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2023/02/01の日記 『シンジケート』読書感想文

寝る直前になって「やっべ日記書いてない!!」と思い出し慌てて書いている。ほとんど目は閉じているけれど、書く。

今日は本をたくさん買った。4冊。
『シンジケート [新装版]』/穂村弘
『水上バス浅草行き』/岡本真帆
『ずっと読みたい 0才から100才の広告コピー』/WRITES PUBLISHING
それとONE PIECEの画集。

一冊一冊高いものばかり選んでしまったので、総額がえらいなことになりレジで「は?」みたいな顔をしてしまった。

今日は「シンジケート」だけ読んだ。本屋で手に入れてすぐに近くの喫茶店に行き、コーヒーを飲みながら読んだ。

本の装丁がすごく良い。

透明カバー
カバー下表紙には薄い銀インクで女の子が描かれている
背表紙に紙を貼らず、本そのものが見えている

すごい!と思う。ブックデザイナーは名久井直子さん。女性的なデザインが美しく、私の大好きなグラフィックデザイナーだ。
見ているだけで楽しい。ページの組み方が特殊なので、そっと開かないと壊れてしまいそうな危うさが本全体にある。これもデザインのうちなのだろうか。
他にも、内容に触れてしまうので紹介しきれない装丁の工夫がたくさんある。それは全て穂村弘のアイディアと世界観、名久井さんのデザイン、ヒグチユウコさんの魅力あるイラストが三位一体となって成されたものだ。全て良い。
良い本を見ると嬉しくなる。


「シンジケート」は、穂村弘のデビュー歌集だ。1990年に自費出版したのを、一昨年に新装版として講談社から発売された。ずっと欲しかった歌集だ。

終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
穂村弘『シンジケート[新装版]』p80
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
穂村弘『シンジケート[新装版]』p42

この2首が特に有名だ。知っている人も多くいると思う。
私は中学生の頃にこの二つの歌を知って衝撃を受け、それで「やられた」と思った。こんなにも日常にありふれた風景で、こんなにもすぐそばにある感情なのに、私はそれに気が付かなかった。くそ、やられたー。そう思った。
思えばあの「やられた」という感情こそが、今の文章を書くという趣味に繋がっているのかもしれない。自分のルーツのかなり近いところにある作品、それを生み出したのが穂村弘であり、それを世に放ったのがこの『シンジケート』なのだ。

1990年出版。
本書のうしろにある書評を読んで改めて分かったが、この本に収録されている歌はまさしく日本が一番まぶしい時に詠まれた歌たちだ。

『シンジケート』の中で、「光」「色」「恐怖」は繰り返しモチーフとして登場する。

眩しい光、人工物によって屈折された光、眩しい色彩、鮮やかな色、それに対比する青い海のような自然の色、漠然とした恐怖、漫然とした不安、実体を持たない希死念慮。
その全ては「あの時代」の日常のすぐそばにあったものなのだろう。

本の最後に書評を書いた高木源一郎は、“この本の短歌は「あの時代」と繋がる”と言っている。


私は「あの時代」を知らない。
けれど、この歌集を読んでいるとその空気を少しだけ感じ取ることができるような気がする。

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」
穂村弘『シンジケート[新装版]』p14

すごい歌だ。愛する人と子供を作って家庭を持つよりも、犯罪組織を作ってしまおう、と言うのだ。経済用語でもある「シンジケート」の意味を、下の句の「壁に向かって手をあげなさい」で【これは犯罪組織をつくる文脈で使っています】と明示しているのだ。すごい。

日本の未来は世界がうらやむようなものだった時代に、それでも一緒に犯罪者になろうと言う寂寥。ものがなしさ。それを感じる。そしてこの「シンジケート」を題名にする潔さ。凄い。

全然どうでも良い話だが、出版があと6年遅かったら「シンジケート」なんて題名の本は絶対に出せないだろうな、と思う。
90年代、「シンジケート」。地下鉄サリン事件のことを考えると、恐ろしいプロパガンダになりうる可能性を秘めた一首だと思わざるを得ない。


天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に
穂村弘『シンジケート[新装版]』p82

この「天使らのコンタクトレンズ」とは、多分エンジェルヘイローのことを指しているのだろう。裏切った者には透明で見えないエンジェルヘイローが降る。メルヘンで可愛らしいけれど、どこか無邪気な残酷さを感じられる。

言文一致の延長線上に詩歌の口語調があると思っている。それを踏まえると、この歌の「コンタクトレンズ」のようなありふれた名詞を使うことは、言文一致の延長線上のさらに向こうにあるもののように感じる。
今でこそ分かりやすい名詞・または固有名詞を使う短歌や詩は増えたけれども、やはりその経緯を考えれば穂村弘の功績は大きいなぁ、と思う。サバンナの象のうんこだなんて、当時の歌壇の先生方はどう思われたのだろうか。
詩歌の可能性は無限大だ。これからもっと新たな言文一致が広がっていくのだろう。人の言葉は変わっていくから、詩歌もそれに連なって変わっていく。それは言文一致の可能性だ。


2時間かけて、じっくり読んだ。あとがきにかえて紡がれた「ごーふる」も良かった。登場する菓子がゴーフルなのが、90年代という感じがして良い。


私が知らない「あの時代」、そして詩歌における言文一致の可能性の先を垣間見ることができる一冊だった。装丁から内容まで、全てが美しく、そして不思議な魅力に溢れる本でした。

最後に私のお気に入りの一首を引用して終わります。

街じゅうののら犬のせた観覧車あおいおそらをしずかにめぐる
穂村弘『シンジケート[新装版]』p82

想像できる図が可愛すぎる。

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