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物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 13

-カリン-

 アグィーラへ着くと、カリンはまず官吏服ではなく普通のアグィーラの衣装に着替え、ヨシュアに紹介してもらった幾つかの工房を訪ね歩いた。相手を変に警戒させないために、レンにはヨシュアの家で待っていてもらうことにした。
 カリンはまだマカニで暮らしている時間よりもアグィーラで暮らしていた時間の方が長いが、アグィーラは大きな町である。官吏服を着ていないカリンのことを誰だか知る者はそれほど多くはない。クコに会う前に、アグィーラの城下町の人々の認識がどの程度なのか、確かめておきたかったのだ。
 本当に発注したいわけではないので、比較的大きめの、店舗を併設しているような工房を選んだ。その場にある商品を見る振りをして質問を重ね、その合間に世間話のように訊きたいことを尋ねた。
 工房地区を周った後は、町の中心から南門へ向かって伸びる商業地区へ足を延ばす。この辺りでは実際にカリンも買い物をすることがあるので、顔を知られている店もそうでない店もあった。それらを織り交ぜ、不自然にならない程度にいつも買い物するように店を幾つか周る。
「いらっしゃい。今日は何がご入用ですかな?」
 よく行く青果店の店主がにこにこと笑いながら、店番をしていた椅子から立ち上がった。かなり歳のいった老爺で、商売道具である笑顔がそのまま普段の顔になってしまったかのように、いつも目尻が下がっている。
 時折、娘らしき人物が店番をしていることもあるが、たいていはこの老爺が店に居る。奥の部屋には老爺の妻らしき老婆が居て、店が忙しくなると出てくることがあるが、カリンは老婆とはあまり言葉を交わしたことが無かった。
 アグィーラの青果店としては小さい方で、扱っている商品の量は多くはないのだが、基本の野菜が揃っているので不便はなく、何しろアグィーラの中では鮮度が一番良いとカリンは感じている店である。店の人の心根が商品に滲み出ているようで、カリンは昔からよく通っていた。この老爺は、カリンが子供の頃から変わらず老爺だった。丁寧な話し方も変わらない。
「こんにちは。まだ夕飯を何にするか決めていないんです。少し見ながら考えさせてくださいね」
「どうぞどうぞ」
「寒いと朝の仕入れも大変ですね」
「そうですなあ。老体には堪えますが、ずっと続けてきた店ですから、働けるまで働きたい。それに最近、朝の仕入れは娘婿が手伝ってくれるようにもなったのですよ」
「まあ、それは素敵なことですね。冬だと朝はまだ暗いでしょう?」
「ええ。町中まちなかには街灯が立っていますが、町はずれの畑の辺りにはまだまだ少ないですからね。角灯が手放せません」
「最近、新しい発電方法が見つかったらしいですから、街灯がもっと普及すると良いですね」
「そうなのですか。その辺りの情報には疎くてねぇ。商売人たるもの、情報にも耳を澄まさなければなりませんなあ。最近、ポハクの商人をよく見かけますが、傍で聞いているだけでも、あの話術にはもう同じ商売人とは思えぬものが在ります」
 ますます目尻を下げて笑う老爺から、今晩の夕食に使えそうな野菜と明日の朝の果物を買い、その他の店でパンなどを仕入れてから、カリンは一度ヨシュアの家へ戻った。
「おかえり。どうだった?」
「だいたい予想通りかな。レンは?」
「僕? 僕はしばらくヨシュアさんの仕事を見させてもらって、僕だけ暇なのは申し訳ないから、昼食を作って待っていたよ」
 レンが答えるのと同時に扉が開き、午前中の仕事を終えたヨシュアが奥の工房から戻ってきた。
「おかえり。昼食はレンが作ってくれたよ」
「うん。今聞いたところ。ヨシュアさんもおつかれさま」
 少し遅めの昼食を食べながら、カリンはヨシュアに自分が立てている仮説を説明し、今アグィーラの町で確かめてきたことを二人に話した。
「午後に建築室……いえ、もはや建築局の問題かもしれないから、プリムラ様の御意見をうかがって、最終的にはもう一度アヒへ同行することになると思う」
「そうか。……気をつけてな」
 ヨシュアは大きな驚きも見せず、特に意見もせずに、そうひと言だけ言った。これだからヨシュアが大好きなのだ。
 その時すでに食事を終えていたカリンは、返事をする代わりにヨシュアの近くへ寄り、座ったままのヨシュアを抱きしめた。

