「価値」は文脈次第。

ここ最近の話で、株式市場では日本見直し論みたいな話を聞くようになりました。特にウォーレンバフェットさんの投資を皮切りにした、日本への注目はかなり顕著でしょう。

これをみて感じることは、本当に価値なんてコロッと変わってしまうんだなということです。あれ、これまで「変われない日本、ヤバイぞ!」な〜んて言ってませんでしっけ??

でも、いまは日本の安定性、つまり政治はほとんど安定していてゆっくりしか変化しない、行政も安定的に運営されているし、革命やデモが起きず社会的な変化も劇的ではない、というのが価値になってきていると。インフレは他国よりゆるやかに収まっている、マスコミがやばいんじゃないかと騒いでも、銀行からお金が引き出されることはあまりない。金利は乱高下しない。
アメリカでは、政治的に分断が起こり、もう経済的にも2局化してとなると、安定した生活基盤があることが、価値になってしまった。

要するに、価値は相対的に文脈に依存して決まる。
価値を考えるときに、モノやコトそのものの価値を捉えようとする試みは、たぶん一面しか捉えれていないと考えた方が良さそうだと思います。B面も捉えるには、そのものを取り囲っている文脈を把握する試みの方が重要かもしれない。

本当に、誰かのいうことを聞いておくって、実際には当てにならんことも多いし、識者の言っていることも実は10年経ったら全然ちゃうやんってことがけっこう起こるなという印象です。
だから、本当に自分の感性とか思考でいろいろと選択しておかないとヤバイんじゃないかと思う次第です。

なんとなくの感覚で、10年すればだいぶ変わるなという感じですが、8〜9年は潜伏期で少しづつマグマのように潜っていて、1〜2年で一気に変わるみたいイメージかなと、最近は思っています。

長いスパンで考えると、今では役に立たないようなことでも、いきなり価値になったりすることはあり得ると、実感を持って今回の変化は捉えることができるのではないでしょうか。

あんまり社会のマジョリティにいることだったり、コスパ的にといった判断基準だけでなく、今はまったく役に立ちそうもないことでも好きで探求している、みたいことは、かなり重要なのではと感じています。

ショートタームで取り組むのも必要ですが、あんまりコスパとか考えず長く好きで取り組めることを、楽しんでやっていくことが、身を助けることにつながるの可能性も思考の中に入れておかないなと思っています。

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