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物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 8 ネメシアの話

-ネメシア-

「いらっしゃい……あ、なんだイベリスか」
 イベリスはネメシアのいつもの反応を、片手を上げるだけの挨拶で受けて注文を告げた。朝は朝食を摂りに来る人と昼食を買っていく人とでごった返して忙しい時間帯が多いのだが、その日のその時間帯はぽっかりと穴が空いたように人波が途絶えていた。
「カリンとレンは次いつ来るの?」
 厨房の父親に注文を告げた後でイベリスに尋ねる。
「知らねぇよ。レンの怪我は治ったらしいが、カリンは相変わらずあちらこちらの問題に首をつっこんでいるらしい。忙しいんじゃねぇ?」
「貴方はいいわよねぇ。自分が会いたくなったらマカニへ行けば良いのだもの」
 お前だって行こうと思えば行けるだろうと言われたら、一緒に連れて行けと言うつもりだったのだが、期待した言葉は返ってこなかった。
「まあ……いつかは来るさ」
「それがいつなのかを知りたいって言ってるのよ。分からない人ねぇ。今度……」
「あ?」
「なんでもない」
 今度マカニへ行く時には連れて行って。そう言いさえすれば済む話なのだが、断られるのが怖かった。一度断られてしまったら、その後の可能性が消えてしまう。ここは慎重にことを運ばなければならない。これは、イベリスが断りずらい場面で発するべき言葉だ。
「変な奴。今に始まったことじゃないけどな」
「貴方ほどじゃないわよ」
「はは。そりゃ違いない」
 どこまで本気か分からない答えに、ネメシアはあからさまに不満そうな表情を作ってみせた。友達になると宣言したくせに、イベリスは一向に心を開いてくれようとはしないのだ。

*****

 店に通い始めて暫く経った頃から、イベリスは大勢の取り巻きを連れて店を訪れるようになった。仲間とか友達というよりは取り巻きと呼ぶのが正確だと感じたのは、ネメシアの穿った見方だろうか。そんなイベリスに、ネメシアはついつい以前よりもぶっきらぼうな口調になってしまうのだった。
「なんなの、あれ」
 注文を告げるために厨房へ入ったネメシアは、父親であるヒソップに不満を漏らした。 
「毎回あんな風に客を連れてきてくださって有り難いじゃないか」
「あんな取り巻きみたいな人たち……」
「おい」
 ヒソップは調理の手を止めて諌めるような表情でネメシアを見詰めた。
「何よ。お客だったら誰でもいいわけ?」
「そんなわけないだろう? お前、気がついてるか? イベリス様が連れてきてくださる人間のほとんどは毎回違う人たちだ。イベリス様についてくる人間の方は取り巻きなのかもしれないが、イベリス様は決して自分をおだててくれる特定の人々に囲まれていたいわけじゃないんじゃないかな。あれは純粋に、この店を色々な人に紹介したいという気持ちでやってくださっているのだと俺は思うがな」
「そ……じゃあ、あの調子のいい喋りっぷりは何なのよ。ひとりでここに通っていた時とは全然雰囲気違うのよ?」