 食事の後、カリンは官吏服へと着替え、レンと共に城へ向かった。
 行き先はもちろん建築室だ。
 前回と同じ小部屋で、明らかに時間外労働が続いている様子のクコに、先ほどヨシュアに話してきたのと同じ話を伝えた。終止眉間にしわを寄せたまま話を聞き終えたクコは、大きく長い溜息を吐いた。
 クコはすぐには口を開かず、一度立ち上がると窓際まで歩いて行き、閉じられていた窓を開けた。冷たい外の空気が部屋に流れ込んでくる。大勢で何か大きなものを運んでいるのか、階下から掛け声が聞こえた。
「……なるほどなあ。そうか。俺は……自分の研究の正しさを証明したいがあまり、進め方を間違ったのかもしれないな」
 窓の外を見るともなしに見ながらクコがようやく言葉を放った。
「クコさんのせいではありません。反対するにしても、このような手段で反対する方が間違っています」
「まあ、正論としてはそうかな」
 一瞬で気持ちを切り替えたらしきクコは、窓を開け放したままで席に戻ってきた。次第に遠ざかってゆく階下から聴こえる声が、応援しているようにも、対応を急かしているようにも感じる。
「さて。俺の反省はいったん置いておいて、この先どうするかだ。……まずは室長かな」
 カリンはクコと相談して、最終的に、建築局長であるプリムラと建築室長であるイイギリ、建築局資材室官吏でフエゴの事情にも詳しいというトレニアに同席してもらい、今後の策を練ることにした。
 レンがその場に同席する理由は、この場で決定したことをいち早くアヒの族長アキレアへ伝えるための伝令、とすることにした。アグィーラの書簡師がどれだけ速い馬を駆っても、マカニ族が空を飛んで運ぶより速いことはない。
 プリムラはこれを承諾したが、レンはその場で見聞きしたことをプリムラの許可なしに他言しない旨を記した誓約書に署名させられてしまった。
 学者肌で少し浮世離れした感じがするプリムラだが、やはり局長まで昇りつめた人間なので、この辺りはしっかりしているようだ。
 プリムラが指定した会議室で待っていると、最初に入って来たのはトレニアだった。カリンは先日のフエゴ行きの際に顔を合わせていたが、レンは初めてであるため、簡単に挨拶を交わした。
 トレニアもクコ同様フエゴの対応に追われていたようで、紫色の官吏服はきちんと着こなしているものの、やや乱れた髪に不精髭を生やしていた。クコよりも更に疲労が色濃く滲んでいる。
 挨拶の後、思わず「おつかれさまです」という言葉が口をついて出たが、トレニアは黙って頷いただけだった。
 プリムラとイイギリはなかなか現れなかったが、トレニアが居るのでカリンとレンは会話がしにくく、大人しく座って二人の登場を待った。
 クコも何か考え事をしているようで、トレニアに話しかけることもなく黙ったままでいる。
 あまり居心地の良い沈黙とはいえなかった。
 なんとなく息苦しさを感じて、先ほどクコがしたように部屋の窓でも開けようかと思ったが、どこに誰の耳があるか分からない。これから、今時点では極秘ともいえる作戦会議をするのだから、窓を開けるのは不適切だろう。
 レンの視線も、窓の外の空を追っているようだった。
 ふとカリンの方を向いた時の目が「遅いね」と言っていたので、カリンは黙って頷き返す。
 その時、扉の外に気配がして、申し訳程度に叩かれた扉が返事も待たずにすぐ開いた。
 事前に二人で何か話していたのか、プリムラとイイギリが連れ立って部屋に入って来る。イイギリの視線がちらりとレンに移ったが、立ち上がろうとしたレンをプリムラが手で制した。
「挨拶は後にしよう。そちらにいらっしゃるマカニ族がカリンの配偶者であり、アヒ族への伝令を引き受けてくださる旨は伝えてある」
 そう言ったプリムラは、イイギリと並んでカリンとレンの対面の席に座った。この部屋は十名ほどの人間がゆったりと座れるくらいの広さの部屋で、長机が正方形に組んで置かれている。クコとトレニアが、残りの二辺に向かい合って座っている構図である。クコはそれまで頬杖をついていたが、真っ直ぐに座り直した。
「まずは現在までのところを整理したい」
 プリムラは、まるで講義でも始めるかのように話し始めた。
 しかも、話し始めるとすぐに立ち上がり、近くに在った黒板へ、自ら『一、発電板の過加熱』と書き入れる。
 上級官吏の赤を基調とした官吏服に、局長の証である金色の刺繍の縁取りがあるので局長であると分かるが、そうでなければ学者のような風貌をしている。カリンは考古学者であった父親を思い出して懐かしい気持ちになった。淡々とした語り口だが、自分の興味に応じて言葉に籠る熱量が微妙に変わるところが、父親に似ていた。
「そして四回目。今度は変換器の短絡だ」
 プリムラは黒板に『四、変換器の短絡』と力強く書き入れ、その横を白墨でこつこつと叩く。
「三回目と四回目の間は七日。たった七日だ。しかも我々の使節がアグィーラに戻った翌日……これは狙っていたとしか考えられない」
 そこで言葉を切り、皆の反応を見るかのように他の五人の顔を順番に見た。皆その視線を受けはするが、カリン自身を含め口を開く者は居ない。
「問題は……誰が、何のために、ということろだが……」
 す、とプリムラの視線がカリンに止まったが、カリンは話の続きを待った。
「可能性はいくつかある」
 プリムラは再び黒板に『一、』と書き入れた。
「ひとつ目は、玻璃師だ。発電板の材料に使われる珪石がガラスの材料でもあるため、影響を受ける。二つ目は地熱発電に関わる者たち。三つ目は石炭の採掘あるいは販売に関わる者たち……まあ他にもあるだろうが、主な所はこんなところだ。この問題の解を説明するのはカリンだ。これまで他の局での様々な問題の解を打ち立てて来た実績を買って今回の件に関わってもらうことにしたのだが、その甲斐があったというものだ。他の面々には、その後、どのような対策を取るべきかを考えてほしい」
 カリンは今度はプリムラの言葉を受けて立ち上がった。せっかくなので黒板を使わせてもらうことにして、白墨のついた手をはたきながら席に着いたプリムラと入れ替わりに、黒板の前に立つ。
 無意識に視線を時計に移すと、時刻はちょうど十五時を指していた。



 
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