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物語の欠片 七色の蛇篇 16

-レン-

 カリンは族長と腕を組んで診療所から出てきた。
 診療所の前の階段の手すりに並んで寄りかかりながら話をしているレンたちを見つけると、族長から離れて駆け寄ってくる。
「あのさあ、さっき言ったこと解ってる? 無茶しては駄目だよ」
「カエデさん、私もう帰っても大丈夫?」
 レンの言葉には応えずカリンはカエデに尋ねる。レンは小さく溜息をついた。カエデは笑って頷く。
「カリンは自分の身体のことくらい分かるだろう? あまりレンを心配させないように」
「はい」
 カリンは素直に頷いてレンの方を向く。
「家に帰りたいの。今日は無理しない。だから帰ろう?」
 本当に家に帰りたいらしい気持ちが伝わってきて、レンは仕方なく笑いを漏らす。
「分かったよ。帰ろう。ローゼルも一緒に」
 レンが言うとローゼルは頷いた。
 カリンは族長を振り返った。
「族長様、明日改めてこれからのことをご相談しに伺います」
「分かった。今日はゆっくり休め」
 族長はそう言ってカエデを見た。いつもどおり、人を安心させる穏やかな表情だった。
「我々も戻ろう」
「はい」
 カエデも穏やかな笑顔で頷いた。
 カリンが歩けるというので家まで階段を上った。言葉どおり、カリンの足取りはしっかりしていたのでレンは安心する。既に日が暮れかけていた。
「長い一日だったね」
 レンが言うと、カリンはまだ終わってないよと言った。
「まだ何かあるみたいなこと言わないでよ」
「……最後まで、大切にしたいの」
「カリン?」
「一日一日を大切に生きたい」
 レンは足を止めてカリンの顔を見た。その表情は穏やかだ。ローゼルも足を止める。
「私、無茶はするけれど、決して命を粗末にしているわけではないの」
 カリンはレンの顔を見て微笑んだ。
「分かってるよ」
「ありがとう」
「分かってるけど、それでも心配なんだ」
「うん」
「僕が心配していれば、カリンは戻ってくる」
「え?」
 カリンが驚いた顔をした。
「カリンは守れない約束をしないけれど、僕は約束の力を信じているんだ。確実ではないけれど、それでもぎりぎりのところで、約束をしたことが力になることもある。僕を苦しめたくないという気持ちが、カリンの最後の頑張りを引き出すことだってあるかもしれない。だから……僕はいつだって心配する」
 カリンの驚いた顔が笑顔になる。
「レンもね。私だって心配するのよ」
「分かってるけど、今のところ確率的にカリンの方が高いじゃないか」
「そうだね」
 カリンは笑った。
 「俺も心配していることを忘れるな」
 ローゼルも笑って言う。
「ローゼルも自分を大切にしてね」
「言えてる。そんなに何でもひとりでやっていたら身が持たないよ」
「……身に染みて分かったよ。いくらひとりで頑張っても、限界があるんだ。それでは結局いざと言う時に大切な人を守れない。よく、分かった」
 家に戻り、今日は遅くなるだろうからと昨日のうちにカリンが準備していた夕食を三人で食べた。
 三人とも疲れていて会話は少なかった。それでも三人ともが、こうして無事に一緒に夕食を食べられることを嬉しく思っていることが分かった。
 食事が終わると、レンはローゼルに先に休むよう言った。ローゼルはレンも疲れているだろうと気遣いながらも素直に礼を言い、先日はイベリスが泊まった寝室に入っていった。
 レンは食事の後片付けをしてから湯を浴び、カリンの待つ寝室に入った。
 カリンはベッドに腰掛けて考えごとをしていたが、レンが入って行くと笑顔を向けた。
「おつかれさま。後片付けありがとう」
「どういたしまして」
 カリンの隣に腰を下ろすと、レンは疲労を感じた。本当に長い一日だった。
