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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 11

-レン-

 カリンがリクニスや局長たちと話し始めたので、レンは隣に座ったアジュガと話をすることにした。アジュガは王配であるローゼルの父親としてアグィーラの王室に入ってから一度だけ上皇の供でマカニへ来たことがある。しかし、レンがゆっくり話をするのはワイの旱魃の時以来だった。その頃アジュガはまだ傭兵としてワイの警護に派遣されていたのだ。
 長年ワイで傭兵隊長を勤め上げたアジュガは、戦士としての腕も確かだそうだが、その人柄も魅力的だった。力で部下を従わせる種類の隊長ではなく、柔らかな物腰で話を聞くのが上手く、いつの間にか相手の懐に入ってしまう。実戦で剣を振るっているところを見たことは無いが、きっと剣捌きも柔らかいのではないだろうか。力で押し切るイベリスの剣や、真っ直ぐで速く正確なローゼルの剣とはまた別の強さを想像した。
「今年はレン殿が居て良かった」
「そう言っていただけると光栄です。軽い気持ちで出席しましたが、少々場違いかもしれないと思い始めていたところでしたので」
「これでも略式なんだよ。このメインの料理が終わったらあとはあちらで立食になる。そうなれば席順は関係なく好きな相手と話ができるのだが、私の場合、そもそも話が合う相手というのが傭兵局の人間くらいしか居ない。それも皆元上司だ。話ができなくはないが気を遣う。その点、レン殿はいい」
「傭兵隊長というのは、官吏の位で言うと上級官吏にあたるのですか?」
「そう。一応上級官吏だ。傭兵局の場合は他の局のように試験があるわけではなく実績が認められれば上級官吏になれるんだ。しかし各部隊の傭兵隊長や戦士隊長は、同じ上級官吏でも室長より位は低い」
「上級官吏や中級官吏の間でも細かく位が分かれているのだという話は最近知りました」
 アジュガはここで少し声を落とした。
「ほら、官吏服の色だけでなく傭兵局だとあの肩当て。その他の局だと官吏服の襟元を見れば分かる。星の数が違うだろう? 位が上がればひとつ星が増える。よく見ると星の意匠が局で微妙に異なっていてね、カリンのように局を跨いでいる者もそれを見れば一目瞭然だ」
「知っていれば一目瞭然ですが複雑ですね。マカニにはせいぜい黒い翼と赤い翼が特別だというくらいしかありません」
「ははは。そうだね。人数が多いと、ある程度序列があった方が纏まりやすいのだろうよ」
「そういえば、ポハクも序列が厳しい」
「ああ、そう聞くね。ラプラヤにはあまり行ったことがないんだ。その辺りの話も聞きたいな」

