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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 9

-レン-

 この季節には、アルカン湖を越えると雪は消える。
 上空から眺めるだけでも、アルカンの森にはすっかり春の気配が漂っていた。
 レンは念のために予め礼服に身を包み、夕方から行われるローゼルの誕生祝いの宴に出席するためにアグィーラへ向かっている。レフアの生誕祭とは異なり、最低限の招待客だけで催されるというその宴がどのようなものなのか、レンには全く想像がつかなかった。以前一度だけ出席したことのあるカリンは、人数は少ないのだけれど、みんなが同じテーブルに着席するからレンは気を遣うかもしれない、と悪戯っぽく笑っていた。今回の出席者はカリンもよく知らないそうだ。レンが同席することになったのは偶々で、少し前にフエゴとアグィーラへで起きた建築室の事件に関わった際に話が出たからだった。
「レンも来れば良いじゃない」と無邪気に言ったレフアの言葉を、ローゼルは特に否定しなかった。それは歓迎するという意味なのだとカリンが教えてくれた。レンのような存在が在った方が、ローゼルも少しは気が楽なのかも知れないと思い、参加することにした。
 カリンだけでなくレンも参加するならばと、族長からローゼルへの祝いの書簡を預かってきた。レンは時々半ば無意識に胸の辺りに手をやり、その存在を確かめていた。
 アグィーラへは度々訪れるレンだが、毎回、アグィーラに到着する最初は正門である南門へ回る。それが、異種族間の訪問の礼儀だからだ。幾らアグィーラから選ばれた化身といえどその辺りの礼儀は変わらない。いやむしろ、だからこそ礼儀を求められると言えるかもしれない。レンもそのやり方にすっかり慣れてしまった。
 いつも、門から少し離れたところに着陸するのだが、マカニ族であることは遠目からでも翼で知れる。そして、濃い藍色の翼を持つマカニ族がレンだけであることは、既にアグィーラのほとんどの門番は知っていた。普段から難なく入れてもらえるのだが、特に今回は前もってローゼルの誕生の宴の招待客であることが伝わっていたらしく、こちらから挨拶をする前に丁重に迎え入れられた。
 案内は必要かと問われたのを断ってひとりで城へと向かう。他の村や町と違って異種族の流入も多いアグィーラの人々は、マカニ族であるレンが町を歩いていても特別な興味は無いらしく、視線を感じることもない。
 先日、レンギョウとアグィーラの話をしたばかりだったので、いつもより町の様子が気になった。自分がここで得られるものはなんだろう。アグィーラにはマカニの何倍もの戦士が居る。きっと尊敬できる戦士も沢山居るだろう。戦士以外にも、マカニにも在るその他の職業、マカニには存在すらしない職業に就いている人々も沢山居る。特に城に仕える人々の中には優秀な人も多く、刺激は多いのだろう。実際レンも、カリンを通じて知り合ったユウガオやクコのことは好きだし尊敬している。
 しかし、やはり自分がアグィーラに住みたいか、アグィーラの戦士になりたいかと言われたらそうは思わないのだった。それは戦士の特性かもしれない。少なくともレンは、自分が守りたいもののために戦いたかった。そしてそれはやはりマカニなのだ。
 学問や特定の技術を志す人々はまた違うのかもしれない。そんなことを考えていたらあっという間に城の前に到着した。ここでもまたレンは丁重に迎え入れられる。カリンが事前に言づけてあったようで、門番の戦士がカリンは薬師室に居ると教えてくれた。直前まで仕事をしているらしい。

