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物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 7 アキレアの話

-アキレア-

 ツクシを先頭に、数人の子供たちが駆け寄ってきた。
「学校帰りか?」
 声をかけると皆口々に肯定の返事や挨拶をする。
 太陽光発電に関するいざこざがあった後、アキレアは子供たちの話も聞くようにしていたし、子供たちもまたアキレアに、挨拶だけではなく、その日にあったことなどを話してくれるようになった。改めて聞いてみると、それはなかなかに面白いものだった。
「今日は暑いな」
「うん。ねえ族長、族長が昔戦士だったって本当?」
「え? ああ、本当だとも」
「えー。嘘。全然見えない。魔物とも闘ったの?」
「勿論だ。むしろ魔物専門だったとでも言った方が良いかも知れぬ」
「族長強いの? 魔物ってどんなだった? 話聞かせてよ」
 聞かせて、と他の子供達も同調する。大人相手ではそうはいかないが魔物の話だけに魔が刺した。アキレアは大きな声で笑って頷いた。
「よしよし。今日は暑い。館へ来て氷菓子でも食べるか? しかしその前に皆きちんと親に了解をとってくることだ。私は館で待っていよう」
「分かった。約束だよ?」
「私は……」
「知ってる! 族長は約束を破らない!」
 後でね、と手を振って散ってゆく子供たちの背中を眺めながら、アキレアはもう一度、大きな声で笑った。

