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言葉がお洒落な人になりたい

タイトルを読んで、向田邦子さんの『おしゃれの流儀』という作品が頭に浮かんだ人と私はお話がしたい。そうでなかった人もぜひこの作品の魅力に出会ってほしい。以下に私が特にときめいた「ことば」を一部引用させていただく。

自分に似合う、自分を引き立てる
セーターや口紅を選ぶように、
ことばも選んでみたらどうだろう。
ことばのお洒落は、ファッションのように
遠目で人を引きつけはしない。
無料で手に入る最高のアクセサリーである。
流行もなく、一生使えるお得な「品」である。
ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、
身につけるには努力がいる。
本を読む、流行語を使わない、人真似をしない。
何でもいいから手近なところから始めたらどうだろう。

向田邦子『おしゃれの流儀』


なんて素敵なエッセイなんだろう。ブラジルにて留学生活を過ごしている今、このメッセージはとても心に響く。いくら何カ国語も流暢に話せるからといっても、中身が空っぽの人間だったら何も意味がない。つまり語彙や知識を増やす努力を積み重ねなければならないということ。「言葉」は「思考」から導き出されるものであり、取り繕ってかっこつけても表面的で薄っぺらい人、とされるだけである。お金で買えないからこそ、努力がいちばん光る場所であり、その人自身を物語ってくれる「言葉」。言葉選びが上手な人って話して面白いし、周りの人を惹きつける魅力があると思うし、そんな素敵な人を私は人生のパートナーに選びたい。

ここで、「言語はコミュニケーションのツールにすぎない」という価値観についても少し考えたい。考えれば考えるほど思考が複雑になってくるが、「言葉を選ぶ」と聞くと、思考と言語が切り離されているような、二元論的な感じがしてしまう。確かに、英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語…というように言語を切り替えることができるため、母国語での思考(思考を非母国語でできる人も中にはいるが)を他の言語にあてはめてしまえばよい、と思うのも仕方がないことのように思う。しかし、その「思考」も言葉を通して行われており、文章を書く材料やコミュニケーションの材料は自分の中の知識や語彙から取ってこなければならない。

結局いろんな経験をして、いろいろ考えて、日々学びを積み重ねてる人は強い。「ブラジル・ポルトガル語」という新たな言語世界を通して、日本語の不完全で未完成な曖昧さを客観的に見つめ直すことが増えた。教科書の例文や翻訳機能のような無機質な言葉を通してではなく、自分の感情や相手の様子などあらゆる要素が絡みあって言葉が形成される。異文化に触れることで、知識や経験も増え、より多角的で深い思考ができるようになった実感もある。考えたことを積極的にブラジル人にポルトガル語で伝える機会も作っているし、こうやってnoteに不器用ながらも言語化してみるのもとてもいい練習だと思う。

noteを初めてまだ一週間ちょっとだが、世の中には読んでいて気持ちよくなるような言葉選びをする人で溢れているなあと感心する。今まで腑に落ちなかったことが、パッと目の前が明るくなったかのように、上手に言語化してくれるんだもの。本当にすごい。私も文章が上手な人になりたい、思慮深くて上品な女性でありたい。そう思うとなんでも頑張れる気がする。向田邦子さんのメッセージを強く刻んで残りの留学生活を楽しもうと思う。


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