 朝いちばんで雨乞いの宮に行き、エリカと話した。レンはそれからマカニまで往復し、仲間たちと一緒に水門を動かす手伝いをした。そしてカリンが運河に流される事故があった。今回の件は明らかに事故だ。カリンが自ら危険に飛び込んだわけではない。
 それでもあんなことが起こり得るのだ。
 そう。しかしレンはそういう時に後悔しないためにカリンと一緒に暮らすことにしたのだ。お互い何があるか分からないから、少しでも一緒に居たかった。
 一日一日を大切に生きたい。カリンが言ったとおりだ。
「レン? もう休む? 疲れたでしょう?」
「うん、疲れた」
 レンはそのままベッドに横向きに寝転がった。
 上からカリンがレンの顔を覗き込む。
「カリン。カエデさんがカリンを蘇生させた時、一瞬目を開けたんだよ。その時、族長を呼んでた」
「そう……」
「酷いな。僕じゃなくて族長を呼ぶなんて」
 冗談でそう言ったつもりだったが、言葉にしてみると自分が意外と気にしていることが分かった。胸の辺りに鈍い痛みを感じる。試しに笑顔を作ってみたが、あまりうまくはいかなかった。
「あのね、この間、族長様とアルカンの森へ行ったでしょう?」
「うん」
 何故、森の話が出てくるのか分からなかった。
「アルカンの森の主様は森を訪れる人の記憶が見えるのですって」
 アルカンの森の主は族長の記憶を見たのか。レンは自分の胸の痛みを一瞬で忘れた。
「族長様の心は、アルカン湖の底のように深く昏い。光が届かない。そう言っていた。それは、決して流れることのなかった涙の湖だって。族長様は昏い水の底に居らっしゃるから、明るい場所に居る私たちのことがよく分かるのだわ。そして、明るい場所にいる私たちから暗い場所はよく見えない」
 カリンは、哀しそうな顔になった。レンも先程とは違う胸の痛みを感じた。
「水からの連想かしら。ずっと族長様の夢を見ていたの。昏い水の底にひとりで佇む族長様の夢」
「そうか……。ごめん、おかしなこと言って」
「ううん。いいの。私ね、レンを族長様と同じように哀しみの湖に沈めたくない。そう思って戻ってきたのよ。レンの言うとおりだった。レンを苦しませたくないって思ったから戻ってこられた」
 胸が詰まった。すぐに声が出てこなかった。
「私にとってレンは特別。それはずっと変わらないの。でも、私は欲張りみたい。族長様のことも何とかして差し上げたいし、ルクリアもイベリスもローゼルも……苦しそうだったら何とかしたいって思う。……傲慢だね」
「傲慢では無いと思う。それに、多分僕はそんなカリンだから好きになったんだ。一緒に居たいって思ったんだ」
 今度はうまく笑顔を作ることができた。
「本当? 私、これでいいの?」
 そうやって首を傾げるカリンのことを、心から愛おしいと思った。レンは身体を起こしてカリンの額に口づけをした。
「いいよ。カリンはそれでいい。それに……きっと僕もこれでいいんだ」
 レンはカリンの肩を抱いた。カリンはレンの肩に頭を預けた。
「これでいいっていうのは、このままでいいというわけではなくて、このまま前に歩き続ければいいんだってこと。もちろん一緒にね」
「うん」
「僕だって目の前に苦しんでいる人が居たら助けたいよ。でも、カリンの場合は、その程度がね……」
 レンは笑う。カリンも笑った。
「でもさ、僕は気がついたんだ」
「なあに?」
「カリンは今回、必要な時にはローゼルやクコ殿や僕に助けを求めた。そうだろう?」
「そう……だね」
「最初僕は、またカリンがひとりで何かを始めたと思った。それでイベリスの世話になってしまったわけだけど……でも違った」
「そう……私、自分ができそうにないところは人にお願いしたみたい」
「少しずつ、前に進んでる」
「うん」
「だから、これでいいんだ。でもさ……」
 レンが言葉を止めたのでカリンはレンの肩から頭を起こし、レンの顔を見た。レンは微笑んで見せる。
