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縞のミステリー(竹原あき子著)

縞を織り始めて、「縞」のご本を探して読んだうちの一冊。
「縞のミステリー」竹原あき子著(光人社、2011年6月2日)

この本は、南蛮船と共に日本にやって来た、舶来の縞模様の話から始まります。
サントメの「桟留縞」、ベンガルの「弁柄縞」、チャウルの「茶宇縞」…戦国から桃山時代に台頭した武士たちは、信長と秀吉の影響もあったのでしょう、南蛮趣味に染まったとされています。
新興の勢力が新しいものを好み、贅を尽くす、いわゆる「成金趣味」の概念に通じる部分があるのかもしれませんが、そうした時代性もあったからか、長崎や種子島からの南蛮ファッションが、当時の権力者層に浸透していった様子が描かれます。

第二章は縞の名前。
それぞれの文化においては、密接なつながりのある物を示す単語の数は非常に多くなると言います。
このご本ではアラビア語のラクダに関する単語の多さを例にしておられますが、イヌイットの言葉では「白」や「雪」を表す単語が多いという話もありますよね。
色の名前の数や範囲も文化によって異なりますし、そういったことから、日本にある270ともいわれる縞の名前の量は、どれだけこの単純な縞という文様が、日本の文化に浸透したかということが見て取れます。
ところが、そういった縞は、中世や鎌倉時代などの絵巻物などには描かれることはなく・・・いかにして、この江戸時代の間に、急速に浸透したかですよね。
南蛮文化が伝わり、木綿が再度上陸し、藍の発酵建てが始まり、また茶道の普及から侘び寂びの文化が広まり・・・と時代的に複数の理由が重なったのかなという気もします。
また伊勢木綿の普及については、お伊勢参りのお土産物として流通したとありましたが、その端切れが縞帳に貼られ、地方で広まり、真似た布、工夫した布が織られていったのかもしれません。

こうした歴史的背景に限らず、アフリカやイスラムの縞などについても言及されますが、やはり国内における縞の用いられ方のお話が面白いです。
中世の装束資料などを見ますと、小袖をゆったり着付けているものがよくありますが、江戸時代になると高い位置で帯を締め、きゅっとした形に変容してきます。
体の形がよく分かるようになり、要は美人の諸条件が変わっていったのではないかと。とすれば・・・今でも細見えにはIライン、縦のストライプ、と申しますが、経縞の着物が好まれたのはさもありなん、かもしれません。
浮世絵においても、江戸時代の後期には美人画の女性は縦長の細身になり、それが粋であった・・・と。

全書を通じて、こうした面白い縞の話、考察が盛りだくさんです。日本の服飾文化の中では意外と新しいこの「縞」というものについて、理解の深まる、また興味をそそられる一冊ではないかと思います。

縞は楽しいです。よろしければこちらもどうぞ。


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