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物語の欠片 72

-レン-

 晩餐会の後、レンたちは再び図書室前の中庭で話をしていた。遠くの方に、同じように数人の人が集まって話をしているのが見える。
 カリンの姿を見たおかげで、化身たちは皆先程よりも安心しているのが感じられた。イベリスはいつものように率先して場を盛り上げていた。レンも、変わらぬマカニの日常について話す。レンにとっては日常でも、マカニの暮らしを知らない他の化身にとっては興味深いようだ。
「姫様も成人されたら婿選びが始まるのですよね。おかわいそう。きっとご自分の希望は聞き入れられないのですわ」
 和やかにお互いの近況を報告しあっていると、突然ルクリアが暗い声で言った。
「どうしたのいきなり。何かあった?」
 ネリネが優しく尋ねる。
「……わたくし、前回ワイに戻った後、勇気を出して両親に許婚の話を嫌だと言ったら、嫌だと言うならば相手を連れてこいと言われて……。とりあえず闇の浄化までは待ってくださいとお願いしたのですけれど……」
 ルクリアはそう言って溜息を吐く。
「そりゃあ厳しいなあ。いきなり相手と言われても」
 イベリスが同情したように言う。
「闇の浄化が終わったらきっと、婚姻の儀を行われてしまいますわ。その前に……」
 ルクリアはレンの方を見る。それまで同情していたイベリスとネリネがそれを見て固まった。
「ルクリア、まさか……」
 二人の声が重なる。
「レン、わたくし……」
 ルクリアが今にも泣き出しそうな目になる。レンは何も言えなかった。黙って他の三人の顔を順番に見る。
「わたくし、レンのことが好き。お願い。私と一緒にワイに来てください」
「ちょっとルクリア、落ち着いて!」
「おい、お嬢さん!」
 何故かレンよりも早く、イベリスとネリネが焦って口を挟んだ。レンは何が起きているのかよく分からなかった。ルクリアは潤んだ目でじっとレンの顔を見詰めている。
「えっと……どうしてそんなことになるのかな……」
「どうしてって……レンは他に好きな人が居るのですか?」
「いや、だからさ……」
「はぐらかさないでください」
 イベリスとネリネはもう、言葉を挟むのをやめたようだ。息を詰めてじっと成り行きを見守っている。
「うーん。参ったな。あのさ、僕はまだそんなこと考えてないんだ」
「では、今考えてください。他に好きな人が居るのですか?」
「好きな人は沢山いるけど……」
「そう言う意味ではありません。特別な人です」
「だから……考えたことないんだよ」
「……カリンなの?」
 ルクリアにそう言われて、レンの胸がどくんとひとつ大きく波打つ。カリンは……。
「……カリンのことは、それは大切だよ。子供の頃からの友達だし。でも、カリンもあの夢のせいで、そういうことは後回しにしているんだ。だから……」
「答えになっていません!」
 レンは段々と腹が立ってきた。どうして自分が責められなければならないのだろう。レンは溜息を吐いてから言う。
「カリンのことは、他の誰よりも大切だよ。でも、今はそれ以上のことは考えられない。他の誰とも、一緒になるなんて考えられない。それでいいかな」
「どうして……どうしてカリンなのですか? どうして……」
 そう言いかけたルクリアがそのまま固まった。気がつくとイベリスとネリネも驚いた表情のまま固まっている。レンはゆっくりと後ろを振り返った。
 そこに、カリンが立っていた。
 少し哀しそうな微笑みを浮かべている。
 カリンはそのまま、レンの横を通り過ぎてルクリアのところまで歩いていくと、ルクリアを優しく抱きしめた。
「ルクリア。ワイ族の掟は厳しくて、外を知ってしまったルクリアにはつらいね」
 ルクリアは固まったまま黙っている。
「でも……きっと今はみんな、闇の浄化のことで頭がいっぱいなの。だって、自分の命がかかっているのだもの。だから、もう少し待とう? 今すぐには答えは出ないわ」
「でも、時間が……」
「大丈夫。闇の浄化が無事に終わったら、私が一緒にワイに行って、ワイの族長様とお話しするわ。何故、親が婚姻の相手を決めなければならないのか。……然るべき理由があったらまたその時どうするか考えないといけないけれど、でも、それも一緒に考える。必要ならばご両親ともお相手ともお話しする。だから、焦らないで。今焦って、すべてを壊してしまわないで……ね?」
 カリンの声はとても優しかった。ルクリアは暫く沈黙していたが、やがてその目から涙が溢れた。
「……本当?」
「勿論。私は嘘はつけないの」
 カリンが優しくルクリアの背中を撫でる。
「信じてくれる?」
 カリンが問うと、ルクリアは頷いた。
「……ごめんなさい、カリン。私、カリンの言うとおり焦っていたの。この成人の儀が終わったら、もうあまり会える機会が無いのではないかと思って……それで……ごめんなさい……」
 ルクリアはカリンの肩に顔を埋めて泣いた。
「大丈夫。ルクリアは何も悪くないわ」
 大丈夫……そう言ってカリンは、ルクリアが落ち着くまで背中を撫でていた。
 やがてルクリアはカリンから身体を離し、レンたちにも、ごめんなさいと謝った。
 いきなり、ルクリアから離れたカリンの身体を、イベリスが後ろから抱きしめた。イベリスはカリンの頭に自分の顎をつけてくつくつと笑っている。
「お嬢ちゃん。あのさ、今のはお嬢ちゃんが『ごめんなさい、私……』とか言って去って行って、レンが『カリン違うんだ』って追いかける……っていう場面じゃないか? どうしてお嬢ちゃんが中に入ってきて収めちゃうんだよ」
「そうなの? ……いいのよ。私は変わり者なんだから」
 カリンは少しも動揺せずにそう答える。
「お嬢ちゃんは本当に面白いなあ。いい子だ」
 イベリスはカリンから身体を離し、カリンの身体を自分の方に向けて頭に手を置いた。カリンはうふふと笑った。それから皆の方を向いて言う。
「図書室でお茶を飲みながら、明日のことについて話しましょうか」

