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「好きな食べ物は何ですか?」

誰しも一度はされたことであろうこの質問。あなたは何と答えるだろうか。
この質問が飛んできたとき、これまでの私は適当にカレーとかラーメンといったありきたりな食べ物を答えていた。しかも、聞かれるたびに違うものを答えていた。
このnoteを読んでいる皆さんもそんな感じではないだろうか。

先日、飲みに行った後輩から突然この質問をされた。いつものように「カレーかなぁ」と適当に答えると、「今適当に答えましたよね?毎回違う食べ物言ってますよね?真剣に自分の好きな食べ物について考えたことありますか?」となぜかその後輩がヒートアップ。
聞くところによると、数日前にその子がふと「自分の好きな食べ物なんだっけ?」と思い、4時間ほどじっくりと考えたらしい。
ちなみに、その子が好きな食べ物は「サバの味噌煮」だった。確かにパッと聞かれても出てこない。本当にじっくりと考えたようだ。

後輩と別れた帰り道。「自分の本当に好きな食べ物ってなんやろなぁ」と考えるのだがなかなか出てこない。あっという間に家に着き、お風呂に入り、いつの間にか4時間くらい経っていた。幼少期に食べた物から昨日食べた物まであらゆる「食事」という思い出を辿った結果、私の好きな食べ物は「シメサバ」という結論に至った。(私の頭の中にシメサバと一緒に日本酒が浮かんでいることはお許しいただきたい笑)

さて、この一連の出来事の中で私が感じたことは何か。それは、あらゆる物事において「自分はなぜそれが好きなのか?」ということを追求することの大切さだ。

私には確固たる持論がある。それは、人間「好き」「楽しい」といったポジティブな感情は言語化しづらく、「嫌い」「楽しくない」といったネガティブな感情は言語化しやすいということだ。ポジティブな感情は直感的な心の揺れ動きから生まれ、ネガティブな感情は論理的に組み立てられて生まれるものだからと私は推測している。
「なんで○○が好きなの?」「なんで○○が嫌いなの?」パッと答えられるのは後者だろう。

ということで、これまで私は言葉にできない直感的な「好き」という感情を大切にしてきた。
野球・バスケ・鉄道・箱根駅伝・お笑い...
好きなものはたくさんあるが、それがなぜかを深く考えたことはなかった。
しかし、好きな食べ物を真剣に考える過程で普段はあまり考えない「食事」について深く考えるきっかけになった。
好きなことを追求することが、巡りめぐって「自分とは何者なのか?」「どんな人生を送ってきたのだろうか?」ということと向き合うきっかけになったのだ。

「好きなことを仕事に」なんて言葉も聞かれるようになったこの時代。「好き」を語れる人が魅力的になっていくのだろう。

始まったばかりの2020年。今年はとことん「好き」を追求していこうと思う。

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