 最初に店で話したイベリスは、「族長の息子」という肩書から想像していたよりもずっと気さくだった。しかし、今大勢に囲まれて、何を話すにもおどけたように笑いを振りまいているイベリスは、気さくを通り越して調子に乗っているとしか思えない。ネメシアには、イベリスが族長の息子であることをいいことに、取り巻きを従えているようにしか見えないのだった。
「どちらが本質か分からないだろう? ひとりになりたかったからここに通っていたのかもしれないじゃないか。族長の息子ってのはどうしても色眼鏡で見られて、なかなか落ち着ける場所が無かったんだろうよ」
「父さんはどうして普段厨房に居るくせにそんなことに気がつくのよ」
「ずっと見ていなくたって分かるさ。……と言っても、まあ、イベリス様についてはちょっと気になって、他の客よりはよく見ていたつもりだ」
「ふぅん」
 そう言われてもすぐに態度を変えられる筈もなく、ネメシアはイベリスたちのテーブルに淡々と料理の乗った皿や飲み物を運ぶ。ただ、取り巻きの顔はなるべく憶えておくようにしようと思った。これまでは、どうせイベリスに取り入っているだけで、本気でこの店の客になる気は無いのだろうと思っていたので気にもしていなかったのだ。
「何だよ。愛想のない娘だな」
 何度目かに皿を運んで行った時、ネメシアの観察するような視線に気がついたのか、取り巻きのひとりが言った。
「それは大変失礼いたしました。楽しそうにお話しされていたのでお邪魔してはいけないかと思って余計な言葉は出さずにおきました」
 一応作り物の笑顔で答える。
「ふん、生意気な。お前、幾つだ?」
「十四です」
 どうして年齢が関係あるのかと思ったが、隠すことでもないので正直に答える。男は舐め回すような不快な視線を寄越した。
「はん。ガキだな。どうりで色気の欠片もないと思った」
 流石にむっとして吐き出しそうになった酷い言葉を呑み込んだネメシアの代わりにイベリスが口を開いた。
「そういうのはやめにしよう。ここは俺の気に入りの店なんだ。揉め事は起こしたくない。誘ったのが迷惑なんだったら、この娘に当たらないで俺に言ってくれ」
「いや、そんな、滅相もない。ここの料理には満足してますよ。連れてきてもらって良かった。ただ、ちょっと……」
「うん。じゃ、食事を楽しもう。ネメシア、悪かったな。話の邪魔をしないよう気を遣ってくれていたのに」
「あ……ええと、では引き続きごゆっくり」
 この場でイベリスに礼を言うのも変だろうと思い、どうして良いか分からなくなって、ネメシアは逃げるようにその場から立ち去った。
 カウンターに戻ってからも、すぐには気持ちの整理がつかなかった。幸い母親は仕入れに出ていて、カウンターにはネメシはひとりだった。
 イベリスは自分をかばってくれたのだろうか。先程まであんなにぶっきらぼうに振る舞っていた自分を? ヒソップに向かって文句まで言っていた自分を? ヒソップの言うとおり、イベリスは店に通い始めた時のままで、態度を変えたのはネメシアの方だということなのだろうか。
 取り巻きに囲まれて調子よく振る舞っているように見えたイベリスは見せかけで、最初の頃に自分が見ていたイベリスが本当のイベリス……?
「おーい。会計しなくていいならこのまま帰るぞ」
 他の客の声にはっとして、ネメシアは慌てて余計な考えを押し除けた。そろそろ昼間の忙しい時間帯が終わる頃だ。それまでは仕事に集中しよう。

