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物語の欠片 七色の蛇篇 19

-レン-

 エルアグアは、見違えるほど潤っていた。干上がっていた川には水が張り、雨も降ったのだろうか。渇いてひび割れていた大地も湿っている。ただ、旱魃の爪痕は深く、そこに生える草花は枯れていた。
 森の焼け跡でレンたちはカリンが祈るのを見ていた。カリンの緑色の光は黒く焦げた大地を包み、そこから緑色の芽が顔を出した。焦げた樹々からも新しい枝や芽が生まれる。それを見て歓声が上がった。
 ワイの人々ではない。アグィーラから来た建築室の官吏だった。レンたちは今、ワイの町に向かっている。
「初めて見たよ」
 クコがレンに向かって言う。目線はカリンを見たままだ。
「仕組みは分からないな」
 そう言って笑う。
「それは僕にも分かりません」
 レンもガイアの背中で笑った。森を見つめるカリンの表情は、前回の哀しそうなものではなくしあわせそうだった。レンにはそれが嬉しい。
 レンはガイアの背中から飛び降りてカリンに近づく。そして、近くの木に手を置き、上を見上げた。
「良かったね」
 そう話しかけてみる。勿論何も返事は返ってこない。しかし何故かレンの心は満たされた。カリンを見ると、カリンも優しい笑顔でレンを見ていた。

