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Leonard Foujita

フランス人になった日本人 

藤田嗣治

東京で

確かに何かに

引き寄せられるかのように

彼の作品を見る機会が

何度もあった

でもその時は

フランスで

これほど彼が有名な画家であることを

実感するなんて

そんなことは

知る由もななかった

ご存知の通り

その透き通るような白さを誇る

女性の肌の肖像画から

子供

フレスコ画

戦争画

また、小さな書簡の

片隅のイラストまで

かなり知り尽くしていたつもりだったが

まさか

パリで

ランスで

彼の人生の

足跡を追うことになるなんて

想像もしていなかった

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パリ市が

市内で暮らす外国人の為に

フランス語を教える

市民講座に通うことになり

そこで自己紹介はもとより

日本について課題を見つけ

それをフランス語で紹介する

という機会が何度も訪れ

クラスが変わり

レベルが上がる度

私はその時の自分のレベルで

彼について調べ

紹介してきた

彼について

名前だけは知っているという

フランス人が多く

しかしながら

生徒は全てフランス人以外の

外国人であるからして

彼を知らない人が多かったけれど

大抵の先生は

教室の皆に

喜んで補足説明をしてくださった

フランス国内で

彼の展覧会も多く開催されていて

初日からずっと

引き返したくなるほどの

驚くほどの行列を見ることになる

その年は

特に大きな展覧会が開催されて

とても長い期間

パリ市内を走るバスの全面が

彼の顔と絵で飾られていた

今まで東京で見てきた

どの展覧会よりも

作品もその規模も魅せ方も

私の心を揺さぶった

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日本でも何度も見てきた

彼の部屋の絵の中の犬の置物

その絵の横に実物が飾られて

その絵を完璧なまでに引立てていた

加えて

フランスで生きる彼を捉えた

写真

インタビュー

雑誌の記事

日本から届いた書簡

など

今までに知ることもなかった

彼を

たくさん知ることになった

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フランスでは

どれだけ

その展覧会が

混雑していようとも

どれだけ

長い時間その絵の前に居座ろうとも

誰からも文句は言われない

誰からも

止まらないで早く進んでください

などど言われることはない

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だから

彼の筆のあとを

心ゆくまで追い

その瞬間の部屋の空気を

彼の気持ちを

想像し

心ゆくまで浸って良い


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パリから北へ

2時間ほど車を走らせると

ノートルダム聖堂やシャンパーニュのカーブで有名な

Reims ランスという街がある

80歳になった藤田嗣治は

最後のフレスコ画の仕事を始める

日本家屋のような

小さなチャペルの

天井と床以外の

全ての壁が

彼らしいシンプルな色使いの

フレスコ画と

ステンドグラス

で埋め尽くされている

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80歳にして

この壁を埋め尽くした彼の筆のあとは

力強くでも優しく

彼の人生の全てが集約され

そこに埋め尽くされているかのように

彼の生き様が

彼の骨とともに

ここに閉じ込められていた


そのチャペルの

ピンクの扉をくぐった時は

確かに

細くて長かったはずの

この数十年に渡っての

私と藤田嗣治をつなぐ糸は

同じ扉を出た瞬間

太くて短い糸に

変わったような

気がした




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