「でも、僕は……僕こそ傲慢だから、もっと関わりたいって思ってしまうんだよね」
「レン……」
「自分にその能力がないくせに、それでももっとカリンの傍に居たいって、そう思ってしまうんだ」
「それは違うわ」
「そうかな」
「それは多分、私がレンの手を煩わせたくないっていう気持ちとレンが関わりたいっていう気持ちがうまく噛み合っていないのと、私が大丈夫って思う気持ちとレンの心配する気持ちが噛み合っていないだけなのよ。私だってできるだけレンと一緒に居たい」
「それなら話し合いで解決できそうだね」
「そう思う」
「僕が話すべきはイベリスではなくてカリンだったんだね」
「でも、イベリスは頼ってもらえて嬉しかったと思うわ」
「そうかもね。今度、一緒にポハクに行こうよ。今度は僕たちが手土産を持ってさ。この間のお詫びをしなきゃ」
「うん。私もこの間はとんぼ返りだったから」
「それは本当に悪かったと思う」
「ねえ、レン」
「何?」
「愛してるわ」
「僕もだ。カリンが生きていて本当に良かった」
「助けてくれてありがとう」
「みんなで、助けたんだよ」
「それでも」
「うん。漸くカリンを助けられた」
「ずっと助けてもらってる。本当よ」
 二人は口づけを交わし、そのままくっついて一緒に眠った。失わずに済んで良かったとレンは心から思った。先ほどカリンから聞いた昏い湖の底の映像が一瞬頭を掠める。レンはそれを無理やり頭から追い出した。
 今は、考えたくない。
 今はこのぬくもりを抱いて眠ろう。長い一日だった。何も考えずに休むことを自分に許そう。そう思いながらレンは安心して眠りについた。

 翌日、それぞれ身支度を整えて朝食の席に着いた三人は、カリン含めてすっかりいつものとおりだった。ローゼルもよく休めたようだ。
 ローゼルが訓練場を見たいというので三人で訓練場へ上がった。アグィーラの訓練場とはずいぶん違うな、と言いながらローゼルは興味深そうに訓練場を眺める。
 ローゼルに乞われ、レンは何本か弓を引いて見せた。ローゼルは素直に感心した。そして、昨日レンがローゼルの肩口に向かってロープの繋がった矢を放ったのだという話をカリンにした。カリンはにっこり笑って「レンは凄いでしょう」と言っている。
 カリンとローゼルは久しぶりに、と言って剣術の手合わせをした。イベリスとカリンはいつも楽しそう剣術の稽古をしているが、カリンとローゼルはそれよりも真剣だった。お互いの技量を解っているからだろう。手合わせを終えた時、カリンは息を切らしていた。
「降参」
 カリンは清々しい表情で笑った。
「いつの間に腕を上げた?」
 ローゼルも楽しそうにそう言った。
「きちんと、マカニでも毎日訓練しているのよ」
「そうか」
 シヴァが訓練場に上がってくると、カリンはシヴァに駆け寄った。
「おはようカリン。もう動いてもいいのか?」
「動いていいどころか、ローゼルと手合わせしちゃった。シヴァさん、助けてくれてありがとう。心配かけてごめんなさい」
「いや。俺はほとんど何もしていない」
「そんなことない。カエデさんを連れてくることを決めたのはシヴァさんでしょう?」
「まあ、それは偶々だ。でも、本当に良かった」
 シヴァはカリンの頭を撫で、レンとローゼルの方を向いた。
「二人とも、昨日は疲れただろう? 良く休めたか?」
 二人で頷く。
「良かった。じゃあ、族長の所へ行こうか」
 あんなことがあった翌日に、こうしていつもの一日が始まる。そうやって、時間は流れていくのだ。気にしなければただただ時間は流れていく。一日一日を大切にと言葉でいうのは簡単だが余程気をつけていなければただ流れていく時間の方が多いだろう。
 でも、本当はそれがしあわせなことなのかもしれないな。レンはそう思いながら、シヴァに向かって再び頷いて見せた。

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