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物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 3

-カリン-

 カリンは午後からの村の配線工事を見学させてもらう予定だった。
 レンは昨日同様、朝からクコたちと行動を共にしていて、山頂付近に設置した発電板から村までの配線工事を手伝っている。
 心配された雪は夜のうちに止んでいた。
 マカニが太陽光発電の実証実験に協力的なのにはマカニ側の都合もあった。
 現在発電に使用している二基の水車は老朽化しており、次の春までに更新が予定されていた。太陽光発電の電力が期待できれば、一基ずつ止めて作業をしても現在の村の生活にはさほど影響が出ないのではないかと期待されているのである。
 アグィーラの医局と違い、マカニの診療所には電気を使用する医療機器はほとんど無かった。今日もカリンは機械を使わず、昔ながらの薬草を煮出す方法で薬を作っていた。
 しかし停電の際の影響は少ないのものの、灯りが消えたり、水道に水を汲み上げるポンプが止まってしまえば不便だ。灯りはすべて燈火だけでまかなわなくてはならなくなり、水は谷川まで汲みに降りなければならない。
 カエデなどはお茶のためにわざわざもっと上流の水を汲みに毎朝出かけているようだが、普段生活する分には水道水で十分だ。マカニの水はアグィーラの水よりも美味しい。第一カリンは翼を持たないので、谷川まで水を汲みに行くことは容易ではなかった。
「良い香りだな。ショウズクか?」
 医術書を読んでいたカエデが尋ねた。
「正解。先日、ポハクへ行った際に買ってきたの。アグィーラに居た時は交易室に申請するだけだったけれど、自分で買いつけるとなると大変ね。でも、ショウズクはラプラヤにしかないから、勝手に採るわけにもいかないの」
 商人の土地らしく、ポハクの在るラプラヤ地方は、自生する植物にもいちいち所有権が定義されていた。うっかり道端の花を摘もうものなら、それだけで代金を請求されるか、訴えられてしまうのだ。
「カエデさんは見に行かないの?」
「工事のことか?」
「そう」
「そうだな。私が見ても役に立つとは思わないから、ここに居た方が良さそうだ」
「族長様はいらっしゃるって」
「ああ、族長は何かと指示を出すうえで、仕組みが分かっていた方が良いのだろう。カリンも様々なことに関わるから、知識は多い方が良いのだと思う」
「カエデさんの、そうやってすっきりと弁えているところ、真似できないなあ。私は何にでも関わってしまう」
 カリンが溜息を吐くと、カエデは「それがカリンの優しさだよ」と微笑んだ。そのカエデにならば話せる気がして、カリンは少し前から考えていることを話してみることにした。
「あのね、カエデさん。私、闇の正体を知りたいの」
「闇の?」
「そう。魔物は、大地が穢れを吐き出すようにして大地から生まれる。三百年ごとに現れる闇は、大地が抱えきれなくなった穢れが一気に開放されて空を覆うのだという。魔物と闇は、元々同じものなのかしら。それに、人の心に生まれる闇というものもある」
「人の心に……生まれる闇……」
 珍しくカエデが眉を顰めた。
 アイリスを魔物に変えたのは、心の闇だった。アオイを侵食しようとしたのも、セダムをそそのかしたのも、心の闇だ。闇に取り込まれたら魔物になる。いや、そもそも魔物と闇は同じものなのではないだろうか。それらは、一体どこからやって来るのか。そもそも穢れとは何だ?
 穢れ、闇、魔物……それらは人間が後から与えた符号に過ぎず、それらの本質を示しているのかすら分からない。
「闇は凡そ三百年に一度現れるものだと聞いていた。だから人間はそれを浄化するために化身たちを集める……しかしそれも、昔の人の作り話だったのだったな」
「ええ。けれど闇は確かに現れて、貴石も確かに存在していて、森の主様が仰るには、貴石は森と大地の化身の力の結晶なのだという。なんだかね、その辺りを、言い伝えに捕らわれずにきちんと最初から考えてみたいの」
「いいのではないかな。カリンは大地の化身だ。自分のことを知りたいと思うことは、当然の考えだと思う」
 カエデは予想通り否定はせずに穏やかに微笑むと、それなら、と言葉を続けた。
「族長と話してみるといい」
「族長様と?」
「私にはお話にならないが、おそらく、族長も似たようなことを考え続けておられるのではないかと思う」
「そうだったの……。そうね、お話してみるわ。ありがとう」
 族長が……。
 それは、カリンの予知夢の話を聞いたからだろうか。いや、族長ならば自分が化身の候補になった時点で闇というものについて考えたのではないだろうか。あるいは、もっと前から?
 どうして思いつかなかったのだろう。やはり自分は、族長のことを何も解ってはいないのだ。

