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物語の欠片 紅の蜥蜴篇 1

-カリン-

 二月のマカニは未だ深い雪の中だが、少しずつ春の気配が近づいてくる季節でもあった。
 雪を被った樹々の枝に蕾を見つけたり、雪の中から僅かに顔を出す新芽を見つける度にカリンの心は明るくなる。陽も少しずつではあるが長くなりつつあった。
 先月、城の新年式に出席した。レンたち化身の仲間も一緒だ。ルクリアは皆にワイでの出来事を話し、カリンとレンに改めて礼を言った。知らなかったイベリスは絶句し、ネリネは呆れた顔をした。ローゼルは相変わらず無口だったが、元気そうだったのでカリンは安心した。
 その際、イベリスにポハクを訪問する約束をした。ワイの件の前にレンが世話になった礼を未だしていなかったのだ。
 カリンは夕食の買い物のついでにイベリスへの手土産にする葡萄酒を何本か買い、マオのところへ向かった。
 シヴァとマオの娘であるシュロが生まれて一年と四月が経つ。それは即ち、闇が浄化されてから一年と四ヶ月が経ったということだ。シュロは闇が浄化された日に生まれた。
 動き始めたばかりのシュロの世話は大変そうで、カリンは時々マオのところへ出かけていき、夕食を作るのだ。
 カリンがマオのところへ行く日は、シヴァとレンが連れ立って家に戻ってくる。交代でシュロの面倒を見ながら四人で夕食を摂るのは楽しかった。
「マオさん、こんばんは。シュロも、こんばんは」
 カリンは二人に挨拶をする。シュロは未だはっきりとした言葉は話さないがカリンの顔は憶えていて、近づいて挨拶をすると顔をぺたぺた触って嬉しそうにした。
「おつかれさま。仕事は順調?」
 マオがカリンに尋ねる。
「順調だと思う。薬師の仕事は相変わらずだけれど、歴史書の再編纂も少しずつ手がつけられるようになってきたわ」
「ワイの遺跡も無事に見つかったのだったかしら?」
「うん。でも、そんなに目新しいものは無かったかな」
「そんなにどんどん新しい事実が分かってもね」
 マオが笑った。マオが笑うと嬉しいらしく、シュロも楽しそうに声を出した。
 レンとシヴァが帰ってきて五人で食事を始めると、カリンとレンが来るとシュロの機嫌が良いのよ、とマオが言った。
 カリンとレンはシュロの顔を見た。シュロは子供用の高い椅子に上手に座って、マオが持つスプーンからカリンの作ったシチューを食べている。カリンとレンが自分を見ていることが分かると皿から目を離し、二人に手を伸ばした。
 カリンはその手に優しく触れ、シュロに向かって言った。
「邪魔してごめんね。今はご飯を食べよう」
 カリンが自分のスプーンでシチューを食べてみせると、シュロはマオの手の中のスプーンを奪い取った。
 慣れない手つきで皿からシチューをすくおうとするが上手くいかない。マオは困った顔をしながらもシュロのやりたいとおりにやらせていた。
「こめん。マオさん、代わるわ。先に食べて」
 カリンは責任を感じて声を掛けた。マオは悪いわねと言って席を替わる。
「シュロも自分で食べたいのね。えらいわ。あのね、こうやるのよ。……そして、貴女のお口はここ」
 シュロの手を取ってスプーンを口に導く。自分の手で持ったスプーンで食べ物が口に入ると、シュロは満足そうに手を叩いた。カリンも手を叩いて上手ね、と笑う。
「カリンはどうしてそんなに子供の扱いに慣れてるんだ?」
 シヴァが尋ねる。
「特に慣れていることはないわ。小さい子と触れ合う機会も無かったし」
 カリンは首を傾げる。
「シヴァさん、カリンにとっては子供だろうが国王だろうが変わらないんだよ。みんな一緒なんだ。人間も馬も植物もね」
 レンが可笑しそうに笑った。そうかもしれないとカリンも思う。シヴァは一瞬考えた後、大笑いした。
「なるほど、そうかそうか。シュロ、良かったなあ、お前王様と同じだそうだ」
 シュロはきょとんとしてから楽しそうに笑った。カリンシチューでべたべたになっているシュロの顔を拭ってやる。
「レンは? レンもシヴァより子供の扱い上手よ」
 今度はマオが尋ねる。シヴァは、おいおい、と抗議の声をあげた。
「僕? 僕は多分、自分がまだ子供だからだ」
 レンはそう答える。カリンは違うと思ったが言わなかった。レンは心が真っ直ぐだから、それがシュロにも分かるのだ。
「ねえ、そろそろ乾杯できるかしら」
 マオがレンの答えに笑いながら更に尋ねた。
「乾杯ならさっきしたよ?」
 カリンとレンは顔を見合わせて首を傾げる。
「貴方たち、祝言から一年経つ頃、先生が亡くなってお祝いどころじゃなかったでしょう? ご飯作ってもらって申し訳ないけれど、乾杯くらいしましょうよ」
 マオがそう言うとシヴァが立ち上がり、キッチンから新しい葡萄酒の瓶を持って戻ってきた。
「特別なやつな」
「ありがとう。確かにお祝いしてないね」
「うん。嬉しい」
 四人は乾杯をした。カリンは、シュロがしあわせになりますように、と言ってシュロとも乾杯をした。シュロは嬉しそうに自分のグラスの水を飲んだ。
「本当に良かったわ」
 マオが呟く。
「何が?」
「貴方たち。一緒になれて」
「ふふ。ありがとう」
「でもせっかく闇が消えて一緒になれたと思ったら、次から次に色々あって……何なのかしらね」
「心配かけてごめんなさい」
「カリンは今しあわせ?」
「とてもしあわせよ」
「良かった。レンは?」
「勿論しあわせだよ。」
「良かった……」
 マオは涙ぐんだ。レンが慌てる。シヴァは優しい表情でマオの肩を抱いた。
 マオの涙を見たシュロの顔が歪んだ。泣く、そう思った瞬間、シュロが大声で泣き出した。
「ああ、シュロごめんね」
 慌てたマオの涙が止まる。しかしシュロは泣き止まなかった。カリンはとても温かかくて優しい気持ちになった。
「ねえ、シュロ」
 カリンは泣いているシュロに呼びかけた。シュロはまだ大声で泣いている。
「抱っこさせてくれる?」
 シュロは泣きながらも両手を広げた。カリンはシュロを抱いて椅子から立ち上がった。
「シュロは優しい子だね。マオさんが泣いているから悲しくなったのね。でもあれは悲しい涙ではないのよ。大人は嬉しい時も泣くの」
 シュロを揺らしながら話しかけていると、少しずつシュロの泣き声が小さくなった。声が聞こえなくなってもカリンはシュロを抱いていた。
「泣き止んだわね。ありがとうカリン」
 マオが礼を言った。
「……寝ちゃった」
 シュロはカリンの腕の中で眠っていた。子供は全力で生きているのだとカリンは少し切なくなった。
「寝かしつけしなくてすんじゃった」
 マオはすっかり笑顔でカリンからシュロを受け取り、寝室に運んでいった。
「明日、ポハクだろう?」
 寝室の扉を見ていたシヴァがカリンとレンの方に向き直って言う。レンが話したのだろう。カリンは頷いた。
「イベリス殿は、本当に良かったよな。だからまあ、色々あるけど結果的にはいいのかもしれない」
 シヴァは先程のマオの話を受けてそう言っているのだ。シヴァはマカニの戦士のリーダーだ。族長の右腕でもある。きっとマオ以上に色々思うところがあるに違いない。
「シヴァさん、あの、私が勝手なことし過ぎたら止めてね」
 シヴァは笑った。笑ってカリンの頭をぽんと軽く叩く。
「任せとけ。……でも多分俺よりレンの方が先に止めるだろうけどな」
「そうだね。でも、僕じゃ止められないこともある」
「……明日はさすがに何も無いだろうな?」
「カリンのことだから分からないよ」
 レンとシヴァが二人で笑うのでカリンは戸惑った。
「私だって、好きで色々な目に遭っているのではないわ」
 カリンがそう言うと、シヴァとレンは分かってるよと言い、二人でカリンのグラスに葡萄酒を注いでくれた。
 そして丁度戻ってきたマオと四人で、カリンとレンの無事を祈って再び乾杯をした。

