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「究極これがあればいい」を考えてみる。

人生どう生きたいか、自分は何をしたいのか。みたいなことって、こたえが出ているつもりでいても案外、まだ気づいていない想いがあったり、突然変わったりすることばかりなんだろうなと最近思う。

ここ数日も、自分のなかの前提のようなものがちょっと変わるきっかけがあった。

退職間近、職もなくなるし、時間もどっさり空く。そういう状況にあって一番に考えることは、これからの仕事どうしようになっていた。

人の役に立てて、自分も楽しくて、生活ができる。そんなふうに働きながら生きていくというのが人生のメインテーマで、しかし現状たいした経験もスキルもないのだから、レベルアップしなければ。どんな学びが必要かな、どんな組織に属せるといいかな。それに加えて、「仕事」というには心元ないけど、書くことはとにかく楽しいから、書くことにも時間をつかって、楽しんで、少しでも人の役に立つといいな。

基本的に、思考の型はいつもそんな感じだった。

最近もそんな方向でリサーチをしたり学びの場に出向いたりをしていたのだけど、実は、なんだかわくわくしてなかったり、気持ちがちょっと重くなっていることに気づいてしまった。

そしてふと、いつのまにか「いい仕事ができる人間になる」ができればOKみたいな思考になっていたけど、それってなんかこう、究極の目的ではなかったよなと気づいた。

レベルアップはできた方が良い。できることは増えた方が良い。人の役には立てないと生きていけない気がするし、楽しく働きたい。
でもなんか、ほんとうはどこに向かって歩いているんだっけ?レベルアップするため?

そう考えて、出てきた言葉が

生きていけるって安心したい。
生きてる価値があるって思えたら嬉しい。
生きてるって楽しいって思えたら嬉しい。

そんなものだった。言葉にしたら胸がすーっとした。

下の2つは、今までどおりって感じで、仲間と一緒に何かしたり、役どころを見つけていったり、好きなことにとことん取り組んだりって意味で、これまで通りがんばろう!って感じなんだけど、
「生きていけるって安心したい」っていうのは、今まであまり意識したことないことで新鮮だった。

いわゆる経済的な将来安泰という意味ではなくて、いのちある生き物として、生存していけるそのちからがある状態になりたいということだった。

どんなに夢が叶っても、仕事ができても、今自分の生命が維持されているのはものすごく特殊な限られた条件のなかでなのだ、ということが、どこかでわかってる。それがたぶんずっと怖かった。

今のわたしの生活スタイルだと、たとえいい仕事ができて、人に喜ばれて、自分の夢が叶って頭や心が満たされても、それでも「生きている」という状態そのものは、自分ではどうすることもできないものに委ねられてしまっていると思う。

身体は家とか都市という名のコンクリートの箱の中にあって、お金があって、電気が供給されて、水道ひねれば水が出て、スーパーで食料が買えるという条件下のもとで、生きている。つまり、お金がなくて、電気がなくて、水が出なくなったら生きていけるのか怪しい。

これからはもうちょっと、生きていけるっていう状況を自分でつくれるようになりたい。そのための技術を身につけたり暮らしをつくり直したりすることも、今すごくやってみたいことだと気づいた。
さっそく、庭なし畑なしでもすぐにできる農的なことを今日は調べたり、里山の地域のおうちに遊びに行くことになったりと、楽しみが広がってきた!

ちょっと何が言いたいんだかな記事になってしまうけど…

個人的に、ちゃんと何かできることがある人になりたいし、好きなこともしてたい、とにかくがんばらなきゃ、って思っていて、つまりとにかく走り続けていなければいけないんだと思っていたのが、
あんまりかっこよくはないけど、結局はただ安心して、満足したいんだって気づいて、永久に走らなければいけないのではなく、あそこに行きたくて走ってるんだと目的地がわかったことで安心したなって話でした。

で、その目的地に向かうには「生きていけるって思える、生きてる価値があるって思える、生きてて楽しいって思える」ってことで叶いそうだぞって仮説が立って、じゃあその方向で励も~っていう筋がとおって、なんかすっきりしたんだな。

なんとなくこんな景色が見たくて走ってるんだよなあって思えただけで、疲れながら走ってたのが元気出てきた!みたいな。

うーん。今日はここまで。読んでちょっとでもなにかしらの「いい感じ」が得られる記事を書きたいなって気持ちはあって、時間はかけてるんですが、なかなか難しい…!


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