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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 4

-レン-

「ここか?」
 大人がぎりぎり通れるような隙間を見て、レンギョウが尋ねる。
「うん。僕が出て来たのはこの穴だと思う」
「確かに、レンが倒れていたのはこの下辺りだった」
 シヴァが辺りを見渡して頷いた。
 この辺りは斜面が急で雪はほとんど積もっていなかったが、レンが出て来た時には無かった太い氷柱が、穴の上部を塞いでいた。
「元々は倒木で塞がれていたんだよ。それを、最後の力を振り絞ってどかしたんだ」
 その時にできた弓の傷は、やすりをかけてもなおうっすらと残っていた。
 レンギョウは後ろに控えている十名ほどの土木師たちを振り返った。今日は、まだ雪の解けきっていない今の時期でもできることがあるかどうか、ひとまず入口……レンからしてみれば出口だったが……付近を見てみようということになっていた。土木師たちに加え、万が一危険があった場合に備えて、レンを含めて四名の戦士たちが付き添う。
「まずはこの周辺に、もう少し大きな入口が無いか探してみよう」
 レンギョウの言葉に土木師たちは返事をし、辺りに散らばる。
 シヴァはそれを見送ると、後は頼んだ、とレンに言い置いて訓練場へと戻って行った。レンは、他の三名の戦士たちに土木師たちを手伝うように指示してから、レンギョウに向き直った。
「やっぱりここが出入り口だと、小さいよね?」
「そうだな。せめて立って進める大きさだと有難いんだが……まあ、最悪穴を広げるという手もある。地盤がしっかりしていればの話だが」
「随分長い間四つ這いで進んだ記憶がある。穴を広げるとなると大変そうだ」
「お前が入り込んだのは川の中からなんだろう?」
「よく分からないけどたぶんそうなんじゃないかな。最初の広場が二番目に広い空間だった。天井から滝のように水が流れ落ちていて、あそこが川の底なんじゃないのかな。どの辺りかは全く見当がつかないけど」
「いずれにせよ川底が出入り口というのは現実的ではない」
 そう言いながら、レンギョウは手にしていた鉈で目の前の穴の上部を塞いでいる氷柱を叩き割った。そして自ら穴の中に身体を入れる。戦士にしては細身のレンより体格の良いレンギョウは、窮屈そうに身をよじってレンを振り返った。
「当たり前だけど真っ暗だ。でも、うん、地盤はなかなかいい」
 レンギョウが懐中灯をつけたらしく、穴の中がぼんやりと光る。穴の中にすっぽりと入って見えなくなってしまったレンギョウを追って、レンも穴の中に身体を差し込んだ。後ろを振り返って、自分が出て来たのは間違いなくこの穴だとレンは確信する。あの時、最初に見た外の風景は忘れることができない。
 同時に、レンは僅かに息苦しさを感じた。徐々に鼓動が早くなる。気温は低いのに、額にうっすらと汗が滲んだ。
「レン? 大丈夫か?」
 気がつくとレンギョウが懐中灯を手に近くへ戻ってきていた。
「あ……うん、ごめん。大丈夫。少し、あの時のことを思い出していただけだよ」
「そりゃあ、俺には想像もできないくらい大変だったんだろうなあ。もう二度とこんな場所には来たくないって思わなかったのか?」
「そうだね。ここに来るまでは何とも思ってなかったんだけど、来てみたら、ここの空気を身体が憶えていたみたいだ。でも、大丈夫。むしろ、もう一度きちんとこの場所を理解することで、僕はあの時の体験を消化できる気がする」
「戦士っていうのは大変な仕事だな。いや、戦士だから強く在らなければならないという訳でもないのか。レンが凄いんだな。尊敬するよ」
「僕は強くなりたくて戦士になったんだけど、今は、戦士であることが僕を強くしている部分もある気がするよ。ここに迷い込んだ時、僕はずっと心の中で、自分はマカニの戦士だと繰り返して自分を奮い立たせていたと思う」
「そうか……何としても完成させような。訓練場」
「うん、ありがとう」
「いずれにせよ、山のこちら側が入口というのは村から遠いから、洞窟の全体像が分かったら、村に近い方向に向かって入口を作るというのが一番いいと思う」
「ああ、そうだね。ここはひとまず、調査用の入口ってわけか」
「そういうことになるな。お前は大怪我を負った上で、出口があるかも分からず暗闇の中を進んで数日かけて出て来たわけだが、俺たちは今体力もあるし、ひとりじゃない。測量しながら、図面を引きながら、くまなく調査をしたとしても、ひと月もあれば全貌が分かるだろう」
 外から、「親方」と呼ぶ声がした。レンギョウが顎で出入り口の穴の方向を指したので、レンは頷いて穴の方向へ戻った。穴の外では、他の面々が全員揃っていた。
「どうした?」
「ここより少し上に、もうひとつ中に通じていそうな穴を見つけました。しかし、奥は分かりませんが、大きさはここと大して変わりません」
 レンは、洞窟の中で蝙蝠に遭遇したことを思い出した。その蝙蝠たちとその後再び出会わなかったことを考えると、蝙蝠たちはそちら側の穴から出入りしているのかもしれないと思い、そのことを話して聞かせた。
「蝙蝠か。吸血種でないといいんだが。まあ、いずれにせよ、大きさがそれほど変わらんなら、やはりここから入ろう。遅かれ早かれそっちの穴も調べることになるかもしれんがな」
 土木師たちは声を揃えて「はい」と返事をする。若い土木師たちが多いのは、おそらくレンギョウが先日話していたことに起因するのだろう。少なくとも今は、どの顔にも新たな仕事に対する期待感が伺えた。
 入口が決まると、穴の中に、簡易的な電線を引き込む作業が行われた。まだ完全に電気を引く作業ではなく、移動式の蓄電器を使って灯りを点せるようにするための作業だ。
「どのくらい彷徨ったか憶えていないんだけど、この横穴の先は少し広めの、水が流れている場所に出る。そこまで行けば翼が使える。ただ、横穴の終わりは唐突だから気をつけて」
 先頭を進む戦士に声をかける。先頭から二名は戦士、その後ろにレンギョウと土木師たちが続き、戦士一名を挟んでレンは最後尾を進んでいた。先を行く土木師たちが次々と灯りを点していくので、レンの進む道は明るい。
 以前レンがここを通ったのは、すでに数日洞窟の中を彷徨った後で、体力はほとんど残っておらず意識も朦朧としており、地形はあまり記憶に残っていなかった。ただひたすら、四つ這いで、全身の不快感と闘いながら前に進んでいたのだ。
 今回改めて見渡してみると、所々天井が高くなっている場所もあり、地面にも緩やかな勾配があった。蛇行している箇所も在るので、外からの光はすぐに届かなくなるのだろう。
 途中、天井に、斜め上方に向かって伸びる小さな穴を発見した。蝙蝠たちはここから上に逃れたのだと今になって知れる。
「お前たちが見つけたもうひとつの穴は、ここと繋がっている可能性が高いな」
 レンギョウが穴の向きと方位磁石を見比べながら言い、土木師のうち一名がその直径を測って念のため紙に書き入れた。
 一度だけ見学させてもらったアグィーラの室内訓練場は、城の広大な敷地の地下部分を使った広く立派なものだったが、残念ながら高さはない。
 マカニ族のように空を飛んで弓を使う戦士たちには不十分な造りだ。しかし、あのような施設を、高さを兼ね備えた造りにするには膨大な資材と労力がかかるだろうことは、土木建築に詳しくないレンでも容易に想像がついた。暴風雨や吹雪を防ぐためには屋根だけでは十分ではなく、やはり建物が必要だ。それを考えると、この洞窟内に在った、あの広い石灰岩の空間は理想的なものに思えるのだ。あれならば、建物を立てずに的だけ配置してそのまま訓練場として使える。鍾乳石の突起で地形も複雑だから簡単な飛行訓練だってできるだろう。

