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よく生きるために働くということ

岸見一郎さんの本が目に留まれば極力手に取っています。
「嫌われる勇気」が有名ですが、岸見一郎さん自身の生い立ちが語られている言葉が自分に重なるんです。

働く人である目線と家族という視点がいい意味でごちゃまぜになっているのが良くて、ビジネスパーソンとしての在り方と親としての成長って同期するものなんだと思いますね

お気に入りの小説家やアーティスト以外に、マイ心理学者・哲学者を作っておくと良いなと。今も河合隼雄さんの本はよく手に取ります。

今回も本の中で気になったワードを網掛けにして、なぜその言葉が響いたのかを解説していきます。

「私は自分に価値があると思える時にだけ勇気が持てる」

自分に価値があると思えるために働く


仕事を変えるのは…「飽きっぽい」のではなく「決断力」があると見てもいいのです。

批評を求めることはやめるための一言。他人の評価を気にしない

「あなたの夜のもっとも静かな時間に、私は書かずにいられないのか、と自分にたずねなさい」

オーストリアの詩人リルケ

他者を喜ばせることを始めたら、「自分が役に立ち、価値があると感じられるように」なります。

何をするかは大きな問題ではなく、貢献感を持てる仕事であればいいことになります。

今日働けるのであれば、今日は働こうという暗黙の理解ができていたからです。…「働かざる者食うべからず」というようなことを偉そうにいう社会よりは、よほど健全な社会だと私は思いました。


schoolの意味は「閑暇」


schoolは古代ギリシャ語のschole(スコレー)が語源で意味は「閑暇」。「忙しい学校」というのは形容矛盾になります。

言葉の本来の意味をとらえるのって大事ですよね。
時代によって言葉の意味は変わるものでもありますが、もともとの意味に立ち返ってみると新たな発見があるものです。


自分との関係の中で部下が失敗を繰り返す「選択」をあえてしているのかもしれないと考えてみることが、部下の問題を解決する一つの突破口になります。

ほめるというのは、能力がある人が能力のない人に上から下す評価の言葉なのです。


自分が仕事をすることで共同体(職場)に役立っていると感じられれば、自分に価値があると思えます。自分に価値があると思えれば、対人関係の中に入っていく勇気が持てるのです。

貢献感は誰かから与えられるものではなく、ただ自分が感じるものであって、貢献感を持つことを誰かから(今の場合は上司から)強制されるようなものではないからです。

「もしもあなたが答えなかったら、あなたがどこがわからないのかわかりません。私の教え方に問題があって答えられないということもあります。当然、答えが間違っていたら間違いといいますが、それはあなたの人格についていっているのではない。できない学生だと評価するということはありません」

上司と部下は「同じ」ではないが、ただ役割が違うだけであり、人間としては対等であることを部下に説明しなければなりません。

理不尽に叱る上司は仕事では自分には能力がないことを知っているからです。


この「上司」は親にも当てはまると思います、特に父親。理不尽に叱る父親は・・・さらにそうなんじゃないかと。

彼らは上司から叱られたから力を伸ばせたのではなく、上司から叱られたにもかかわらず力を伸ばせたというのが本当です。

職場は誰かが変われば必ず変わります。その「誰か」はあなたです。


行き詰まったのであれば、そこで決断し直せばいいだけです。

仕事は自分を犠牲として誰かに尽くすことではありません。


「灰色の陰鬱な日々に耐えることが出来なくてはならない。というのは、価値ある事が発酵し、結晶するのは、こういう単調な時間を忍耐強く辛抱することを通してなのだから」

森有正「砂漠に向かって」

今を楽しめる仕事というのは、楽な仕事であるということではありません。ちょうど自分に価値があると思い、そんな自分を好きだと思えるためには、自分が誰かに何らかの形で役立っている、貢献していると思える。


岸見一郎さんの感想は以下にもあるのでよかったら。










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