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物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 2

-レン-

 アグィーラの官吏を運ぶのに十二名、機材を運ぶのに更に十名。戦士の他に土木師が十名。合計三十二名の、比較的大きな任務だった。
 レンはクコと知り合いであることもあり、隊のリーダーを任されていたが、他にスグリも土木師長のレンギョウも居るので、重圧は分散されている。それよりも、久しぶりに正式な任務に就くことができる喜びの方が大きかった。
「もう聞き飽きたかもしれないが、無理するなよ」
 族長と朝の打ち合わせを終えた後でシヴァが念を押す。
 アグィーラの官吏たちとは族長の家の前で待ち合わせていた。既にマカニ側の人員は揃っている。
「うん、聞き飽きたよ。大丈夫。無理はしない」
 空に雲が多く、少しだけ天候が不安だったので、シヴァの心配も理解できる。レンは明るく答えながらも気を引き締めた。
 程なくしてアグィーラの官吏たちが階段を上って来るのが見えた。クコが大きく手を振っている。レンも同じように手を振り返した。
 互いに簡単に自己紹介をし、誰が誰の翼を借りるのかを決めた。クコはレンが乗せてゆくことになった。
 機材が厩舎の脇に置いたままになっているので、シヴァに別れを告げて第五飛行台から飛び立った後、一度下まで降りる。短い飛行時間ではあったが、初めて空を飛んだ官吏たちからは歓声が上がった。
「いや、何度飛んでも感動するなあ」
 クコも満面の笑みである。
「この後、マカニでも一番高い場所へ飛びます。クコ殿もまだ飛んだことのない場所ですよ」
 以前クコがマカニへ来た際にはレンがアグィーラまで迎えに行ったので、向かいの峰の辺りは知っているはずだが、マカニの村の峰の上空は初めてである。
「この峰を越えると、あちら側に海が見えますが、今日はそこまでは行きません。山頂は海からの湿気と風で、峰のこちら側よりも雪が降りやすく、吹雪も多いので、山頂までは上がらず、少し下の地点が良いだろうと思います」
 クコを乗せて先頭を飛び、そう説明しながら、あらかじめ族長やシヴァと話し合って決めていた場所にへ隊を導く。隣を、土木師長のレンギョウが飛んでいた。機材の班を任せてあるスグリは一番後ろを飛んでいる。
「海かあ。いつか見てみたいなあ」
「クコ殿ならそう言われると思っていました。ただ残念ながら峰のあちら側は気流が不安定で、不用意にアグィーラの官吏の皆様をお連れすることはできないのです。マカニ族も、訓練された戦士以外の者は山頂を越えてはいけないことになっています」
「なるほど、それなりの覚悟が必要ということだな。ではこの仕事が成功した時の褒美に取っておこう。楽しみがあるということはしあわせなことだな」
「クコ殿のその考え方が好きです」
 山頂付近、東の森が途切れた先の深い雪の中に、一部だけ積雪が薄い部分が見えてきた。昨日、事前に戦士たちが雪かきをしておいた場所である。
 普段、人の住まないこの辺りの雪かきをする者は居ないので、マカニの村の辺りよりも更に雪は深かった。今回のために確保していた場所も、昨日は地面が見えるまで雪を除けておいたはずだが、昨夜の降雪で再びうっすらと雪に覆われている。
「ここか。いい場所だな」
 レンの背中から降りたクコは、空を見上げて目を細めた。曇ってはいるが、その向こうに太陽の光を感じる。
「なるべく岩が少なく平らな場所を選びました」
「それは有り難い。発電板は斜面でも大丈夫なのだが、岩は少ないに越したことはない。維持保守も楽になるしな」
 他の戦士たちも次々と着陸し、背中から降りた建築局の官吏たちは、それぞれの役割に応じて機材を確認したり、設置場所の確認をしたりし始めた。自然と統制がとれていて、まるで戦士たちのようだ。
 マカニの土木師たちは、アグィーラの官吏たちの様子を興味深そうに眺めていた。
「雪は大丈夫そうか?」
 クコが誰にともなく大声で問いかけると、雪の上に棒で線を引きながら測量していたらしき官吏が、大丈夫そうだ、と返した。
「マカニの戦士たちが昨日のうちにこの辺りの雪かきをしてくれたのだろう? 助かった」
「いえ。それより、発電板が雪に埋もれてしまうことはありませんか?」
「発電板自体は熱を持つため、雪が積もりにくい。それから、ああやって測量してるのは杭を打ち込む場所を決めているのだが、それを使って発電板に傾斜を作るのだ。太陽光を集めやすくするだけではなく、雨や雪が下に滑り落ちるように工夫がされている。そういうわけで、基本的には大丈夫なはずなのだが、その辺りの確認をしたいのだ。どのくらいの雪まで耐えられるのか」

