何色のこころで生きようか
わたしの好きないろんな人が「こころの色」という言葉をつかっています。
言葉の響きがとても好きで、普段わたしの考えるいろんなことのなかにも、この「こころの色」という言葉で表せるものがとても多いように思っていました。長い間考えていたこと、今日はここに書き留めておこうと思います。
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何色のこころで生きようか
こころには色がある。
こころの色は、世界の色や他の誰かのこころの色と混ざり合う。
わたしのこころにはわたしのこころの色がありますが、それは一色ではなく、いつもいつもいろんな色に変わり続けています。
そのなかには、自分で好きなものもあれば好きではないのもあります。
あなたのこころにも、ものや場所や言葉や音楽にも、ありとあらゆる色がある。そのなかにも、好きだと感じるものもあればそうでないのもあります。
けれど実は、そのものだけに固有の色というのはあまりありません。
大切なのは、世界に存在する色はすべて、何かと何かの混ざり合ったものだということ。
「あなたの色が好きじゃない」ということがあるかもしれないけど、
それは実は、あなたの色とわたしの色の混ざり合ったものが「好きじゃない」ということ。
だから自分以外のものを一方的に責めることはできないし、たとえ誰かや何かを嫌いになってしまったとしても、そんな自分を傲慢だと裁く必要もない。
わたしたちが混ざり合ったらこの色だったね、ということを認めて、調整してみてもいいし、それぞれの道に別れていってもいい。
逆にもしも、誰かを好きになったら。
それは、わたしとあなたの重なった色が好きということ。なにかを愛することは、じぶんを愛することとも繋がっている。
ひとつの世界に生きるもの同士、すべてのもののすべての色はつねに混ざり合っている。
だから何かを好きになるのも嫌いになるのもすべて、お互いの混ざり合った色が感じさせる気持ち。
さらに本当のことを言えば、目に見える以上に多くのものが混ざりあっていて、「わたし」と「あなた」の色を語ろうとしたって、そこにあるのは、時間・社会・他の人…様々なものが一緒になった色。
正しいとされること、間違っているとされることすらもそこにある色の重ね合わせの結果でしかないから、どこでも一律、一定のものではない。
こころの色は混ざり続け、世界は色で溢れ続ける。
今までに見た色はどんなだったか。
これからどれだけの色に会えるのか。
どれだけの色を好きになれるか。
自分と世界の繋がりを理解して生きることは、豊かに生きるために必要なことの気がします。
なんでもかんでも、「自分で決めた」「自分で選んだ」「自分でつくる」と思うことは、ほんとうに自由なんだろうか、それはいのちの真実なんだろうか。
いのちの観点からみれば、ぜんぶが繋がっている。
自分だけの気持ち、自分だけの人生、自分だけの選択、と世界から切り分けることはできないのだと思います。
それでもひとつひとつのいのちはそれぞれの絶対的なものだから、世界に自分を完全に決められてしまうこともない。
世界の色と自分の色が、いつでもずっと混ざり合うこの世界で、わたしは何色のこころで生きよう。
決める必要もないけれどひとまずは、出会う色をしずかにまっすぐ感じながら、好きだと思う色、きれいだと思う色を少しずつ集めていこう。
それが、広い世界で生きるひとつのいのちとして、できることなのかなと思う。
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2022年、大切な時間をつかってnoteを読んでくださった皆さん、素敵なnoteを書いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
よいお年をお迎えください🌱
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