見出し画像

物語の欠片 青碧の泉篇 1

-カリン-

 マカニは山奥だがとても豊かな土地だ。春には山菜、秋にはきのこが山のあちらこちらに顔を出し、東の森には年間を通して季節の果物や木の実が色とりどりに実る。川まで降りてゆけば、魚も居る。
 さすがに穀物や野菜は畑で育ててはいるが、他の地域との交易に頼らず、ほぼ自給自足で村の食卓を賄うことができるのだ。
 つい百数十年ほど前まで陸の孤島で居られたのにはそういう理由もある。まるで六百年前の悲劇の際、時の大地の化身であったサルビアが祝福したかのようだ。
 それに比べて王都アグィーラは、人口の多さも手伝って、食料の大半をエルアグアの土地に求めなければならない。以前エルアグアで大規模な旱魃があった際には大問題に発展した。
 そして最近、再びエルアグアのワイの町に危機が迫っている。妙な病が流行っているのだ。最初はワイの族長エリカの夫が原因不明の病に倒れたという連絡が入った。そのエリカの夫は今、アグィーラの医局に収容されている。
 しかしその後、似たような症状を訴える者が数名現れた。いずれもワイ族である。それで、エルアグアの土地で何かしらの流行り病が発生しているのではないかという噂が囁かれていた。
 原因が分からないため、ワイからの食物の輸入やワイとの交流は避けた方が良いのではないかという者が出始めた。このままでは国の食糧庫が危機に陥るばかりか、ワイの町が孤立してしまいかねない。
 定期の仕事でアグィーラを訪れ、薬師室の扉を開けたカリンは軽く息を呑んだ。いつものとおり受付に座っているユウガオがにやりと笑う。いや、目の表情から笑ったのだと推測した。口元はマスクに覆われて見えない。手には手袋をはめていた。
 「来たな。」
 「ユウガオさん、これはもしかして…。」
 「察しがいいな。例の病の対策だ。医局内は全員マスクに手袋着用。医局を出る際には全身消毒な。マスクと手袋はあそこの棚に置いてあるから自由に使っていい。一回出入りするたびに総とっかえだ。使用済みの物はまとめて滅菌される。」
 「原因は…まだ解っていないのですよね。」
 「解ってないよ。あ、でも名前が決まった。石化病という。つまらない名前だろ?」
 「ユウガオさん、周りに聞こえますよ。」
 カリンがくすくす笑うとユウガオは、構うもんか、と返す。そして真面目な表情になり、少し声を落として続けた。
 「お前、もしかしたらアオイ様の供を命じられるかもしれないぞ。」
 「アオイ様の?」
 「そう。…これ以上、医局でワイの患者を引き取るわけにもいかない。こんな効くか効かないか分からない感染対策だってやりたくはない。だからな、医局長はワイに医師を派遣することを検討している。」
 「それで、アオイ様が?」
 「他に引き受け手が居なかったんだよ。そりゃ皆嫌だよな。」
 「医局長…ツツジ様とリリィ様はそれをそのままお認めになった?」
 「な。俺もさすがに驚いた。いくら自分から家を出たとはいえ、血のつながった我が子だぜ?でもな、本気で見限ったらしい。あそこは…養子を取るっていう噂だ。」
 これにはカリンも絶句した。何とか言葉をひねり出す。
 「それで…何故、わたくしが?」
 「薬師も一人同行させろというんだが、勿論誰もやりたがらない。お前は…断らないだろう?」
 「わたくしは…マカニ族です。」
 「断るのか?」
 「ユウガオさん、今日は意地悪ですね。…心配してくださっているのですね?有難うございます。」
 「なんだよ。察しが良すぎてつまらない。」
 「ふふふ。医局全体忙しそうなのに、ユウガオさんは退屈そうですね。」
 「仕事は忙しいが、皆の動きが型にはまりすぎてて面白くない。」
 「わたくしがワイへ行ったら面白くなるのではないですか?」
 「それは否定しない。否定はしないが…お前は俺に何を言わせたいんだ?」
 「特に何も。」
 ユウガオは溜息をついて必要な薬の目録を差し出した。カリンは黙って受け取って目を通す。いつもより心持ち薬の減りが少ない気がした。
 「患者も医局に寄り付きたがらないんだよ。命に別条のない病なら家でじっと我慢してるんだろ。」
 「深刻ですね。…色々と手遅れにならないと良いのですけれど。」
 「ま、とりあえずいつもどおり頼む。」
 そう言って、ユウガオはいつものようにひらひらと手を振った。

