いいわけさがし
そうだ、30km走ろう。
週の半ばくらいにふと思い立った。目的は4月に予定しているハーフマラソンの自己記録更新のため。最近は15kmを過ぎると弱い自分が出てきてしまう(=失速してしまう)からストレッチするために目標が必要だと考えたのです。
「ストレッチ」とは、「引き伸ばし」という意味で、個人や組織の成長を促進するために、手を伸ばせば届くレベルではなく、背伸びをしないと届かない高い目標をあえて設定し、その実現に取り組むことをいいます。by人事労務用語辞典
マラソンを始めて自己肯定の場と時間ができた。元来負けず嫌いな性格が幸いして、日々それなりのタイムを意識して、10kmマラソンでは見事(?)に44位になった。40代になって、何かしらに「抗う楽しさ」を持つことで人生は変わってくるのではないかと思っている。楽しんで抗える趣味があれば生きていける。逆になければ人生は味気ないものになるだろう。
「言い訳探し」のはじまりはじまり
直近の目標は決まった。しかしいざ、週末の決行までは走らない理由ばかりを考えている自分がいた。天気・気温から、はたまた最近流行のウィルスから芸能人の不倫まで、ありとあらゆることを「やらない言い訳」に繋げる悪魔の自分。
それでもプロ野球キャンプで必死にノックのボールを追う選手や東京五輪を目指すマラソン大会を自分に投影して走り出す。別に誰かが応援してくれるわけでもない。信じるべき己でさえ、悪魔の自分が「やめた方がいい。今なら辞められるぞ!」と囁ている。30kmの一歩目を踏み出すまで葛藤なのだ。その葛藤の面倒くささが邪魔をする。
さて結果はと言うと・・・見事に20kmでリタイヤした。あえてランアプリにも嫌味たっぷりのタイトルに差し替えてやった。弱い自分へのせめてもの戒めだ。
17km付近から猛烈な右膝の痛みと左足の痙攣。最低ラインと決めた20kmは走り切ったがカラダがレフェリーストップをかけたのだ。もちろん誰も自分を非難しないしガッカリもしない。自分が勝手に決めて勝手に走り出し、勝手にリタイヤしただけ。
走ることで削ぎ落されていく「考え」
リタイヤしたとはいえ、走っているときの脳内変化はけっこう楽しい。走りだしてまず考えているのは「どうしたら足を止められるか」。この期に及んでまだ走らない理由、言い訳ゾンビが次々と沿道を埋め尽くす。それでも5kmくらいを過ぎてくるとゾンビは居なくなり、いいわけの霧が晴れていく感覚がやってくる。いいわけと一緒に日々の嫌なことも消滅していく。走りきるというゴールに向かって一点集中できるのだ。自分にはいらぬ雑念が多いかが分かる。
誰かのせいにしない、言い訳探しをしないための習慣
ランナー村上春樹はエッセイでこんなことを言っている。
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。 悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
腹が立った分、自分に当たるために走るという村上春樹の「やれやれ走り」を実践しているわけだが、走っているときにブログのタイトルを考えるのもけっこう楽しい。
今回のブログのタイトルは最初「やらない言い訳さがし」から始まり、走り終える直前に「やらない」は不要だから「いいわけさがし」に確定した。脳内ミュージックはもちろんまちがいさがしだ。
君の目が貫いた 僕の胸を真っすぐ その日から何もかも変わり果てた気がした 風に飛ばされそうな 深い春の隅で 退屈なくらいに何気なく傍にいて
20kmで足が止まった瞬間、リタイヤするのを見ているのは自分と夜空の月だけだった。リタイヤした自分は風に飛ばされそうな浅い冬の隅で足を引きずっていた。
「なにをやっているのやら…」誰かのために走っているのではない、自分の為だ。期待するのも失望するのも自分のため、自分の責任で走っている。誰かのせいにしないで成し遂げるのは難しい。でも難しいからこそ挑戦できるのだろう。
誰のせいにもしない、いいわけしないために自分に必要なのはマラソンなんだと気づいた20kmなのでした。
また明日走ることにしよう。いいわけを探す自分に抗いながら。
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