*****

 頭はからっきしだったが、腕っぷしは強かった。だから戦士に志願した。しかし、戦士の仕事というのは思ったよりも多種多様で、頭を使うものも多くあった。
「魔物と闘うだけでは駄目なのでしょうか」
 尋ねたアキレアに、当時の戦士の頭は「そういう任も無くはない。希望者がいないだけでな」と言った。敢えてそういう任に志願したアキレアを仲間たちは大いにわらった。
 そう。その笑いは愛情の籠った笑いではなく、少なくない量の揶揄が混じっていたと思う。敢えて危険な任務に志願するとはアキレアのお人好しはここまでか。あるいは、なんと単純な男。そんな声が聞こえてくるようだった。
 決して闘うことが好きだったわけではない。ただ、自分にはそれしか能が無いのだと思っていた。それを証拠に、人間相手には取っ組み合いの喧嘩すらしたことがなかった。口喧嘩ではいつも負けていた。それでも村の手伝いでアキレアの腕っぷしが強いことは知られていたから、誰も本気の取っ組み合いを挑んできた者はおらず、アキレアも弱虫の烙印を押されはしなかった。
 戦士の訓練は楽しかった。自分ひとりでは持て余していた腕っぷしの強さの、正しい使い方を教えてもらっている気がした。ひとりでこれをやるのは無理だ。訓練に感謝していた。
 愚直に訓練をこなすアキレアは戦士として必要な技能を次々と身につけていった。アヒ族の主な武器は槍だ。アキレアは誰よりも長く重い槍を扱うようになった。一般的には頭を使う部類に入る技能も、アキレアはただただ教えられたとおりに憶え、頭を使わずとも、身体は自然とその法則に従って動くようになった。
 元より魔物の動きに複雑な意思のようなものはなく、からくり人形のように一定の規則に則ってひたすら人間に向かって襲いかかってくるだけだ。魔物は火や光に反応する。恐れるのではなく、火や光の近くにいる人間を先に襲うのだ。光の石で造られた武器によって浄化されるのに、光に惹かれるかのごとく反応するとは面白い習性だと思う。それから動くもの。動きの遅いものより早いものを追う習性がある。時に動物を襲うこともあるが、人間と動物が同じ場所に居る場合は人間を襲う。魔物の視野がどれほどあるかは分からない。人間と動物を、視覚によって区別しているのかも分からない。目と思しき部分はあるが、視覚があるのかすら分からなかった。
 魔物は言葉を発しない。ただ時折、おおん、と聞こえる鳴き声とも唸り声とも、何かとの共鳴ともとれる音を発することがあった。それが、他の魔物と意思の疎通をはかる為のものなのかどうなのかも定かではなかった。誰にとっても分からないことだらけの魔物は、アキレアにとっては寧ろ潔いほどに分かりやすい。ただ、浄化するだけの対象だったのだ。
 どんなに強くなっても、アキレアが戦士の頭になることはなかった。隊長になったことすらない。誰かに言われたとおりに任務をこなす。それが自分の身の丈に合っていると常々思っていた。
 命の危険を感じたこともあった。大怪我を負ったこともあった。それでも、戦士という職業を嫌いになることはなかった。それ以外の仕事に就いている自分を想像できなかった。
「まったく、お前は戦士のかがみだよ」
 ある時仲間の戦士が言った。その頃にはアキレアをわらう者はいなくなっていたが、大っぴらに褒める者も居なかったので、アキレアは驚いた。
「何故だ?」
「お前ほど真面目に訓練に臨み、出世も考えず、ひたすらに闘う男を俺は他に知らない」
 アキレアは大声で笑った。
「そればかりが戦士とは言えまい。俺は自分の楽な方楽な方へと進んでいるだけだ。決して褒められたことではないだろうよ」
「その結果がこれか?」
「そうなのだ」
「それはもう、天然の戦士だな」
「戦士とは魔物と闘うものか?」
「危険に身を置く職業だろう。それが今の世の中、魔物が最たるものということだ」
「うん。では時代が合っていたのだな」
「死ぬのが怖くないのか?」
 それは確か、今までにない量の魔物を浄化した後のことだった。無傷な者は皆無で、重症者や死者も出た。アヒの村の診療所では手が足りなくて、動ける戦士は重症者を手分けしてアグィーラまで運んだ。その帰り道のことだったと思う。こんなことが続いたら、アヒの村もいつまで持ち堪えられるか分からない。そんな予感のする闘いだった。
 しかしアキレアは、不思議と怖いとは思わなかったし、絶望してもいなかったのだ。根が単純だからかも知れない。生きられるだけ生きて、死ぬ時は死ぬ。そう思っていたからかも知れない。
「複雑なことは考えられぬのだ。死んだらそれまで。そう思っている」
「お前が羨ましいよ」
 その仲間には妻と幼い子供が居た。それも、アキレアとの差であったかも知れないと当初は思ったが、アキレア自身はツバキと一緒になった後も、子供ができた後も変わらなかった。その頃にはツバキの代わりに火の化身の候補になっては居たものの、空振りの世代の化身には大した任務もない。相変わらず戦士として前線に出ていた。
 族長になるまでは。
 死ぬのが怖くないのかと問われたら、よく分からないと答えるしかない。
 ツバキのことは心から愛していたし、子供は可愛かった。しかし、戦士というのはアヒ族の誰かが勤めなければならないもので、それがたまたま自分の性に合っていた。それだけのことだ。
 もしツバキが死んだら、自分は大いに悲しんで泣くだろう。それと同じような思いをツバキや子供にさせるのは申し訳なかったが、少なくとも巫女であったツバキもツバキの子供も、館の者たちが大切にしてくれる。生活には困らないだろうと思った。 
 自分は戦士でいるしか能がないのだ。
 その分、簡単には死なないために、訓練には真剣に取り組んだ。自分にできるのはそれだけだと思っていた。

 族長になった後、戦士の職が恋しくなったかと問われたら、それも否だった。性にはあっていたが、執着はなかった。
 ただ、族長になってから気がついたのは、自分は人間関係を放棄していたのだということだった。ただただ魔物を相手にしていれば良かった時には考えもしなかったことだった。人間の方が、魔物より随分難しい。意思があるからだ。その意思を無視することは決してできない。
 戦士は集団で行動するが、序列がはっきりしている分、細かい人間関係の機微が少ない。そして、こと訓練や魔物との戦いにおいては案外孤独なのだった。