 「正直に言うと、今のところ全く打つ手がないの。」
 挨拶もそこそこに、レフアは首を横に振りながら言った。
 必要な薬は手持ちの薬草でどうにかなったので、定期の仕事はあっという間に終わった。アオイの所へ行ってみようかとも思ったが、何も言われる前から訪ねていくのも変だと思い直し、レフアに会うことにしたのだ。ローゼルは訓練場に行っていて留守だった。城のしつらえもすっかり秋冬の装いである。
 「ワイに医師を派遣すると聞いたわ。」
 「それも人選に苦戦している。一刻も早く派遣したいのだけれど。もし何らかの感染症だった場合のことを考えると頻繁に入れ替えるわけにはいかないし、ある程度長期で派遣できる人となるとそれだけで限られてしまう。その上、可能な限り少人数で必要な機能を賄わなければならないからそれなりに優秀な人でなければならない。」
 「聞くだけで大変そうね。私もすぐにこの人という方は思い浮かばないわ。」
 確かにアオイは適任だと密かに思う。優秀な医師である上に独り身だ。しかしさすがに一人というわけにもいかないだろう。
 「レフアは、もし私が薬師としてワイへ行くとしたらどう思う?」
 「そんな話があるの?」
 「いえ。でも、誰も引き受け手がいないって。」
 「無理よ。いつまでになるかも分からないのだもの。今度こそわたくしがレンに叱られてしまう。」
 「そうよね。」
 「ただ…。」
 「ただ?」
 「薬師は必ずしも常駐でなくても良いと思っているの。」
 「ああ…。でも、人の行き来は最低限にしたいのでしょう?」
 「いずれにせよ薬師は薬を作るために薬草を採りに外へ出るでしょう?」
 「それもそうね。…重要なのは処方か。あとは治験の後の調整。」
 「最初だけでも一緒に行ってもらえると助かるかもしれない。カリンはギリア殿にお会いした?」
 ギリアとは医局に収容されているエリカの夫だ。カリンはまだ会っていないので首を横に振る。
 「そう。わたくしもローゼルも、医局にすら近寄らせてもらえないわ。医局で王族と接触できるのは医局長のみ。」
 「私も医局の人間よ。」
 「そういえばそうね。」
 「お会いしてみようかしら。」
 「ワイへ行くよりもそちらの方が良いかもしれないわね。病の進行はギリア殿が一番早い。誰かが反対したとしても、私が許可したと言えばお会いできるでしょう?」
 その時、扉が開いてローゼルが部屋に入ってきた。カリンの姿を見つけ、来ていたのかと独り言のように呟く。お帰りなさいと声をかけたレフアに頷いて見せると、カリンの方に向き直った。
 「父上がお前に会いたがっていた。」
 「おじさまが?」
 「おそらくエルアグアのことではないだろうか。」
 ローゼルの父親であるアジュガは、ローゼルが王配になるまで随分長い間エルアグア地方の傭兵としてワイの町に滞在していた。確かに思い入れがあるに違いない。
 「私はまだ何も関わっていないよ。」
 「他に医局の人間を知らないからだろう。」
 「そうね。おじさまがお願いすれば誰か紹介してもらえると思うけれど、医局の人間との接触も制限されているのですってね。」
 「ワイで三人目の罹患者が出てからはずっと厳戒態勢だ。何せ、宮廷医局のどの医師にも原因が分からないのだ。由々しき事態だな。」
 「ローゼルからそんな言葉が出てくること自体由々しき事態だわ。おじさまはどちらに?」
 「この時間は大抵中庭に散歩に出ているのではないだろうか。そうでなければ部屋でお茶でも召し上がっているだろう。最近、本を読むようになったそうだ。」
 「まあ。」
 「人とは変わるものだな。」
 「ローゼルだって。…それに、悪いことではないわ。」
 「そのとおりだ。」
 「それでは、おじさまにご挨拶してからギリア様にお会いしてこようかしら。」
 「ギリア殿に?」
 ローゼルはちらりとレフアの方を見た。レフアは悪戯を見つかった子供のような表情になり、ごめんなさいと小さな声で言った。
 「レフアを責めないで。私が先にエルアグアに行く話を持ち出したのよ。」
 「お前は相変わらず…。」
 「でも、誰かがやらなくてはならないのでしょう?」
 「…そういう時に自ら動く人間は結局いつも同じなのだ。そしてお前はそういう人間だ。よく知っている。」
 溜息をつくローゼルにふふふと笑って見せ、レフアにまた明日来ると約束して、カリンは二人の部屋をあとにした。


---
この物語は長い長い物語です。これまでの物語の索引はこちら。


鳥たちのために使わせていただきます。