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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 15

-レン-

 ユウガオに確認することがあると言って薬師室へ行き、そのままマカニへ戻る準備をして戻って来たカリンだったが、その後ずっと考え事をしているようだったので、マカニへ戻る間もレンはあまり話し掛けないように上空を飛んだ。アルカンの森を通過する手前で、森へ寄るかと尋ねた時も、半ば上の空で不要だという答えが返って来た。
 マカニの村に到着し、ガイアを厩舎に預けて族長の家へ向かう途中で、レンはさすがに心配になって尋ねた。
「何を考えているの?」
 カリンはまるで今レンの存在に気がついたかのようにはっとした表情をし、それから照れたように笑った。
「ごめんなさい。あのね、闇は光の対極なのですって」
「何それ、よく分からないよ」
「レンが来る前、プリムラ様と話をしていたの」
「プリムラ様って、あの建築局長の?」
「そう。闇は何かによって光が遮断された状態だとプリムラ様は仰っていて、つまり対極である光と、それを遮っているものが存在するはずなの。それでね、私がこれまで出合った闇の対極って何だろうって考えていたのよ」
「なんとなく分かる気がするけれど、それを考えてどうなるのかな」
「最終的には、セダム様の闇の対極に在るものは何なのかに行きつければ良いのだけれど」
「ああ、なるほど」
 王国を覆う闇の対極はこの王国そのもの、あるいは光の剣や盾を扱える王家なのだろうと、そのくらいはレンにも想像がついた。いや、あるいは聖なる貴石を生じさせる森なのか。しかし遮るものというのが分からない。
 アオイの心の闇の場合はどうだろう。その辺りからレンの思考は既に危うくなる。セダムの闇になど到達できそうになかった。
 族長の部屋にはモミジが居た。族長の肩に止まって羽繕いをしていたモミジは、レンとカリンの姿を認めると書架の上へと逃れてしまった。逃れた後も、書架の上を落ち着かなさげに行ったり来たりしている。その様子を、族長はしばらくじっと見詰めていた。
「只今戻りました」
 レンが言うと、族長はいつもの穏やかな表情でこちらを見た。カリンも少し遅れて挨拶をしたが、それはモミジの動きに影響されたわけではなく、相変わらず考え事をしているかららしかった。
「良く戻った。アグィーラはどうだった?」
 レンは、自分が先に話した方が良いだろうと考えて、簡単に自分の体験したことを報告した。シヴァは今日は鍾乳洞へ行く番だったようで、ここには呼ばれていない。
「ローゼルから書簡の返事を預かってきました」
「そうか。ご苦労だったな」
 書簡にはローゼルの几帳面な字で宛名が書かれ、王室の封蝋でしっかりと封がされてあった。中身はきっと簡潔ながら真摯な内容だろうとレンは想像する。族長はその場で書簡を開封したが、読み終えた族長の口元には笑みが浮かんでいた。
「ローゼル殿らしい。お元気そうで何よりだ」
 レンは、族長がローゼルのことを殿下と呼ばず、王配になる前と同じ呼称で呼んでいることを何故か嬉しく思った。族長は書簡を仕舞うとカリンへと目を向ける。口を開いたカリンは、先ほどまでとは打って変わり、はきはきとした口調で語り始めた。
「当初の目的の他に、二つほど事件がありました」
 ひとつめはセダムが闇の夢を見ているらしいこと。そしてそのことに、たいそう心を痛めていること。もうひとつは、医局の治験の現場での改ざん騒ぎだ。カリンはいつものように、無駄なく綺麗に整理された情報を族長へ伝えたあとで、最後にプリムラと交わした会話について語った。
「闇が光の対極という考え方もそうなのですが、ツツジ様に対する考察も気になりました。プリムラ様は、何かご存知なのかも知れません。いえ、もしかしたらツツジ様ご自身も、真相をご存知で、その上で対処療法を取っていらっしゃるのかも知れません。私には、何処まで関わって良いのか、分からなくなってしまいました」
 カリンの話を聞き終えた族長は、すっと左腕を上げた。そこに、書架の上に居たモミジが舞い降りる。書架の上に居た時とは異なり、モミジは落ち着いた様子で族長の左肩に収まった。族長はその喉元を撫でてから口を開いた。
「モミジが落ち着かなかったのは、そなたが闇のことを考えていたからだな」
 その言葉にカリンは驚いた表情でモミジを見たが、レンはなるほどと納得した。モミジには、何となくそんな雰囲気がある。何せ、モミジが初めて族長の元へ姿を現したのは、カリンが随分久しぶりに人柱の夢を見た次の日だったのだから。
「私の考えていることが分かったのでしょうか」
「闇のことをあまり根を詰めて考えていると、深みに嵌まることがあろう?」
「あ……はい」
「モミジはその気配を感じるのだ。そのような人間は表情は暗く、ともすればそのまま闇に引きずり込まれてしまいかねない雰囲気を醸し出すようになる」
「それは、分かるように思います」
「ほどほどにすることだ……とはいえ、そなたは真相を知らねば納得すまい?」
「そう……かも知れません」
「既に推論は頭に在るのであろう?」
「はい」
「しかし、本人が口を割りでもしない限り証拠は出ない。つまり真相は分からない。違うか?」
 レンとカリンは顔を見合わせた。族長はそれを愉快そうに眺め、カエデを呼んだ。カエデがお茶の準備をしている間に、三人は応接用の椅子へと場所を移した。