 翌朝、カリンとレンは荷物を持っていつもどおりに訓練場に上がった。
 シヴァが上がってくるまでそれぞれの訓練をする。それからシヴァと共に族長の家に飛んだ。
 族長への挨拶をすませ、カエデに留守の間の診療所のことをお願いした。第五飛行台から厩舎まで飛んで降りると、ダリアがおはようと言いながらガイアを連れてきてくれた。
 ダリアに見送られながらカリンはガイアに騎乗してマカニを後にする。レンは低空飛行で並走する。何もかもすっかり当たり前になったいつもの光景だった。
 カリンは、自分がマカニに居ることが当たり前になっていくことが嬉しかった。
 ポハクでガイアを厩舎に預ける時、久しぶりにガイアが嫌がって馬房に入ろうとしなかった。ガイアは未だに野生の色濃く残る馬で、時々そのようなことが起こる。
 厩舎の人たちが手を焼いていたので、カリンは自らガイアを指定された馬房まで連れて行った。それでもガイアは抵抗した。
 機嫌を損ねたシュロのようにひたすら首を左右に強く振って嫌だという気持ちをカリンに訴える。カリンはガイアの背中や首を優しく叩いて大丈夫だと繰り返し囁いた。
 しかし結局最後は半ば強引に馬房の錠をかけ、ガイアにごめんねと謝った。ガイアは諦めたようにおとなしくなり、カリンの肩に鼻先を押し当てる。カリンはその鼻先に自分の額をくっつけ、ごめんね、ありがとうと礼を言った。
 厩舎の入口で待っていたレンと共にパキラの館を訪ねると、イベリスは待っていたぞと明るく笑った。
 マカニは未だ雪の中だというのに、昼間のポハクは相変わらず茹だるような暑さだった。上着はポハクの入口で脱いできたが、それでも暑い。
 カリンとレンは案内された部屋に荷物を置くとその場で夏服に着替えた。
「これでも冬は幾らかましなんだぜ。夜なんか凍えるほど寒いから気をつけな」
 イベリスは冷たいお茶を出してくれながらそう言った。
 パキラに挨拶をすませたカリンは、先にアベリアの診療所へ行くことにした。カリンが提供している薬の在庫を確認するためだ。ひとりで大丈夫だと言ったがレンもついてきた。
「また熱射病にならないようにね」
 レンの漆黒の髪は美しいがポハクの強烈な太陽には向かない。これまでの経験を元に、レンはしっかりと頭から薄い布を被っていた。
 賑やかなポハクの町を縫うように歩き、アベリアの診療所のある建物にた辿り着く。中に入って診療所の前まで行くと、カリンたちが扉に触れる前にそれが開いた。
 出てきた人物はカリンたちを見ると顔色を変えたが、何も言わずにカリンたちの脇を抜けて去って行った。それはイベリスの一番下の腹違いの姉、カンナだった。

鳥たちのために使わせていただきます。