決断を少しだけ楽にできるかもしれない考え方

なにかを決めるときに考えると少し楽になる方法はないか試行錯誤している
ので、考えたことを書いておきます。

決断すること、決めることがあまり得意ではない。
なぜだろうといつも思う。
たぶん、原因としてはざっくり下記のようなものになると思う。

・ベストな決断があると思ってしまう
近年は決断前に得られる、もしくは知覚できる選択肢と情報がめっちゃ増えた。たとえば旅行に行くとしても、移動手段は無限にあるし、こっちのサイトで予約した方がお得なのではとか、もっといい場所があるのではなど、疑心暗鬼になる場面が結構あると思う。可能性が無限にあるのではと思ってしまう。
決めるとはなにかを捨てること。すなわち引き算で考える必要があると考えた方が気が楽である。すべてを実現することはほぼできないと先に思っておくこと。そしてその後の修正はいつでも可能だと思っておく。
たとえば、旅行に行った先で、時間が足りなかったと思えば、またそこに行けばいいだけの話だ。計画がダメだったと思うより、それくらい感情が動く場所に行けたことを喜ぶべきだろう。

・タイミングが違うのではと思ってしまう
これも上記と似ているのだけど、なんとなく今ではないのではという疑心暗鬼が起こることがある。でもほとんどの場合、ちょっとめんどくさいとか、脳の現状維持性質が勝っているだけのことが多いと体感的に思う。
次のタイミングはないかもしれないと思うこと、今しないで実現しないと後悔するかもと思うこと。これを考えるだけで、少し自分の背中を押せるはず。「夜と霧」のフランクルがたとえた、人生は砂時計というのを思い出したい。落ちた砂粒は、もう今に戻れないのだ。

・周りの目やちょっとした妄想がつきまとう
これを決めるとこう思われるんじゃないかとか、自分がこれまでと変わってしまったと他者から思われるのではみたいなも感情や思考が湧くことがある。心配事の9割以上は起きないと心の片隅においておくが有効だと思う。

・価格と価値の見極めが難しい
市場経済の中を生きているので、ほとんどのモノやサービスに価格がついているのが普通の状態で生活している。だが、価格とは売り手が便宜的に価値を数値化したものに過ぎない。
価値とは本人がどれくらい満足したかという主観的なものである。
だから、価格は他者の基準であり、価値を決めるのは自分しかいないんだと思っておくこと大事である。
自分がどう感じるか、主観的にどれくらい満足感や価値があるか、基準の分離を意識して、自分の主観的基準にもっと敏感になること。価値とは他者が決めれるものではないことを思い出すこと重要。

・そもそも具体的な5W1Hなどの思考が苦手
こういう人も一定数いると思う。
普段の生活環境で、具体の次元をきちんと言語化せず、無意識に決めていると、なかなか決めることができない。
普段から判断の基準を決める練習をするといいと思う。

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