「それで、そなたは他人の罪を暴くことを恐れているのだな」
 カリンの推論を聞き終えた族長はいつもの穏やかな表情で言った。
「はい。これまでも積極的にそうしていたわけではありませんでしたが、それでも、誰かの犯した罪で他の誰かが困っているならば、その罪は明らかにしなければならないと、何処かで思っていたように思います。それが私なりの大義でした」
「しかし今回は、最も困っているであろうはずのツツジ殿が、罪を明らかにする意味を持たないと思っている」
「そのような考えがあることに、恥ずかしながら私は今回初めて気がついたのです。私がこれまで解決したと思っていた問題の被害者側も、明らかにしなくて良いと思っていた罪があるのかも知れないと。私が勝手に正しいことをしている気になっていたのかも知れません」
「それならば私も同罪だ」
「え?」
「そなたに出逢ってからそなたが解決してきた問題には、たいてい私は立ち会っている。その上で、そなたを止めなかった」
「あの……」
 カリンは困ったような表情になって、助けを求めるようにレンを見た。族長は涼しい顔でカエデの淹れたお茶を飲んでいる。
「アキレア様の話を忘れた? カリンが話してくれたはずだけど」
「アキレア様の?」
「『悪いものが勝って正しいものが負けることを認めていたら、誰も正しいことをしなくなる』ってやつ。基本はそれだと思うんだけど、後はやり方の問題なのかなあ。何でも正面から解決すればいいという訳ではないという。といっても、僕自身複雑なことを考えるのは苦手だからどうすればいいのかは分からないけど」
「レンは自然と相手の心に添っているのよ。私はそれができていない。私が相手を助けたい気持ちを押し付けているだけなの」
「そこまで自分を卑下することは無い。そなたに救われた者も沢山居るであろう」族長が再び割って入った。「ひとまずこれまでのことは置いておいて、今回のことをどうすべきかを考えよう」
「はい、そのとおりです」
「ツツジ殿と話をするのが一番良いのだろうな」
「ツツジ様と……しかし、マカニへ戻ったばかりですぐに引き返しては、他の皆に余計な詮索をさせることになりそうです」
「レン。すまないが、再度書簡師の仕事を引き受けてくれないか」
「書簡……ですか? 勿論構いませんが」
 レンは話について行けず、族長の顔とカリンの顔を交互に見たが、カリンも首を傾げている。
「ツツジ殿に書簡を書く。レンはカリンを乗せてアグィーラへ飛ぶが、城へ行くのはレンだけだ。城の外で、何処か安全に話ができる場所は在るか?」
 カリンはこの族長の言葉で、族長がやろうとしていることを理解したらしく、少し考えた後で答えた。
「ヨシュアさんの家くらいしか思いつきませんが、そこならばツツジ様がいらしても不思議ではないと思います。王室御用達の馬具工房でもありますから」
「そうだな、ではそうしよう。私がツツジ殿に書簡で、カリンがヨシュア殿の工房で待っていることを伝える。レンは城の門番に書簡を渡したら、返信があるかもしれないから少しその場で待たせてもらえるよう頼んでくれ。おそらくツツジ殿は返事を下さるだろう。レンは城を出たらその書簡を開封して良い。ツツジ殿にもそうお伝えしておく。その後はその場に居るお前たちが臨機応変に対応すること」
「はい」
「さすがに今日は遅い。出発は明日の朝にして、今日はゆっくり休むが良い」
 シヴァには族長から話してくれると言ったが、レンの方がマカニの状況を知りたくて、夕方の報告の時間には再度族長の家を訪れることを約束した。
「あの、もうひとつ……」
 カリンが遠慮がちに口を挟んだ。
「セダム殿の件だな」
 族長の言葉にカリンは頷く。そうだ。改ざんの他にセダムの問題もあったのだった。しかしこちらは闇とは何か、その対極に在る光とは何かという話である。
「そちらも、最終的にはツツジ殿と話をするのが良かろう。ツツジ殿はそなたとは少し考えが異なるかも知れぬが、最後にはご家族の話を避けては通れぬ」
「はい」
「勿論話を聞いても良いが、そなたにとっても、私が聞くよりもツツジ殿に聞いていただいた方が良いだろう」
「そう……なのでしょうか」
「私はそう思う、というだけだ。カリン、そなたが私の言うことを正しいと思ってくれるのは、そなたが私のことを信頼してくれておるからだ。他の人にとって私の言葉が同じ価値を持っているかは分からない。それは解るな?」
「はい……あ……」
「そう。私の今の言葉は、そなたからの信頼がなければただの私の考えの押しつけでしかない。言葉も真実も、常に人と人との関係において双方向なのだ。自然の摂理とは異なり、真実には必ず人の解釈が入る」
「はい。よく解りました。私は、信頼関係を築いていない人に対しても同じように接してしまっていたから……」
「誰に対しても分け隔てないことはそなたの大きな美点だ。しかし、稀にそれが悪い方向に働くこともあるというだけのこと。あまり気に病むな」

「大局を見る」
 一度族長の家を出て診療所まで向かう途中、レンが呟くとカリンが不思議そうな表情をした。
「ローゼルの誕生の宴の時にアジュガ殿が言っていたんだ」
「おじさまが?」
「ローゼルは細かいところまで真面目に考え過ぎるから、少しは大局を見ろ、って」
「うふふ。よく分かるわ。そして何故レンがそれを思い出したかも」
「カリンも同じなんだと思うな。大きな流れの中で、それほど悪いことになってないのだから、これまでのやり方だって間違っていたわけではないと思うんだ」
「そうだね。ありがとう」
「明日、上手くいくといいね」
「うん」
 数日ぶりのマカニの空は澄んでいて、悪いことなどひとつも起こりそうになかった。この澄んだ空が光ならば、その対極に生まれる闇とは何だろうと考えてみたが、レンには少しも思い当たらないのだった。


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