「なるほど、これは大仕事になりそうだな」
 しばらく進んだ後でレンギョウが歩みを止めて言ったのが聞こえた。少し休憩しようという声に、細い横穴に一列になって進んでいた面々は思い思いの格好でその場に座り込む。そこは比較的天井が高い部分で、座っている分にはそれほど圧迫感を感じなかった。すぐにほとんど者が、持ってきていた水筒から水を飲んだ。
「ここまでこの速さで進んで二時限だ。毎日調査のたびにこれを繰り返すのは中々骨が折れる。場合に拠っては、広い場所に寝泊まりできる場所を作らないとならないかもしれないな」
「別の入口が見つかるといいんだけどね。この横穴の先に、水が流れる少し広い場所が在って、その更に先に一番広い空間があるんだ。そこには横穴が沢山空いているように見えた。その中のどれかが村の方向に伸びていればいいんだけど」
「なるほど。色々な意味で、そこが一番の候補ってわけだな」
「うん。そうでなければ、僕が一番最初に居た滝の広場だと思う」
 自分が苦しい思いをした道なのに、こうして仲間と一緒に目的を持ってここに居るというのは、何と心強いことなのだろうと思う。最初に感じた息苦しさはすっかり消えていた。出口の側から入って来たというのも、改めて考えると象徴的だった。何となくあの時の苦しさを巻き戻しているような錯覚に陥る。
「自分がここでひとりで彷徨うことを考えるとぞっとする」
 隣に座っていた戦士が呟くように言う。
「そうだね」
「レン、お前、本当に良く戻って来たな」
「うん。あ、戦士にとってはこの道程も、別な意味でいい訓練になるかもね。シヴァさんに話してみようかな」
「お前は本当に……感心するというか、呆れるというか……」
 その場は笑いで包まれたのだが、レンは、訓練の重要さについて考えていた。事故は、翼を使わない訓練の最中に起こった。あの訓練は年に一度の特別な訓練で、それこそ想定外の事象を想定しての訓練だったのだ。それでも、レンがここから生還するためには足りなかった。翼がほとんど使えず、帰り道も分からない場所で、水や食料の手持ちも限られる場合、果たしてどうやって生きてマカニへ戻るのか。そのための知恵は集めて共有しておくべきだと思った。
 荒天の時にも使える訓練場を作ることは、レンの子供の頃からの夢だった。しかしその意味合いは、成長するにつれて少しずつ変わってきていた。これは、自分が強くなるために必要なだけではない。マカニの戦士たちを守るためでもあるのだ。
 弓の訓練だけでなく、荒天の時だからこそ、いつもと少し違う訓練を取り入れてもいいかもしれない。
 レンの頭の中には、この後シヴァに相談したいことが次から次へと浮かんでくるのだった。



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