見出し画像

物語の欠片 金色の馬篇 11

-カリン-

 考古学室は城の地下にある。イベリスと考古学室に向かって階段を下りていくと薬師室のユウガオとすれ違った。両腕で大きな箱を抱えている。
「あれ、この前来たばかりじゃないか? それに、お前もう考古学室は外れているだろう?」
「ちょっと調べ物が。ユウガオさんこそこんなところでお会いするのは珍しいですね」
「これからポハクとマカニの遺跡の発掘が本格化するから、その前に古代の薬の資料を薬師室で引き取れってさ。あんなに広い地下室使ってるくせに、狭い薬師室に不要な物を押しつけるなよな」
「それで……ユウガオさんが引き取りに?」
 カリンはくすりと笑いを漏らした。ユウガオはどこまでも人がいい。
「なんだよ」
「だって、文句を言いながらも自ら引き取りに行ってあげているのでしょう? ユウガオさんは良い人だなと思って」
「確かに。せめて持ってこさせりゃ良かった。……お前、どうしてくれるんだよ。腹が立ってきたじゃないか」
「ごめんなさい。お手伝いしましょうか?」
「お前に荷物を運ばせるわけにはいかないだろう。いいよ。もうここまで持ってきてしまったし」
 じゃあまたな、と言ってユウガオはそのまま階段を上がっていった。
 暫くそれを見送って、再びカリンとイベリスが階段を下り始めた時、うわっという叫び声が聞こえた。振り返るとユウガオの身体が宙に浮いていた。階段で足を滑らせたのだ。カリンが動くよりも早く、イベリスがその動線上に移動する。落ちて来たユウガオを両手で受け止めるような形になった。しかし、イベリスも勢いを殺しきれず後ろに仰け反る。カリンは咄嗟に階段の手すりを片手でつかみ、もう片方の手でイベリスの腕を引っ張った。
 背中に雷が落ちたかのような激しい痛みを感じて目の前が霞んだ。ユウガオが抱えていた箱が大きな音を立てて落下した。しかしどうやらユウガオとイベリスは無事らしい。そう思った瞬間、カリンの意識は途切れた。

 鈍い痛みで目が醒める。目を開けているはずなのに視界が定まらない。
背中に、波打つように痛みが押し寄せてくる。
「目が醒めたのか?」
声がして僅かに顔を横に向けるとぼんやりと知っている顔の輪郭が目に入った。次第に焦点が合ってくる。
「……イベリス……怪我は?」
 カリンは自分が意識を失う直前の出来事をはっきり憶えていた。イベリスが首を横に振ったのでカリンはほっとする。安心すると、再び傷の痛みが酷くなり、思わず顔を顰めた。
 その顔にかかった髪をイベリスの手がそっとかきわけ、そのまま頰に触れた。イベリスの顔が近づいてくる。
「やっぱりついて来て正解だった」
 イベリスは優しい顔をしている。
「条件反射よ。……イベリスだって考える前に身体が動いたでしょう?」
「分かってる。ユウガオさんを呼ぶよ。目が醒めたら呼んでくれと言われている」
 そう言われて初めてカリンは周りを見る。どうやら医務室まで運ばれたようだ。カーテンで仕切られた相部屋ではなく小さい個室だった。
 程なくしてユウガオが部屋に入ってきた。顔には怒ったような表情を浮かべている。
 ユウガオはイベリスが自分の隣に用意してくれた椅子に腰掛けて溜息をついた。
「……なんなんだよ、あの傷は。いつからだ?」
 ユウガオは傷を見たのだ。
「えっと、十日ほど前でしょうか」
 カリンが笑顔で答えると、ユウガオは再び大袈裟に溜息をついた。
「あ。ユウガオさん、怪我は?」
 ユウガオはじろりとカリンの顔を見る。
「……感謝はしてる。してるが……俺は怒っている」
「質問に答えてください。怪我はありませんでしたか?」
「ないよ。無傷だ。俺が驚いた」
「良かった」
「良くない」
「傷、ユウガオさんも見たのですね? どなたが診てくださったのですか?」
「アオイ様だ。イベリス殿がお前を抱えて医務室に入ったらそこに居たからな。蒼い顔で近寄って来た。でも、傷の処置が終わったら戻って行ったぞ。アオイ様もさすがにカリンが嫁に行ったら諦めたか」
 ユウガオは一度にやりと笑ってまた怒った顔に戻る。
「あの……アオイ様は傷のことを何と仰っていましたか? 感想ではなく、診断です」
「傷は開いていない。少なくとも外側はな。痛みが強ければ痛み止めを処方すると仰っていた」
 カリンはほっとする。大分くっついていたので傷口が裂けることはないだろうとは思っていたが、痛みが強かった。朝飲んだ薬の効果が切れたのかもしれない。
「大丈夫です。自分で処方できます」
 カリンは笑顔を見せるがユウガオは笑わない。仕方がないのでカリンは身体を起こそうとしたが、身体を動かすと痛みで息が止まりそうだった。
「お前なあ」
 ユウガオが呆れたような声を出す。
 カリンははっとしてイベリスを見た。
「イベリス、私、どのくらい気を失っていたの?」
「どれくらいだろうな。多分もう夕方だ」
「そんなに?」
 半日棒に振ってしまった。もう考古学室の官吏たちは帰ってしまうだろう。考古学室に行くことができるのは明日だ。
 カリンが急に黙ってしまったので、イベリスとユウガオは顔を見合わせた。
「薬、持って来てやる。何がいい?」
 ユウガオが尋ねる。
「……アケビとネムノキを」
「お前……」
 ユウガオは何か言いかけて無駄だと諦めたのか、三度目の大きな溜息をついて薬を取りに行った。
 戻ってきたユウガオは五日分の薬をカリンに渡し、今度会う時までに傷が治っていなかったら許さないからなと言って薬師室に戻って行った。
 怒っていると言いながら、やはりユウガオは人がよいとカリンは思った。