 数日後、久しぶりにイベリスがひとりで店を訪れた。わざわざ客の少ない時間を狙ったようだった。
 ネメシアの思考は堂々巡りだったが、今のところ、イベリスの台詞の中の「揉め事を起こしたくない」という部分は本音だろうという、結論とも言えないようなところで落ち着いていた。族長の息子はただでさえ噂の種になりやすい。どこかで揉め事を起こせば、噂は尾鰭がついた上でたちまちポハクの町中に広がるだろう。イベリスはこの店を守ろうとしたわけではない。ましてや、自分を庇ったわけではない。
 それでもイベリスの姿を見たネメシアの胸はドクンと大きく鼓動した。
 この落ち着かない気持ちは何だろう。
「い、いらっしゃいませ」
「この間は悪かったな」
「え? あの、何のことでしょう」
 ずっと気にしていたのに、わざと気にしていないふりを装う。
「俺の連れが失礼なことを言った」
「ああ。あんなの、客商売をしていれば慣れっこです」
「この店、そんなに客筋悪くないだろう?」
「ふふ。でも、何せポハクですから」
「それ、間接的に族長を貶める言葉じゃないか?」
「あ、いえ、その……」
「ははは。冗談だよ。何族でも、人が多くなれば色んな人がいるよな、きっと」
「イベリス様がおっしゃると冗談に聞こえません」
「それなんだけどさ……まあいいや。親父さん居る?」
「ええ、奥に……」
 と、振り返ると、声を聞きつけたのか、厨房からヒソップと母親のフクシアが出てきた。
「ああ良かった。おばさんも居た」
 ネメシアはそこで初めて、イベリスの目線が、取り巻きと居る時とは違うことに気がついた。取り巻きと居る時のイベリスは、誰かひとりを見てはいない。誰かと話している時ですらだ。今は、しっかりとヒソップの目を見て話をしていた。
「お食事をしていかれますか?」
「あ、いや、この後仕事なんだ。何か昼に食べられるもの包んでくれる? でもその前にちょっと話がしたくて」
「ではまだ客も居ないのでこちらに。飲み物だけでも飲んで行かれてください。今日も外は暑くなるでしょう」
「ありがとう」
 仕事というのは坑夫の? というヒソップの問いに頷きながら、イベリスはカウンター席に腰を下ろした。
「あのさ、まずひとつ目。時間があまり無いから率直に訊くけど、俺が連れを連れてくるの、迷惑かな。あれ、坑夫の仲間がほとんどなんだ。なるべく人選してるんだけど、中には自分からついていきたいという奴らもいて……」
「いえいえ、とんでもない。有難い限りですよ」そう言ってヒソップはちらりとネメシアを見た。ほら見たことか、とその目が言っている。「自分たちで客引きしたって、来てくれるのは色々な人が居るでしょう。イベリス様が連れてきてくださった後、ご自分でいらしてくださる方も一定数いらっしゃる。本当に有難い。ただ、イベリス様もご無理はなさらないでください」
「してないしてない。少しでも役に立ってるなら良かった」
 イベリスは、にっと笑って見せた。なんだ、いい顔で笑うんじゃない、とネメシアは思った。
 それからさ、とイベリスは、フクシアが運んできた冷たいお茶を半分ほど飲み干してから切り出した。少し、表情が緊張したように見える。よく表情の変わる人だなと思い、こんな風に観察している自分を不思議に感じた。
「その、イベリス様、っての、やめてくれない?」
「え、しかし……」
 この提案には流石にヒソップも口ごもり、フクシアと顔を見合わせた。
「できれば敬語も」
「や、その……困りましたね」
「困らせてごめん。でも俺、親父さんだから頼んでるんだ。あ、これは命令じゃないよ。俺に命令権なんて無い。ただのお願い……って言ってもそうはならないのは知ってるんだけど……うーん、難しいな。うん、無理にとは言わない。すぐにとも言わない。でも、俺の希望を伝えたかった。この店が、本当に好きだから。坑夫の親方や一部の仲間も、俺のことイベリスって呼んでくれてる。良ければ考えてみて」
 あ、そろそろ行かなきゃ、と言ってイベリスは立ち上がった。フクシアが、慌ててイベリスの昼食になりそうなものを見繕って包み始める。本当は動かなければならないのは自分ではなかったか、と思いながら、ネメシアはそのやり取りをぼうっと眺めていた。
 「様」を止める。イベリスと呼べということだ。……ヒソップが? 店でイベリスと呼びかけて、他の客にぎょっとされる様子が早くも頭に浮かんだ。同時に、店としての信頼度は上がるかもしれないという浅ましい考えも浮かんだが、そちらは揉み消す。
「ネメシア、お前もな」
「は?」
 浅ましい考えを揉み消している途中だったネメシアは少し間の抜けた声を出した。
「は、じゃなくて、話聞いてたか? お前、歳近いんだな。俺、今十六。来年成人だけど未成年だから夜は大人しくしてるだろ? よろしくな」
「よろしくな、じゃなくて、勝手なこと言わないでよ……あ……」
 うっかり敬語を忘れて返事を返したネメシアに、イベリスはにやりと笑いかけ、ヒソップは苦笑し、フクシアは青い顔をしていた。ネメシアは、半ばやけになって続けた。
「分かった。少なくとも私はイベリスって呼ぶわ。その代わり、誰かにお咎め受けたら責任取ってよね。貴方が良いって言ったって言うから」
「誰も咎めねぇよ」
 ありがとな、と、再び朝の太陽のような明るい笑顔を浮かべて店を出て行ったイベリスを見ながらネメシアは、いつもあんな顔で笑っていればいいのに、と思った。

