反抗期は親が成長するチャンス
「反抗期」って何?
今年、中学3年の長男が母親と寝るようになった。
その理由は
「寂しいから」
だそうだ。
普通中学生ともなれば、反抗期よろしく親はうざい存在になるのが定石。親と言わずあらゆる物事に不信感が芽生え、イライラする時期だと思う。盗んだバイクで走りだしたい、それが多感な時期というものだ。
多感:ちょっとしたことにも感情を動かされること。感じやすいこと。また、そのさま。(辞書より)
子と親の甘い関係
一般的な家庭では子が反抗期になる中で、我が家では様相が違う。
子が親に甘えられる、そんな関係が築けている。
それは子どもが発達障がいだからという理由とはちょっと違う。親子のコミュニケーション、信頼関係が堅持しているからだ。
正しくは親が子どもを注意深く観察しているからだ。
最近、ママ友の話を聞く限り同年代の子の反抗期に親は悩まされているようだ。反抗期は親が通る道といえば簡単だが本当にそうなのだろうか。
親の言いつけに疑問を抱くことなく従ってきた子どもは、親都合の物言いに気づいてきている。そんな気づきが反抗期に繋がっているのではないか。
「学校に行きなさい」
「塾に行きなさい」
「早く起きなさい」
「早く寝なさい」
親も悪気があって言いつけてきたわけではないから始末が悪い。子どもが言いつけを守るのだから、親だって子どものために正しいことを言ってきたのだと確信する。
学校に行くのが当たり前で育ってきた自分の親(子どもにとっては祖父祖母)が言ってきたことを、そのまま「なぞって」育てているわけだから何の疑問も抱かないのが自然ななりゆき。
親都合に気付き始める子どもたち
小学校高学年くらいになれば、子どもが親の言っていることが自己都合であるという事実に気付き始める。
「本当は学校に行きたくなかったのに」
「辛かった出来事があったのに、泣き言を言わせてくれなかった」
「言えなかった」が「聞いてくれなかった」
に変換され、子どもの親への見方は不信感に変わってしまう。
我慢を押し付けるツケの行方
基本生きていくには「我慢」が必要。でもその我慢の理由を親は子どもに説明できているだろうか。
説明できないのであれば「我慢」はさせる必要はないというのが私の家の持論。
だって無理して学校に行って、不登校になったら、万が一自殺したら誰が責任を取ってくれるの?
という話だ。少なくともそこまで我が家は追い込まれたからこそできる判断ではあるが、そこまでの事態になっていない家族にとっては「我慢」は親の当たり前で済ましてしまうのだろう。
緊急事態宣言による自粛の「我慢」。自粛による反抗期の影響は大丈夫だろうか。
間違っていたら「ごめんね」と言える関係
おそらく我が家に反抗期はないと思う。日々親子の会話に「反抗」が入り混じっているらだ。反抗を日常にすることが反抗期を防ぐ。
親子だからといって分かり合えるわけはない。生きてりゃ「反抗→対話」の繰り返しだ。
対話の中でも、親と子の関係が上下ではなく水平であることが大事。親だろうが子だろうが相手に対して「ごめんね」が言える関係。
親だって間違えることがある。間違えを認められる親を子どもは尊敬するのだ
子は間違えを認める親を尊敬する
長男が発達障がいの二次障害で入院したとき、病院で過ごす長男の誕生日に私は息子に謝った。
誕生日なのに病院で過ごさせてごめんな
これは私の心からの言葉だった。
誕生日は平日で仕事の終わりがけに病院に立ち寄ったのだが、子どもは仕事の後に病院に来てくれて、しかも謝る親に何を思ったのだろうか。
今思えばこの誕生日が私と子どもの関係を変えた分岐点。
反抗期の原因を深堀りするのは辛いことかもしれない。
でも親子の在り方を見直すいい機会とも言える。親子の関係は一生続くわけだから、失敗などない。失敗したと思うなら「ごめんね」といって関係修復すればいいだけの話。
親の「ごめんね」の勇気が親子の関係を修復させてくれる。
成長の一歩を踏み出すのは子ではなく親だ。
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