 カリンにとって誤算だったのは、このことでカリンがポハクの魔物の件に関わっていることが王に知れてしまったことだった。
 翌日城へ行くと、考古学室へ行く前に門番の戦士に止められてしまった。
 陛下がお呼びだ。顔見知りの戦士にそう言われてカリンは仕方なく王の側近に面会を求めた。
 孔雀の間に現れた王は難しい顔をしている。
「何故そなたがこの件を調べまわっておるのだ」
「偶々です」
「それで通ると思っておるのか?」
「いえ。……陛下。先に謝っておきます。わたくしは勝手に対闇使の名を使って、イベリスをポハクから連れ出してしまいました」
 王は溜息をついた。
「……理由を説明すれば許そう」
「申し訳ありません。私がカリンに相談しました」
 イベリスが横から口を挟んだ。王は一度イベリスの顔を見ると、頷いてカリンに視線を戻す。
「相談されたとしてもだ。公私混同も甚だしい」
「仰るとおりです。陛下はそのようなことのために私に官位を残してくださったわけではないことも承知しています」
「分かっておるなら説明せよ」
「公私混同と陛下が仰ったとおりです。わたくしは、イベリスのことが友人として心配でした。ポハクで何か良からぬことが起きている。その事だけは確かです。……申し訳ありません」
「私はそなたを責めておるわけではない。理由が知りたかっただけだ。そして、理由は分かった。だが、次の質問をしよう」
 王の声は優しかった。
「そなたは、何がしたい? 何をしようとしているのだ? 随分と大きな傷を負っているとも聞いた」
 王は心配してくれているのだ。
「まだ……分かりません。ですから調べております」
 カリンは顔を上げて王の目を真っ直ぐに見詰めた。
「ですが、馬の魔物の正体を突き止めて浄化することは、ただ魔物の危機からポハクを救うだけではなく、もっと根本的にポハクの町の……未来を救うことになるのではないかと私は考えているのです」
 また未来だ。話しながらカリンは思った。そして考える。予知夢を見ようが見まいが、結局自分がやっていることは他人の未来に介入しようとしているに過ぎない。自分は何と傲慢で欲深いのだろう。
 王はイベリスを見た。
「そなたは、パキラのことをカリンに話したのか?」
「私の知っていることは全て話しました」
 イベリスも王の目を真っ直ぐに見て答えた。それを聞いた王は目を瞑って何か考えている。
「カリンよ」
 目を開けた王はカリンを見る。
「対闇使を残したのは、姫の仲間を残したいからだと申したのを憶えておるな」
「はい」
「そなたが今やっていることは、そこから外れぬことか?」
「……わたくしは、そう思います」
「陛下。度々口を出す非礼をお許しください。今回、カリンとレンが居なければ、私はおそらく近い未来に破綻していました。そうすれば、姫のお役に立つどころか……ポハクを滅ぼしかねません。恥ずかしながら、私はそのくらい追い詰められていました」
「……なるほどな」
 王は少し間を置いて、分かった、と言った。
「カリンがこの件に関わることを許そう。ただし、報告はきちんとすることだ。分かったな?」
「はい」

 孔雀の間を出てようやく考古学室への階段を降り始めると、思わず溜息が出た。
「どうした? ……少し顔色が悪い。傷、痛むのか?」
 心配そうに尋ねるイベリスに首を振る。
「ごめん。大丈夫。……今更だけど、私はまた他の人の未来に関わろうとしてるのだと思ったら、自分の傲慢さが怖くなったの」
 イベリスは僅かに驚いた顔をして、それから笑った。
「カリンが傲慢なら大抵の人が傲慢だよ」
「そんなことない」
「カリンは俺と全くの他人か?」
「……違うわ」
「あのな、俺たちの人生はもう交わってしまったんだ。俺、お前たち夫婦に一生つき纏うって言わなかったか?俺だけの未来じゃない。もう、カリンの未来でもあるんだ。……レンの時もそうだったんだよ」
 カリンははっとしてイベリスを見る。そして、くすくすと笑った。
「可笑しいか?」
 イベリスも笑っている。
「違うの。嬉しいの」
「え?」
「イベリスが傍に居てくれることが、嬉しい」
「そうか。それなら良かった」
 イベリスは優しい笑顔になった。
 そうだ。今は目の前のことに集中しよう。たとえそれが他の人の未来を壊してしまうかも知れなくても、カリンにとってはイベリスが大切だ。せっかく戻ったイベリスのこの笑顔を守りたい。傲慢でもいい。そう自分に言い聞かせて考古学室への階段を下った。

鳥たちのために使わせていただきます。