*****

 仲良くなれるかもしれない。そう思ったのに。
 そこからの道程は長くて、打ち解けたように見えたイベリスも、ある一線より内側には決して入れてくれなかった。最初は何度も一線を越えようと試みたネメシアだったが、その守りは硬く、あまりにも鮮やかに煙に巻かれるので、一旦諦めることにした。だからといって二人の関係は悪い方向には進まなかったが、どんなに軽口を叩いていても、お互いその一線を意識しているのを感じた。薄い幕が、いつだって二人の間に在ったように思う。そこから、ずっと平行線だった。出逢ってから十年近く経ったのに。
 しかしカリンとレンはその一線を越えているように見える。
 どうやって越えたのだろう。
 共に同じものに命を賭けた仲間だから?
 ネメシアとは次元の違う話なのだろうか。
 初めてイベリスからカリンとレンの話を聞いた時、族長の息子というのとは別のところで、ネメシアは決して入り込めない世界を感じたのだった。
 だから、カリンとレンに会えた時には嬉しかった。知らない世界に手が届いたと思った。ちょっとした事件があって、怖い目には遭ったけれど、ようやくイベリスに友達だという台詞を言わせて、平行線だった二人の関係が少し近づくのだと、そう思ったのに。
「イベリスの馬鹿」
「なんだそりゃ。馬鹿で悪かったな」
「あ。ごめん、考えていることが言葉に出てしまったみたい」
「心から思ってんじゃねぇか。尚更悪ぃよ。ごめんて言ってから言う台詞じゃねえ」
 言葉と裏腹に、イベリスは怒るどころか、あの、朝の太陽のような笑顔を浮かべていた。
「いい笑顔」
 そう言うと、イベリスはたちまち照れ隠しのような表情に変わる。
「まあ、いいわ。許してあげる」
「はあ? 謝ってたの、お前の方じゃなかったか?」
「そうだったかしら? 貴方も馬鹿で悪かったって謝ってたでしょう? だから、馬鹿でも許してあげる」
「分かったよ。俺もお前の口の悪いのは許してやる。そのおかげで今が在るようなもんだし」
 え?
 ネメシアはまじまじとイベリスの顔を見た。 
「お前の口が悪いおかげで、親父さんもおばさんも、俺に敬語使わないよう腹を括ったんだったよな?」
 憶えていたのか。
「じゃあお礼に、いつか私もマカニへ連れて行ってよ」
「なんだよ、お礼って。恩着せがましいな。喧嘩両成敗だったんじゃなかったのか?」
「貴方、言葉の使い方間違ってるわ。両成敗って両方罰せられちゃうのよ。今のは、両方許すって話でしょう?」
「ああもう、何が何だか分からなくなってきた」
「あはは。私も」
 ちょうどその時、厨房のヒソップから声が掛かった。
「あ、準備できたみたい」
「待たせたな。まだ仕込み中で、出来上がったものが無くてな」
 ヒソップは厨房から少しだけ顔を出してイベリスに挨拶をする。頼まれた持ち帰り用の昼食はすでにヒソップがきれいに包んでくれており、ネメシアは会計をするだけで良かった。
「レンとカリンがいいって言ったらな」
「え?」
「マカニの話。俺だけじゃ決められないだろう? だから条件付きの返事」
 ネメシアは敢えて「いつか」と言ったのだから「いつかな」と曖昧な返事もできたはずなのに、イベリスはやはり育ちが良いのだなと思う。普段の態度からは信じ難いけれど。
「分かった。ありがとう」
「お。素直」
 言われて思う。いつもならば「素直って何よ」とつっかかっていただろう。自分もまた、イベリスの仮面と同じことをしていたのかもしれない。真っ直ぐなふりをして、実は臆病だったのかもしれない。
「また来てね。待ってるわ」
「おう。多分明日も来るよ」
 イベリスが出て行った扉の向こうは今日もポハクの太陽が猛威を振るっているだろう。イベリスの本当の笑顔は、やっぱり朝日だな、と思う。
 この世を死の世界に沈めようとしているのではないかと思えるくらい赤い夕日でもなく、全てを溶かしてしまいそうな程の昼間の太陽でもなく、これから生まれてくるような明るい希望を宿した笑顔だ。
 よし、私も頑張るぞ。
 ネメシアはカウンタの中で大きく伸びをした。
 チリン、と扉の鈴の音が響き、客が列をなして入ってくる。
 今日も忙しい一日になりそうだった。

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天鵞絨色の種子篇1


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