 *****

「凄い。それで、どうなったの?」
「ん? ああ、どこまで話したのだったかな」
 見るとツクシの前の氷菓子はすっかり平らげられていた。他の子供たちの皿も似たようなものだ。随分長く話をしたようだが、ところどころ自らが回想していた時間も長かったようにも思えた。子供たちは満足しただろうか。
「凄い数の魔物を倒したって話。百じゃ足りないくらいだったんでしょう?」
「うんうん。そこまで話したか。それじゃあそれで終わりだ」
「え?」
「その繰り返しなのだ。魔物が現れたら、ひたすら浄化する。数が多かろうが少なかろうが変わらぬ。その場に居る魔物が全滅するまで闘うだけだ」
 魔物は仲間がやられたからといって怒り狂いもしないし、形勢が悪いからといって引くこともしない。だから、全滅するまで淡々と闘うしかない。心理戦は皆無。力が全てだった。
「たくさん魔物を倒したらその分お金がもらえるの?」
「何だ、急にちゃっかりしおって。まあ、それなりに大変な任務の後には手当は出る」
「だって、命かけてるんだよ? 割に合わないじゃないか」
「わっはっは。お主は私よりもしっかりしておるな」
「族長、強いんだね」
「見えぬか?」
「いや、だからそんな風に笑っていられるのかなって思った」
「むむ。それはどういう意味だ?」
「魔物は怖いよ」
 先程までの威勢は何処へやら、急に硬い表情になったツクシを見てアキレアは、ツクシの親類に魔物に殺された者が居ただろうかと考えを巡らせる。すぐには思い当たらなかった。
「俺、本物の魔物見たことないよ」
 他の子供がポツリと言うと、「僕も」「私も」とそれに同調する子供がちらほら。ああ、この子らはそういう世代なのだ、とアキレアは思う。
 闇が浄化されてから六年の歳月が経とうとしていた。闇が浄化された時、この子たちはまだ物心がつくかつかないかの時だ。魔物が蔓延はびこっていた時代のことは記憶に無いかもしれない。
「魔物は怖いぞ」
 アキレアはわざと怖い表情を作って子供たちに見せたが、子供たちは怖がるどころか、怖がるふりをして、わあわあと囃したてる。しかしツクシは相変わらず硬い表情だった。
「だから、戦士が必要なのだ。しかしな、皆が戦士になる必要はない。強い者が戦士になるわけでもない。強さも色々だからな」
 ツクシの不安気なままの視線が、しかし真っ直ぐにアキレアの瞳を捕らえた。
「色々な強さって何?」
「お主は私が強いとは思っていなかったのであろう? それは私が人間相手に強い態度に出られぬからではないか? 頼りないと思っておったのであろう」
「うーん。そうかも知れない。頼りないっていうか、族長って偉い人だと思ってたけど全然偉そうじゃないし、俺たちが文句言ったら困った顔するし……」
「そのとおりだ」
「え?」
「私は頭が弱い。その部分は誰かに助けてもらわなければならない。だから自分が強いと思える強さ活かせる仕事を見つけたのだよ。色々なことがあった結果、今は戦士を辞して族長をしておるがな、これはたまたまだ。皆が私のような族長でもいいと言ってくれたから今がある。皆に助けてもらわねば成り立たぬ。それを強いと言えるかな?」
 ツクシは暫く考えるそぶりを見せた。アキレアはツクシが口を開くのを待ちながら、すっかり溶けてしまった、自らの前のかつて氷菓子だった水分を掬って口に入れる。溶けてはいるがまだひんやりとしていて、程よく甘くて、十分に美味しかった。
「お主たちが先日した悪さだが、やり方はまずかったが、間違っていると思ったことに対して何らか行動を起こしたこと自体は立派だったと思う。それもひとつの強さだ。泣き寝入りして陰で文句を言うくらいならば、何らしか行動を起こした方が良いことの方が多い」
「怖かったよ。あれも、怖かった。でも、どうしてもやらなきゃと思ったんだ」
「うむ。それでいい。私だって魔物が怖くないわけではない。でも、誰かがやらねばならないからやっていた。それだけだ」
「魔物が怖かったのに、戦士になったの?」
「そうさ。それしか能がなかったからな。お主らは可能性の塊だ。まだ、何にだってなれる。自分が一番強いと思うことに精進すれば良い」
 それは少しだけ嘘だった。魔物が恐ろしくなかったわけではないが、それ以上に人間が恐ろしかったのだ。人を傷つけることが。人を不快にさせることが。それは今だって変わらない。それでも、同時に同じかそれ以上に人が好きだった。好きだから、傷つけるのが怖いのかも知れない。

 また話を聞かせてね、と口々に言いながら、子供たちは館を去っていった。その小さな背中が眩しい。あれはアヒの未来そのものだ。
「アヒはいい村だなあ」
 呟くアキレアを、庭の手入れをしていた使用人たちが、可笑しそうに見つめていた。 


アキレア by KaoRu IsjDha


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天鵞絨色の種子篇1


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