”成長”とはシステム1を更新することではないか

今日もふと考えたことを、書きます。

「成長しよう」とか「行動したら成長につながる」などという言葉を聞くようになりました。
ここでいう”成長”とは、なんですか?と聞かれたら、なんと答えるでしょうか。現実の生活でもよく聞くのですが、ほとんどの人があまり深く定義して使っていなさそうだなというのが印象です。

自分の場合は、システム1を改めることだと考えています。
システム1とは、ダニエル・カーネマンが提唱した、思考の作法を分ける呼称です。自動的で労力を必要としない、迅速な意思決定を担当する認知を指します。何かを長時間考えることなく、反射的に反応する役割を果たしています。日常生活の大部分を処理しているのがシステム1です。

私たちの生活における膨大な数(諸説あると思いますが)の意思決定は、多くは無意識的に処理されないと、物事が進みません。
例えば、朝起きてすぐ起き上がるか、何を飲むか、何を話すか、車を運転するときに注意を払う場所の見極め、運動するかサボるかなどなど。

何かを変える決心をして計画すれば、自分は変われるし、能力は上がるんだと考えてしまいがちですが、本当はもっと複雑に「無意識の束」が絡み合っていると考える方が自然だと思います。だから、例えば運動をしようと計画して、何度かやってみても、すぐに元に戻ってしまうことは、誰にでもあるでしょう。

元に戻ってしまうのは、計画が悪かっただけではない、「これまでの自分」のシステム1に絡みついているパターン認識と反応の癖が邪魔しているというのがしっくりきます。

成長とは、このシステム1の無意識の束を、丁寧にほぐす必要があるのだと考えています。つまり、自分の無意識で、選択している事柄をできるだけ、言葉で捉える訓練が必要だということです。

言葉で、自分の意思決定の一部を、何度も何度もとらえて、また言葉で理解して初めて、自分のシステム1の重みづけに残ってくる。
それを積み重ねる先に、ようやく”成長”があるのではないかと、今のところ考えています。

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