 薬師室の扉を開けると、いつものとおり受付にユウガオが座っていた。珍しく眉根が寄っているなと思ったが、レンの姿を認めるといつもどおりの笑顔になり、久しぶり、と挨拶をした。
「こちらこそご無沙汰しています。お忙しそうですね」
「まあ、色々。……カリンは薬草の処理室に居ますよ」
 ユウガオに礼を言って、カリンの居る時はカリンしか使っていないという薬草の処理室の扉を開けると、カリンは薬草ではなく、紙の束と向き合っていた。
「ああ、レン。おつかれさま。早かったね」
「遅れるよりは早い方がいいだろう?」
「うん。ヨシュアさんの所へ寄らず真っ直ぐここへ?」
「そう。荷物もそんなに多くなかったし、礼服もマカニから着て出て来た。ユウガオさんもカリンも忙しそうだね」
「色々あって……」
 ユウガオと全く同じことを言うカリンに思わず笑ってしまうと、カリンは不思議そうな表情を浮かべた。
「ユウガオさんも同じこと言ってた」
「ああ……そう。そうなの」
「ユウガオさんと同じことに巻き込まれているということ? あ、詳しくは説明しなくていいよ。邪魔はしない」
「邪魔ではないけれど……」
 続けて何か言いかけたカリンの言葉を遮るように、今レンが閉めたばかりの扉が開き、当のユウガオが入ってくる。
「レン殿、来たばかりのところ邪魔して申し訳ない。……おいカリン、お前も明後日の会議に出るようにとツツジ様が」
「え? ツツジ様がいらっしゃったのですか?」
「いや。伝えに来たのはアオイ様だ」
 登場人物の名前を聞いただけで、事がある程度以上に深刻なのだろうことは推測された。そして、レンの滞在は明後日までの予定なので、おそらく先にマカニへ帰ることになるのだろうとも思った。
「かしこまりました」
「返事を待たずに、伝えてくれと言ってすぐに戻って行ったから、ほとんど強制だな」
 ユウガオはにやりと笑うと、ついでのようにカリンが今まで見ていた紙の束を取り上げた。
「レン殿が来たんだから、今日のお前の務めはもう終わりだ。これは俺が預かる」
「家に戻ってから少しやりますから残しておいてください」
「おいおい。ローゼル殿下の祝いの宴だろう?」
「それほど遅くはならないと思います。明後日の会議の前に、明日、事前に打ち合わせする必要がありますよね? 数値は今日中に整えておいた方が良いと思うのです」
「じゃあさ、お前には検算を任せる。お前、帰る前に薬師室に寄れ。それまでにこいつは終えておいてやるから、お前はそれを最終確認する役目な」
「ユウガオさんこそそんなに遅くまで……」
「自由気ままな独り身を有難く思え」
 再度レンに邪魔したことを詫びてユウガオが出て行った後、カリンはお茶を淹れ、これまでの経緯について話してくれた。
 数値の改ざんが行われていたことにも驚いたが、セダムの夢にも驚いた。これは一体、何の布石なのだろうか。以前カリンが見たのは予知夢だった。しかし、セダムが見たものも予知夢だとすると、自分が犯す罪の場面を見たことになってしまう。自らの罪を止めたければ自分が行動を起こさなければ良いだけのはずだ。何の意味があってそのような夢を見るのか。
 レンが素直な感想を話すと、カリンは頷いた。
「そうなの。予知夢にしてはおかしい。でも、セダム様を唆す夢だとしてもおかしいの。ユウガオさんが言うように、セダム様が今それ程までに追い詰められているとは思えない。もっと不満を持っている人は居るはずよ。それなら闇だって、セダム様ではなく他の人を狙った方が良いのではないかしら」
 レンもそう思う。例えば、そう、少し前に罪を犯し、未だに釈然としてないであろう建築局のトレニアのような人物の方が唆される可能性は高い。
「闇に意思が在るっていうのは確かなのかな」
「どういうこと?」
「あの時確かに僕たちは、カリンの呼び声に応えたかのような闇を見た。でもそれは、本当に闇の意思だったのだろうか。アオイ殿の意思だったという可能性は?」
「アオイ様の心の闇だったから私の呼びかけに答えたということ?」
「そう。大切だったはずのカリンを閉じ込めて危険な目に遭わせたことは矛盾するかもしれないけど、でもあの時のアオイ殿はきっとどんなことをしてでもカリンが欲しかったんだよね。だからあの闇はカリンを取り込んだ」
「それも……あり得るかもしれない。でもね、もし闇に意思が在るのだとしたら、もしかしたらこの夢を見ているのはセダム様だけではないかもしれない」
 カリンの言葉の意味するところを考えて、レンはすっと背筋が寒くなった。闇は、手あたり次第、脈がありそうな人間に夢を見せている可能性があるということか。その中のひとりでも行動を起こしてくれればいい。
「そんなの……防ぎようがないじゃないか。あ、でもあの時と同じ方法ならば……」
「そう。でも、あの時私たちが取った方法は既に闇は知っているはず。同じ方法が通じるかしら」
「アルカンの森を出る時には石がすり替わってるんだよ? 本物の石は僕たちが持っていた。僕たちに何かが起こらない限り……ああ、そうか。僕たちが本物の石を隠す前、あるいは隠した後にでも消してしまえばいいのか。そうすれば本物の石はアグィーラの神殿へは揃わない。僕たち誰かひとりを消せばよいならば、機会は幾らだってありそうだ」
「四人の化身は誰だっていい……」
 カリンは蒼白い顔色で、消え入りそうな声で言った。
「そういえばそうだね。各種族の代表だから……ああ、そうか。夢を見るのはアグィーラ人とも限らない。闇に唆された誰かが、自分の種族の化身に危害を加えて自分がその後立候補して化身になる、そして内側から結束を崩すという方法もあるね。それはもう、いつでも起こり得るという訳か」
 確かに恐ろしい可能性の話だとは思うが、レンは比較的淡々と話をしていたにもかかわらず、カリンの顔はどんどん思いつめた表情になってゆく。
「カリン? あのさ、確かに可能性は無くはない話だけど、闇がそんなに早く再び解放されるのかという疑問もあるし、そうなった場合、そもそも普段三百年かかって育つ聖なる貴石が育っているのかという方が疑問だ。それが無ければ、石をすり替えるどころの話ではないよ? 最初から人柱しか方法が無くなってしまう。それならば、セダム様の見ている夢は何だろう?」
 カリンははっとしたようにレンを見て、そのとおりだわ、と呟いた。
「どう考えても何処かでつまづいてしまう。きっと、まだ考えが足りていないのだわ」
「ひとまず今日はローゼルの祝いの席だ。そんな顔じゃ、ローゼルに悪いよ」
 レンが言うと、カリンはようやくくすりと笑い、何もかもレンの言うとおりだと頷いた。そろそろ支度をしなければというカリンと一緒に薬草の処理室を出る。ユウガオは相変わらず受付前で紙の束を睨んでいたが、レンとカリンが近くを通ると顔を上げ、ひらひらと手を振って送り出してくれた。

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