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会社からもらった最後の学び/本物の寂しさ #日記

4月24日(水)

まなみさんと夏の旅の計画をして、会社のマネージャーの方とzoomでお話した。
まなみさんと話してた時、「気仙沼って、普通の都会の企業の採用と違って、やりたいって言えば挑戦させてもらえる仕事もあると思うけど、やります!って言えるような、わたしに出来そうって思える仕事はない。この2年の経験とスキルじゃ。」って話をしたら、「いやあなっちゃんなら大丈夫でしょ。結局は人だから。スキルや経験なんてやればついて来るんだから」って言われて、かなり嬉しかった。
本当は、失敗してもうまくできなくてもいいから挑戦するってことが、してみたいのかもしれない。

マネージャーとのお話では、ついに完全に退職が決まった。退職するってことは一言伝えればすぐに伝わって、それ以上話すことはないと思っていたけど、「ほんとはこういうふうに思ってたとか、言いたいことありますか?」って言われた時、話してみようと思って、本当に考えていたことを話した。夏にサティシュに会いに行くことも。話しはじめれば自然とこの選択にこめた想いが言葉になってでてきたから、やっぱりこれでよかったんだって思った。

でもずっと、この選択でいいって確信はあっても、それでもそんな晴れやかな気持ちではなかった。
辞めるっていうことは自分が負担するべきだった分を人に負わせるってことで、使ってもらった時間や労力を返せずに奪っただけになるんだっていう罪悪感がずっとあった。他の先輩も辞めるって話を聞いた時から、さらに絶望的な気持ちになったりもした。

辞めるんだからこれ以上何もいただいてはいけないと思っていたけど、結局それも全部話してしまって、大泣きしてしまった。でも、「あなたが気に病むことはない。大変だけどこのセンターを良くしようねってみんなで話してるよ」って話をされて、「そっか。そうだよな。みんな大人なんだ。」と思った。
みんな自分で決めて今があって、誰が辞めようと人が減ろうと、ここにいるって決めている人が残っている。みんなはみんな、わたしはわたし、わたしが勝手に悪く見ることじゃない。そしてわたしがそんなふうに思うのは、やっぱり仕事として自分が負担するべき仕事を負担するって感覚でやってたからだ、とも気づいた。

すぐにやめる人はコストだって話をしている先輩がいたのも本当で、一人一人の仕事量がパツパツでつらそうな表情で働いてる先輩がいたことも本当だけど、それでも、みんな、わたしも、大人なんだ。
誰も頼らず頼らせずっていう個人主義的な意味じゃなくて、根底はみんな自分の人生を生きるんだってことがちょっとわかった気がした。本当に身体の感覚みたいにリアルに、心からひとつ石が消えたみたいに感じた。本当の意味で、学んだということかも。

夜中はやっぱり眠れなかったけど、伊藤沙莉ちゃんと松岡茉優ちゃんの「お互いさまっす」を聴いてほんとに元気が出る。

4月25日(木)

夕方、団地のすきまを歩くと
お風呂の匂い、みそ汁の匂い、花の匂い
いろんな匂いがおなじ光のなかにある

シャワーの音も子どもの足音も、だれかがそこにいる気配も
おなじ風に吹かれてる

家にいると寂しくて不安でなんにも持っていないって気分になるのに
外に出て、風に吹かれて木がきらきらしているのを見ると、なんにもいらないって気持ちになる。

ホームステイさせてもらうのに、超絶お世話になっているファミリーのみなさんと連絡をとった。
みんな忙しいのに、やらなきゃいけないことじゃないのに、こんなにやりとりしてもらって、たのしい時間が待ってるって思うと、本当にありがたい。

立ち止まってると苦しいから、とにかく今すぐにできることからする。

🌷
会いたい人に連絡できた。温かくOKしてくれた。バスの予約した。こんな気持ちいい日に散歩できた。やりたかったマガジン整理もできた。

本当に寂しい。ちょっと一人の日々が長引きすぎた。ごはん食べるときも、立ち上がる時も、ずっとつらい(笑)
でもつまりもう十分休めたんだ。今日やれることはやった。これ以上いくと寂しくて死んじゃう境地に達しそうなので、素直に連絡して、ほしい今をつくろうとしてる。


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