 アジュガの言っていたとおり、メイン料理の皿が片付けられると、まず四人の町人たちが席を立った。そのまま四人で連れ立ってローゼルの元へと向かう。ローゼルは気を遣うなと言ったが、祝辞を述べに行くのだろう。
「私たちは最後に」
 カリンが身を乗り出して小声で言うので、レンは黙って頷き返した。懐に手を遣って族長からの書簡の存在を確かめる。
 四人の町人たちはローゼルへの挨拶を終えるとレフアと上皇に最敬礼をした後でリクニスの元へとやって来た。見るとはなしにその様子を見ていると、随分と親し気である。王子時代のリクニスを知る者たちなのかもしれない。
 前もって順番が決まっていたわけでもないだろうが、続いて傭兵局の面々、建築局長プリムラと文化局長のランタナ、そしてナウパカ。その後にツツジとシェフレラが続き、漸くレンとカリンは席を立った。アジュガも一緒である。
「お前たちまで形式ばった挨拶は止めてくれ」
 ローゼルが真面目な顔で先手を打ったので、レンは笑ってしまう。
「形式を重んじていたわけではなくて、順番を待っていただけだよ。最後の方がゆっくり話せそうだろう? おめでとう。あれ、公式の場では敬語を使うべきなんだっけ」
「不要だ」
「この席にそうやってじっと座っているからそうなるのではない? あちらへ行きましょうよ」
 レフアがくすくす笑いながら先に席を立ち、思い思いに談話ができるように何箇所かにしつらえられている、柔らかそうな椅子と小さなテーブルを指差した。カリンは上皇に声をかけられて行ってしまったので、四人で小さなテーブルを囲むと、すかさず給仕係が飲み物の希望を尋ねに来た。
「大人数での晩餐会も凄いけれど、小さい宴も凄いね。少しも放っておいてもらえない感じがする」
 レンが素直な感想を述べると、レフアは再びくすくすと笑う。
「貴重な意見だわ。執事室に伝えておく」
「冗談だろう? 僕がこういう場に慣れていないだけだよ」
「そういうお客様にもくつろいでいただける環境を作るのが招待側の役目でしょう? 自分たちのもてなしを一方的に押しつけてはいけないわ」
「それは俺からもお願いしたいくらいだ」
 ローゼルがぼそりと呟いた。
「貴方は招待する側よ」
「宴のことだけを言っているわけではない」
「そうねぇ。私も、放っておいてほしいと思うことが無くもないけれど……ああでも、ディルなどはわたくしの匙加減は解ってくれているのよ。ローゼルはまだ難しいのでしょうね」
「ローゼル。お前は感情表現が乏しいから、執事殿たちも自分たちのやっていることへの評価が分かりにくいのではないか? もう少し意思表示してあげればいい」
 アジュガの意見に、ローゼルは少し考えるような間を置いた後で黙って頷いた。確かにこれでは、ローゼルをよく知る人にしか意図が伝わらないだろう。
 レフアは少し話をした後で席を立ち、参列者たちにまんべんなく声をかけて行った。決して無理をしているようではないその自然な立ち居振る舞いに、レンは感心する。生まれながらにして王家に居るとは、こういうことなのだろう。出会ったばかりの頃の、まだ頼りなさげな姫だったレフアを懐かしく思った。
「俺は行かなくていいのかと思うだろう?」
 ローゼルの言葉を、レンは「特には思わないけど」と一応否定してみた。
「レフアは無理しなくて良いと言ってくれる。自分は苦ではないのだと。しかしそれにどこまで甘えていていいのかはよく分からない」
「いいんじゃない? ローゼルはそういう王配なんだって最初にみんなに解ってもらった方が後が楽な気がするよ。だから、レフアがいいって言うならいいんじゃないかな」
「なるほど」
「つい最近シヴァさんと、上に立つ者の責任と覚悟っていう話をしたんだ」
「ほう」
「人の上に立つ覚悟の無い者が、上に立つ人に不満だけをぶつけるのは違うんじゃないかっていう話。でも反対に、上に立つ人もその責任から逃げてはならないって。ローゼルは多分、僕が想像できないくらい大きな覚悟を持って今の立場に居るんだと思うんだ」
「覚悟……は、確かにしたが、責任範疇が分からない。だから自分が逃げていないかどうかも分からない」
「ああ……」
「相変わらずお前は真面目だな。悪いことではないが、どうしても視野が狭くなる。時には大局を見ることも大切だ」
 穏やかに語るアジュガの顔をローゼルは睨むように見たが、これは驚いている表情なのだと以前カリンから聞いたことがあった。
「余裕を持て」
「余裕……」
「レン殿を見習うといい」
「私は、余裕があるわけではなく、複雑なことが考えられないので無理矢理取捨選択しているだけです」
「そういう削ぎ落とし方もある。それはそれで立派なことだ。捨てることにも覚悟が必要だろう? 人はどうしても、取っておけるものは取っておきたくなる生き物だ」
 ああそうか、と、レンはアジュガの言葉の意味するところを理解した。ローゼルは元々責任感が強く、自分が関わったことにはとことん関わってしまう性格なのだ。だから大切なものを増やさないように注意深く生きていた。そんな生き方をしていたローゼルが、いきなり家族が増え、しかも王配という、国全体が関係者と言えなくもない地位に就いた。
 同時にローゼルの「少しは放っておいてほしい」の重みも感じる。
 本当はひとりで居たかったのに……。
「えっとね、僕は人からの受け売りの言葉ばかりなんだけどさ」
 ローゼルの方を向いてレンは口を開いた。ローゼルの真っ直ぐな瞳がそれを受ける。
「ある時族長がカリンに言ったんだ。全てを守れないからといって全てを棄ててしまうなって。ローゼルの場合はカリンと違って棄てることもできずに、ずっと自分ひとりで抱え込んでしまうんだと思うんだけど、族長の言いたいことは、棄てるなっていうことではなくて、全てを守り切れないことは決して悪いことではないってことだと思うんだよね。守れるものを守っていけばいいっていうことだと思うんだ」
「マカニの族長か。いい言葉だな。敢えてもうひとつ付け加えるとしたら、全てを守ろうとして守り切れず全てを壊してしまうより、守れるものを守っていった方が被害が少ない。特に国のような大きなものが相手の場合、時には全体最適を取らざるを得ないことがあるということだ」
 アジュガが言い終えると、眉根を寄せて聴いていたローゼルの表情がふっと緩み、その顔には笑顔が広がった。レンはローゼルが時折見せるこの素直な笑顔が好きだ。
 ちょうどその時、皆に声をかけ終えたのであろうレフアと、上皇とリクニスとの話を終えたらしきカリンが連れ立って戻ってきた。レフアが、あら楽しそうね、と微笑む。ローゼルがそれに応えて言った。
「ああ。とてもいい誕生日だ」
「ほら。だから毎年化身の皆も誘いましょうって言っているでしょう? せめてカリンとレンには来てもらったら?」
「それはまた考える」
「またそんなことを言って……」
「あ!」
「どうしたの、レン?」
「ごめん。族長の話をしたくせにすっかり忘れてた。族長から書簡を預かっているんだ」
「まあ」
 書簡を受け取ったローゼルはそれをその場では開かず、そのまま大切そうに懐に仕舞った。
 その仕草を見ながらレンは何となく思った。もしかしたらあの書簡には、先ほどレンが語ったようなことが書かれてあるのかもしれない。レンがわざわざ語らなくても、族長はローゼルが悩んでいるだろうことや、ぶつかっている壁のことなどお見通しだったのではないか。しかしそれを確かめる術は無い。それはそれで良かった。
 そして今日、ローゼルの祝いの席に出席出来て良かったと思ったのだった。この、常に相手の心の奥を量らなければならないような場所で、自分はおそらくローゼルにとって気の置けない仲間のひとりでいられるはずだ。自分の存在が、一瞬でもローゼルに息をつくことのできる間を与えられるならば、来た甲斐があったというものだ。
 これからは誕生の宴以外でも、ローゼルの時間を無駄に奪わない程度にローゼルに声をかけてみようと思った。

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