 渡したいものがあるから待っていて。皆と別れた後レンがそう言うと、カリンは頷いて中庭のベンチに腰掛けた。
 レンがカリンに譲る弓を持って戻ると、カリンは其処で空を見上げていた。曇っていて星はあまり見えない。丸い月が雲に霞んでぼんやりと光っていた。
 晩餐会の前の賑わいが嘘のように人影がない。皆、明日の成人の儀に向けて早めに休んだのだろう。
「おまたせ。これ……」
 レンはそう言って剥き出しのままの弓を差し出した。カリンは驚いた顔をする。
「……いいの?」
「うん、もう使わない。一度このクマタカの弓を使ってしまうと、他の弓を引く気にならないな」
 カリンは弓を受け取り、弓身をそっと撫でながら大事そうに眺める。
「カリンも成人しただろう? そのお祝いにちょうどいいかなと思って」
 レンがそう続けると、カリンははっとしたようにレンを見た。
「私はレンの成人の時、何もしてない」
 レンは笑う。
「いいんだよ。偶々いいタイミングで弓が変わっただけなんだから。毎回おさがりで申し訳ないけど」
 カリンは激しく首を横に振った。
「嬉しい。ありがとう。……この弓は、レンを助けてくれた弓だもの」
 レンが切り通しで遭難した時のことを言っているのだろう。弓が月明かりを受けて光り、カリンにレンの居場所を教えてくれた。
 カリンは弓を抱きしめた。
「ありがとう。大切にする。最初の弓も、この弓も。私の宝物だわ……」
 カリンは明るい笑顔を見せた。いつものカリンの笑顔だ。それを見たレンは思わず尋ねた。
「……どうしてマカニに帰って来なくなったの?」
 途端にカリンの笑顔が翳る。
「……ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃなくて、理由が知りたい」
 レンはカリンの隣に腰掛けた。
「……マカニに行ったら……レンに会ったら……決心が鈍ってしまいそうで……行けなかったの」
「何の決心?」
「……」
「五日間何を見ていたの?」
「此処では話せない」
「じゃあ部屋に行こう」
「お城では無理だよ」
「カリンの家は?」
 レンがそう言うと、カリンの身体がびくっと痙攣した。俯いていて表情は見えない。身体が僅かに震えている。
「……今は平気なの?」
「な……にが?」
「カリンは僕に会ったら決心が鈍るって言っていた。でも、こうして今、二人で話をしている」
「……分からない。ずっと怖かった。今は平気。でも……いつ……崩れてもおかしくない」
 相変わらずぎりぎりなの。カリンはそう言って弱々しく笑った。
「今、僕が肩を抱いたら苦しい?」
「え?」
 カリンが顔を上げてレンを見詰める。レンはとても優しい気持ちになっていた。マカニを出る前はあんなに息苦しかったのに。あの気負いは何処へ行ってしまったのだろう。
「今回の夢の内容はまだ分からないけど、でも、前の夢ではカリンは僕のせいで苦しんでいた。それなのにそれを知らない僕が一生懸命慰めて……滑稽だった」
 レンは自分が、自嘲気味ではなく、きちんと優しい笑顔であることが自分で分かった。
「滑稽だって分かっていても、やっぱり目の前で苦しんでたり悲しんでいたりするカリンを見ると、何かしたくなるんだ」
「……分からない。そう言われると嬉しい。でも……多分苦しい。……分からないの」
 カリンはまた下を向いてしまった。
「以前、族長が教えてくれたんだ。大切なものができることは苦しいって」
 カリンは俯いたまま黙っている。しかし、聞いていることは分かった。
「苦しいけれど、その苦しさを含んだ上で、それでもしあわせだって」
 言いながらレンは族長からの伝言を思い出した。
「族長がカリンにくれぐれもよろしくと伝えてくれって言ってた」
「……レン……」
 カリンは下を向いたまま口を開いた。
「何?」
「成人の儀が終わったら、私、マカニへ帰るわ。この後はしばらく大きな仕事はないの。マカニで話そう。族長様も一緒に。……シヴァさんは、族長様のご判断に任せる」
 それで、カリンの夢がマカニに関係することなのだと分かった。
「うん。分かった」
 族長はやはり凄い。たったひとことで、しかも伝言で、カリンの心を動かしてしまった。
 レンはそっとカリンの肩を抱いた。カリンはレンに寄りかかりもしなかったが嫌がりもしなかった。ただ、小さい声で、ありがとう、と言うのが聞こえた。

