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【最初で最後】口を割らないおじいちゃんと1時間喋った日の話。


二世帯で生活していた85歳のおじいちゃんと、生まれて初めて1時間以上話をした。これまで聞いてこなかった戦後のあれこれ。



...

「これは初めて話すけど…」と言われた途端涙が出そうになった。


確かにおじいちゃんが自分の話をしているのを見たことがなかった。厳しい人だったから、どことなくお互いが距離を感じていたんだと思う。


だから少し見えない壁があった。


こんな話を聞けるのはもう二度とないだろう。



戦後を経験したおじいちゃん

まだ第二次世界大戦を行っている頃、おじいちゃんは生まれた。決して裕福な家庭ではなかったと言う。お父さんを戦争で亡くし母子家庭に。祖父母と弟との暮らし、母が家族5人を養っていかなければならなくなった。


普通の仕事では稼ぐことができず、夜市でイグサを編んで敷物を販売、タバコの吸い殻を見つけては拾い、残った葉っぱを掻き出し、巻き直して売っていたそうだ。少年だったおじいちゃんもよく手伝いをして小銭を稼いでいた。


終戦後、学校にも通っていたが参考書を買うお金すらなく、周りの子と差がつく。小学4年生の頃、お母さんが参考書をプレゼントしてくれたことで、初めて「勉強しなければならない」と思った。と言っていた。



改名をしていた話

小5〜中3までの間、生活保護をもらっていた関係で、中学を卒業すると同時に就職をしなければならなかった。


一つ目のお誘いは、近所に住んでいた台湾人から。「大阪でお店を始めるから手伝いをしにおいで」と。


二つ目のお誘いは、学校の進路指導の山田先生から。「地元にある企業の養成校を受けてみないか」と。


長男だったおじいちゃんは家を継ぐ。そうなると大阪に行っている場合ではない。そしてなぜか長男なのに「次」という漢字が名前に入っていた。これが問題だった。


これでは家を離れてしまうと占いで言われたみたい。中学3年生のタイミングで「次」から「ニ」へへ。実はもう一文字も。名前の漢字を全て変えたのだ。(よく占いを信じたな〜)


その改名したおかげで養成校の二期生として入ることができた。もし、この改名が無ければ大阪に行ってたかもしれない。


そうなると、おばあちゃんと出逢ってないだろうし、お父さんも生まれてなかった。私もいなかった、、。不思議な話。



人の繋がりと誠実さ

おじいちゃんの話を30分ほど聞いたところで気が付いた。彼は自慢話ではなく、自分は何にもできないから努力した、そして周りが助けてくれたんだと言う。


結局自分は何も返せなかったけど、、。と言っていたが、きっとそんなことない。私はおじいちゃんのことを漠然としたすごい人だと思っていたけれど、すごさの裏側を知るとさらに尊敬できるようになった。


苦労の先に今がある。


人には誠意を持った関わりをしなければならない。そうやって生きてきたからこそ、町内会長になったり、議員さんのお手伝いをしたり、他のお仕事にも活かされた。信頼を獲得していたということだろう。


そして、「肩書きも重要だったかもね」と呟いたおじいちゃん。全てが努力と信頼で身を結ぶんだと感じた。



念を押されたのは「健康」であること

まだ四肢に不自由なく病気もしていないおじいちゃんだけど、もう年齢的にいつ何が起きてしまうか分からない。


これまで健康でいられたのは、若い頃きちんと三食口に運んでいたことだと言う。高級なものじゃ無くていい、栄養が取れる食べ物であることが大切だと。


病気をしないおかげで、医療費が抑えられてる。その分貯蓄できてるんだと。まあ、ワシが死んだら子どもたちに行くんだろうけどね(笑)と冗談もこぼしながら。


とにかく、健康でいなければ何もできない。しっかり食べなさいと言われた。食が満足に取れなかった時代を経験しているからこそ余計に言葉が刺さる。今の時代なんかなんでもあるから、ありがたみが薄れているんだろうな。



最後のメッセージかもと言われた

正直な話、私は完全おばあちゃんっ子。暇があれば何時間でも語れるくらい仲良し。そんなおばあちゃんでさえ、「よく喋ったな、あんなにじいさんが喋ることないよ」「最後、あんたには残しておこうと思って話したんじゃな」と言われた。


寿命的にもそう長くは生きられない。私だって分かっていた。普段と違う出来事が起きているから私も焦ってる。親戚たちに話していなかった昔の話を私にはしてくれた。


そう長くはないんだなと悟ってしまう。そう思うと涙でおばあちゃんの顔を見ることができなかった。


「私に教えてくれてありがとう」そんな気持ち。少しでもおじいちゃんが生きた証を残したくてnoteを書く。今は離れて暮らしているから何もしてあげられないけど、私には書き残す力がある。


記録として残しておけば忘れない。

こんな特別な日。


しっかり語ることができたという事実と、生きるうえで大切なことを教わった時間だった。


また話そうね、おじいちゃん。


2021/07/01の記録

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