 途中から、マカニの土木師たちがアグィーラの官吏たちの作業に加わった。アグィーラの官吏たちが帰ってしまった後は、当分の間自分たちで維持管理をし、定期的に経過をアグィーラへ報告することになっている。基礎の部分から仕組みを知っておくことは重要だろう。
「どの地方もこのくらい協力的だと有難いのだがなあ」
 食堂で準備してもらって運んできた昼食を摂りながらクコが言う。
 測量と杭の打ち込みは午前中で終わり、作業は少し前倒しで進んでいた。杭を打ち込む作業は戦士たちも手伝った。この分だと、陽が暮れる前に今日予定していた作業は終わりそうだ。
「土木師であれば、誰でも興味がある仕事ではないでしょうか。関わることができて、少なくとも私は嬉しい」
 レンギョウがクコの言葉にそう返し、二人の話は専門的な内容になっていったので、レンは空を見上げた。
「雪が降りそうだな」
 いつの間にか近くへ来ていたスグリが呟く。
 スグリの言うとおり、空の低い位置に分厚い雲がいくつも連なっていた。雪の降る空は、雨の時よりもやや明るく感じられるのは何故だろう。
「そういえばここへ来る時、アザレアさんの旗を確認した? 僕はクコさんと話をしていて見るのを忘れた」
 アザレアはマカニで唯一の天読そらよみで、今後予測される天候に応じて家の庭に立てる旗の色を変える。
 赤は吹雪や落雷含む荒天、黄色は一時限以内に強い雨や雪になる可能性がある場合に立つ。その他、強風の日の緑や、濃霧を表す紫などがあり、それによって訓練が中止になったり持ち場が変わったりもするため、戦士たちは比較的頻繁にその旗の色を確認していた。
「白。差し迫った荒天は無さそうだ。雪もちらつく程度かな」
「それなら良かった。でも、じっとしてると冷えるね」
「楽してないで働けってことだな」
「あはは。そうかもしれない」
 とはいえ、午後の最初の作業は、分解して運んできた発電板を組み立てる作業である。土木師たちは手伝いに入ったが、戦士たちの出る幕ではない。レンは、クコに断りを入れたうえで少し辺りを飛んでみることにした。
 スグリが後についてくる。
「山頂まで行くのか?」
「よく分かったね」
「お前がやりそうなことだ」
 久しぶりにマカニの峰の山頂より高くまで飛んだ。
 山頂の向こうは眼下に厚い雲が広がっていて地上が見えなかった。あちら側は明らかに雪が降っているようである。
「雲海みたいだね」
「そうだな」
 レンたちが居る側の空にも、手の届きそうな位置に雲が迫っていた。
「雪雲の中に入ったら、翼が凍るかな」
「おかしなことを考えるなよ。今は任務中だ」
「分かってる」
 レンは大きくひとつ深呼吸をした。
 いつもより少し、空気が薄い気がする。
「アグィーラは晴れだな」
 レンとは反対側を見ていたスグリが眩しそうに目を細めた。
「今年はまだ雪は降ってないってクコさんが言ってた」
「お。あそこにシヴァが見える。こっちのことも見えてるんじゃないか?」
「叱られるかな」
「いや、それは無いだろう。だが、そろそろ戻ろう」
「うん。そうだね」

 予想通り、その日の作業は予定より早く終わった。予定していた作業は発電板を設置するまで。配線は明日の予定だ。半端に作業はできないため、これは予定通り明日の作業とし、村へ戻ることにした。
 クコたちを宿まで送り届け、スグリと二人で訓練上へ上がった。他の戦士たちは任務終了なので、そのまま帰宅してもらうことにした。時間的には、まだ皆訓練をしている時間だ。族長の家へ報告に行く時間にも少し早い。
 訓練場の飛行台では、シヴァが待っていた。
「さっき、下の方へ飛んでいくのが見えたから、そろそろかと思ってな」
「さすがシヴァさん。訓練場に居ても、上空の様子もよく見てるんだね」
「俺たちの動きはお見通しってことだな。悪いことはできない」
「何か企んでいるのか?」
「さあ」
「それはともかく、早かったな。順調に終わって何よりだ」
「クコさんたちの試算は、全部自分たちでやることが前提だったみたい。レンギョウさんたちがだいぶ手伝っていたから早く終わったよ」
 そう言った時、大粒の雪の結晶がひらひらとレンの視界を通り過ぎた。
 三人とも、反射的に空を見上げた。夕焼けもままならない厚い雲の下、雪が舞い始めていた。それに気がついて、訓練を続けていた者たちもその手を止めた。ひとり、二人と帰り支度を始める。
「今夜は降りそうだな。明日の作業に影響がないといいが……」
 シヴァが言い、てっきり族長への報告までついてくるつもりなのかと思っていたスグリは、片手を挙げて挨拶して帰って行った。
 レンはいつもどおりシヴァと二人で族長の家へ飛び、それぞれの報告をした。そして今日から、「族長になるための知識の継承」も正式に再開することになった。レンが怪我をして以来、本などでの自習は進めていたものの、族長から何かを教えてもらうのは久しぶりだった。
 レンを助けてくれたエルムとの関係は、その後もそれほど急に深まりはしなかった。しかし、会うたびに「エルム」と呼びかけることで、なんとなくそれが自分の呼び名であると認識してくれているように感じる。
 そう思うと、自然と勉強にも身が入るのだ。
 レンは、久しぶりの任務を無事に果たし、久しぶりの充実感を持ってその日を終えた。


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