「ご無事で良かった」
 エリカは先ずそう言った。
「ご心配をおかけしました。それから、あのようなことがあったせいで水門を半端にしてしまったことをお詫び申し上げます。本日はなるべく早く対応いたしたく参りました故、急な訪問となりましたことも重ねてお詫び申し上げます」
 カリンは深々と頭を下げた。
「良いのです。それもすべてワイのため。貴女は私が思っていた以上にワイのことを真剣に考えてくれた。謝らなければならないのは私の方よ」
「謝っていただくことはありません。エルアグアを助けることは、王国全体のためにもなります。何よりわたくしがそれをやりたかったのです」
「貴女ならなんとかしてくれるのではないかと思ったのよ。決して大地の化身としての力だけを当てにしていたわけではないの。お城で話をした時に感じた、貴女の運命を切り拓く力みたいなものを当てにしていたの。嘘をついて貴女をワイに連れてきた。だから謝っているの」
 エリカに謝罪しながら真面目な顔をしていたカリンは、ふわりと笑顔になった。
「ワイの族長様の、エルアグアを救いたいというお気持ちに嘘はありませんでした。そして、そのお気持ちがエルアグアを救ったのです。もし族長様が今、少しでも罪悪感を感じていらっしゃるのであれば、これからは嘘はおつきにならずわたくしの手が借りたいとそれだけ仰ってください」
 ただ、とカリンは続ける。
「毎回上手く行くかは分かりません。今回は偶々です。そして、多くの人の手を借りました。わたくしの力ではありません」
「貴女、少しエンジュに似てるわね」
 エリカは笑ったが、カリンは不思議そうな顔をした。
「以前、陛下にもそう言われました。しかし、わたくしとマカニの族長は全く違います」
「いいえ似ているわ。話をしているうちに何だか納得させられてしまうところはそっくり」
 まあいいわ。エリカはそう言って楽しそうな表情でカリンを見た。
「雨乞いは残すことにしたの。新しい仕組みにするにしても、今居る雨乞いの女たちをいきなりお役御免にするのは可哀想だから」
 レンはルクリアのことを思い浮かべる。確かに雨乞いの女としての保護がなくなってしまったら、自分の力で生きていくのは難しいだろう。
「その代わりね、ワイの掟や慣習は見直すことにしたの。男女の壁は取り払うわ」
 レンは驚いたが、カリンは笑顔でそうですか、と答えている。
「この機会しかないと思ったのよ。雨乞いの儀式は残すけれど、雨乞いの歴史は皆に公表するわ。その上で、何事も慣例だからと続けることの愚かさを皆に問おうと思うの」
「ワイが、良き方向へ向かうよう願っております」
「ありがとう」
 カリンもエリカも晴々とした表情をしていた。そして二人はこれからのことについて話をした。雨乞いの儀式は残すということで、先ず建築室の面々はクコを先頭に修理に向かった。
 ローゼルとアジュガは連れ立って水門へ向かう。水門を開けたまま固定しているロープを切り、木に巻いた布を取り外すためだ。これで水門は一度閉じるはずだが今のエルアグアの状況を見ると問題ないだろう。
 レンとカリンは農作地帯に向かった。エリカもついてくる。既に秋蒔きの作物の植え付けの季節は終わっている。このままだと半年以上にかけて畑に影響がでてしまうとエリカは嘆いていた。
 それならなんとかできるかもしれないとカリンが言ったのだ。
 枯れてしまった作物はきれいに片付けられ、畑は次の種蒔きの準備が進んでいた。しかしこのままでは種を蒔くのは春だ。
 レンたちに先立ち、今から秋蒔きの種を蒔くよう、エリカの従者が畑の持ち主に連絡しているはずだった。
 そのせいか、畑にはちらほらと人影が見えた。エリカの姿を見ると帽子を脱いで挨拶をする。エリカは頷いてそれに応えた。
「そろそろいいかしら」
 畑に出ていた人々はこれから何が始まるのかとエリカの方を見ている。カリンはエリカの言葉に頷いて畑の中に歩いて行った。レンはエリカと並んでその様子を眺めていた。広大な畑の中で、カリンの姿が小さくなる。
 やがてカリンは足を止め、その場に膝をついて座った。その身体が緑色に光る。その光は地面を伝って畑に広がっていった。
 遠くから見ていても、次第に畑に緑色の芽が芽吹いていくのが分かった。それまで黒っぽい土の色をしていた大地が緑一色になる。
 同じく様子を見守っていたワイ族の人々から大きな歓声が上がった。
 ふとレンはカリンのことが心配になり、エリカに断って畑の中に向かった。カリンは緑の畑の中に座って居た。
「立てる?」
 レンは手を差し出す。カリンは満足そうな笑顔でその手を取った。
「ありがとう」
 カリンは立ち上がったが、身体が重そうだった。
「歩ける?」
「なんとか」
「仕方がないな。乗りなよ」
 レンは短い距離をカリンを乗せて飛んだ。エリカの前に降り立つ。エリカの周りには農家の人々が集まっていた。
「ありがとう。おかげで春に収穫ができそうだわ」
 エリカは曇りの無い笑顔だった。夏から抱えていた重い荷をようやく下すことができたのだ。
「今度は大地の化身としてお役に立てたようで、安心いたしました」
「本当にありがとう」
 エリカが頭を下げると、周りに居た人々も頭を下げる。その向こうから、ローゼルとアジュガが走ってくるのが見えた。
「おつかれさま。終わった?」
 カリンがローゼルに尋ねる。
「ああ。元どおりだ。水門は運河に隠れて見えないが、水の流れが変わった気がする」
「ありがとう。……おじさまも、ありがとうございました」
 カリンはアジュガにも声をかける。アジュガはカリンに近寄り抱きしめた。
「ありがとうカリン。色々、ありがとう」
「おじさまのお役にも立てたみたいで嬉しい」
「役に立ったなんてものではないさ」
 アジュガはカリンから身体を離し、頭をくしゃくしゃと撫でた。カリンはしあわせそうだった。
「これ、お前がやったのか?」
 周囲の畑を見回しながらアジュガが尋ねる。
「うん。こんな風に力が使えて良かった」
「すごいなあ。マロウに見せてやりたい」
「お父さんが見たら卒倒するわ。私、家に居られなくなってしまう」
「まあ、イリマはそうかも知れないけれど、マロウはお前のこと別に怖がっていなかったよ」
「そうなの?」
「不思議な子だとは言っていたけどな。どんな風に成長するんだろうって楽しみにしていた」
「……そうだったの」
 カリンの表情は心なしか寂しそうだった。
 二人はエリカがそのやりとりを見詰めていることに気がつき、そこで話を終えた。
「戻りましょうか」
 カリンが言うと、エリカは頷いた。
「カリン殿はお疲れでしょう? 直接宿にお戻りなさい。アジュガ殿、わたくしを宮まで送ってくださる?」
 アジュガは承諾の一礼をし、カリンも素直にエリカに礼を言った。建築室の面々はクコに任せておけば大丈夫だろう。
 レンたちは青々とした農作地帯を後にして、宿へ向かった。

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