 姫の成人の儀は任命式とは異なり、大鷲の間という大きな会場で盛大に行われた。厳かというより、盛大という形容詞が相応しい、正に祝いの場だった。
 意外なことにレンたち化身は、アグィーラ外からの賓客ということで、姫に祝辞を述べる列の一番前に並ばされた。つまり、最初に姫と少し言葉を交わした後は、ずっとその長い列を眺めることになる。
 挨拶の際にはカリンが対闇使として先導してくれたので、戸惑うことはなかった。姫は化身たちの姿を見ると嬉しそうにした。祝いの言葉を述べると、また皆でゆっくりと会いたいと言っていた。その言葉は決して社交辞令ではなさそうだった。
 姫は最後までにこやかに、疲れた顔も見せずに皆の祝辞を受け、ひとりひとりに言葉をかけていた。レフア姫は一生懸命で誠実な人柄なのだとレンは認識を新たにした。
 ローゼルはいつもの感情の読めない顔で、姫のすぐ後ろに控えていた。結局レンは今回、最後までローゼルと言葉を交わすことはなかった。
 ルクリアは昨夜のことの後でさすがに気まずかったのか、ずっとネリネと話をしている。イベリスはしきりにカリンに話しかけていた。
 レンはイベリスとカリンの隣で祝辞の列を眺めながら、ずっとカリンの夢について考えていた。早くマカニに戻ってカリンを迎えたい。カリンが帰って来ることを仲間たちに伝えたかった。

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