両手で剣を握る。馬の影はしばらく暴れていたが、突然消滅した。
 レンは膝をついたまま動けなかった。馬の背に乗っていたカリンは、影が消滅してそのままレンの目の前に着地した。
 ありがとうと礼を言おうとしたレンの身体に、カリンの身体が崩れ落ちてくる。
 何が起きたか分からず、レンはカリンの身体を抱き止めた。背中に回した手にぬるりとした手応えがあった。
 恐る恐る自分の手を見ると、赤い血がついている。レンは背筋が冷たくなるのを感じた。
「お嬢ちゃん!」
 戻ってきたイベリスがアカネから飛び降りて駆け寄ってくる。その顔が蒼白だ。レンは身体が震えて声が出ない。
 その時、耳元で微かにカリンの声がした。
「イベリス……」
「此処に居る」
 名前を呼ばれたイベリスはレンの横に膝をついてカリンの顔に自分の顔を寄せた。
「わたしの、鞄の中に、包帯がある。……服の上からでいい。止血、できる?」
 イベリスは言われたとおり鞄から包帯を取り出すとカリンの肩口から背中にかけて包帯を巻こうとした。
「もう少し……つよめに……」
「分かった」
「うん、それ……で……いい」
 レンはカリンの身体を支えたまま動けない。身体に力が入らなかった。
「終わったよ」
 イベリスがカリンの耳元で言うと、カリンはゆっくりと顔をレンに向けた。
「レン……」
 レンは声を出すことができない。
「わたしを、抱えたまま、ガイアに乗って」
 気がつくとガイアが傍に立っていた。
「飛んでは、だめ……よ」
 カリンの顔を見ると、苦しそうな声とは裏腹に微笑んでいた。 
 レンはカリンを抱えて立ち上がる。立ち上がると再び眩暈がした。なんとか身体を支えてガイアの横に立つ。すると、ガイアが膝を折って座った。
「優しい子……」
 レンの腕の中でカリンが言う。
 座ってくれたガイアの背中に跨ると、ガイアはレンたちを振り落とさないように立ち上がったが、砂に脚を取られて一瞬バランスを崩す。しかし、なんとか踏ん張った。
「とりあえず医師のところに連れて行こう。」
 アカネに騎乗したイベリスがそう言って先に走り出す。レンが何もしなくてもガイアはその後を追って走り出した。
 レンは何も考えられず、ただ左手で手綱を持ち、右手でしっかりとカリンの身体を抱いていた。

鳥たちのために使わせていただきます。