「これが変換器です。ここで直流の電流を交流に変換すれば、あとは水力発電の電流と同じ扱いができる。直流のままでは電圧が変えられないから、電圧の調整も交流に変換してから行います」
 他の官吏たちが作業をしている脇で、クコが図面を使って説明をしてくれる。
 水力発電や風力発電はもともと交流電流を生み出すが、太陽光発電は直流電流なのだという話は、一昨日聞いていた。太陽光発電で生み出した電力と谷川から引いて来た水力発電の電流はここで交わり、ここでは、その調整を行うらしい。
 マカニの土木師たちは時折官吏たちの傍まで行き、作業の手元を確認している。皆、感電防止のためにゴムの木の樹液を加工して造った特殊な手袋をしていた。
「なるほど。ここで繋いでしまえば、どちらかが途絶えても自然ともう一方の電力を使うことになるわけですね。切り替える必要は無いわけだ」
 レンギョウが感心したように頷き、族長を見る。
「しばらく様子を見てからではありますが、水車を一基止めることはそれほど難しくは無さそうです」
「そうか、それは良かった。この話は、マカニにとっては行幸だったな」
「はい……」
「どうかしたか?」
 煮え切らない返事をしたレンギョウは族長に問われ、クコが他の官吏たちの様子を見に行った姿を確認してから小声で話を続けた。
「若い土木師の中に、アグィーラへ行ってみたいという者が数名……」
 族長は理解したというように頷いた。
「土木師だけではなく、そういう者は今後増えてくるかもしれぬな。それもまたひとつの時代の流れ」
「ですが……」
「止められまいよ」
「……はい……」
「心配するな。止めはしないが見捨てもしない」
 レンギョウはしばらく族長の顔を見つめると、黙って頷いた。
 種族の交流が深まるとはそういうことだ。カリンのようにマカニが好きでマカニに住みたいと思うような人間も居れば、アグィーラの刺激に憧れる人間もまた存在する。
 ラウレルだって、まだ種族の交流が盛んではなかった時代に、しばらくアグィーラへ医術の勉強に通っていたと言っていた。マカニから人が外へ出かけてゆくことも悪くはないはずだ。
 しかし、レンギョウのように自らが村の外に出ることの少ない人間が、そのことに違和感を抱くことも理解できた。
 以前のカリンならば、その最初のきっかけを作ってしまったのが自分なのではないかと考え、不安になっていたと思う。しかし、カリンは今、いつか聞いたアルカンの森の主の言葉を思い出していた。
『……良い変化もそうでない変化もあろう。いつも良いことばかりとは限らぬよな。あちらでは良い変化が、こちらでは不吉なものとされるものもあろう……』
 すべては、大きな流れの中に在る。
 自分の居る一点からそれを観察しているだけでは、決して本当の姿は見えないのだ。

 クコたちは予定通り五日間の滞在を終え、アグィーラへ戻って行った。
 電気の流れは滞りなく、発電板への積雪の影響も想定内のようだ。配線に関する問題も見つかっていなかった。
 発電板は、戦士たちの新たな見回り場所として追加された。
 クコとは、程なく城で行われる新年式での再会を約束した。カリンは、レンと共に出席する予定だった。
 もう、年内にマカニを訪れる旅人は居ないだろう。マカニの村では、少しずつ年を越す準備が進んでいた。とはいえ、城のように様々な儀式があるわけでもない。
 村の入口に在るクマタカの紋の旗と、村の中央にある集会場に飾られているクマタカの羽根で造られた飾りが新しくなり、その年最後の日には、そこで族長の話を聞く。その後はそれぞれの家へ戻って、いつもより少し贅沢な食事を、家族でゆっくりと楽しむだけだ。
 年が明けたら皆、思い思いの時間に族長の家へ挨拶に行く。その日、カエデは一日中来客の対応に追われるはずだ。今年はホオズキが新しく族長補佐になったが、おそらくその役割は変わらないのではないかと思った。
 城の新年式は年が明けて三日目に行われるので、カリンたちは当日の朝早くマカニを出発する。それはカリンがマカニへ来てから毎年変わらない時間の流れだった。
 変わりゆくものと、変わらないもの。もしかしたら変わらないと思っているものも、少しずつ変化しているのかもしれない。
 時間の流れは変えられない。その時間を、どう生きるかが大切なのだと今ならば思える。
「綺麗な花だね」
 族長の家から戻り、湯を浴び終えたレンが、先ほどカリンが飾ったばかりの花を見て言った。
金盞花キンセンカよ。薬草でもあるの。花も葉っぱも使えて、花は染料にもなるわ」
「へぇ」
 カリンは普段、来客が無い限りそれほど切り花を飾りはしないのだが、ここのところ金盞花の花付きが良く、薬にしきれないものをマーガレットの工房に染料として分けても、まだたくさん花が咲いていた。そのまま庭に放っておくのももったいなかったので、少しだけ家の中を彩ってもらうことにしたのだ。
「今年も無事に一年が終わりそうね」
「色々あったけどね」
「それでも、レンも私もこうして生きているし、一緒に居られる……今年はレンの方が危険な目に遭ったのではない?」
「その話は止めよう。どうせおじさんおばさんの所でも同じ話をされると思う」
「うふふ、そうだね」
「そういえば新しい旗、見た?」
「うん。今朝、ガイアに会いに行った時に見たわ。地の色の緑がいつもより鮮やかなように感じたのだけれど、新しいからかしら」
「あれ、今年マオさんが織ったんだって」
「え? そうなの? 初めて聞いたわ」
「うん、実際に旗がお披露目される今日まで秘密にしていたみたい。僕も今日シヴァさんから聞いた」
「今度会ったらお祝いを言わなくては」
 織物はマカニの主要な産物のひとつなので、織師は多い。その中で、村の旗を任されるのは名誉なことだった。
 レンの言うとおり、今年も色々あったが、しあわせな気持ちで一年を終えられそうなことが、カリンは何よりも嬉しかった。


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