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親の宿題と旅の恩恵


絵日記の宿題がない2020年夏休み


8月某日、我が家は関東近郊の温泉宿へ旅をしてきました。昨今の情勢で旅すること自体リスクが付き纏いますが、正直言って我が子の「自粛疲れ」は限界。何かをする度に大人が眉を顰めていては、子どもは委縮してしまいます。ということで我が家のgotoはじまり、はじまり。

家族旅行の翌日、私は絵日記の宿題を済ませるよう子どもたちに伝えました。学校から絵日記の宿題がある前提で伝えたところ、衝撃の事実が発覚。

我が子:学校からは絵日記の宿題出ていないよ

なんでも今年の夏休みは短縮&自粛の影響で思い出作りができない(しない)家族がいるのを想定してか絵日記の宿題はないとのこと。地区によって異なるとは思いますが、学校側もいろいろ大変です。でも私は子どもたちが今年の夏の家族旅行をどう感じたか、純粋に知りたかったので絵日記の宿題を課しました。

こちらが長女(左)、次男(右)が書いた絵日記、ちなみに中2の長男は自宅を選択して悠々自適に過ごしました。


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私に課した夏の宿題


今回のnoteは言わば親の私にとっての夏の宿題。子どもたちに日記の宿題を課したのに、自身は何も書かないのは不平等だなと思い、ペンならぬキーボードを叩いているわけです。


普段の夏休みなら「家族サービス」よろしく、ひたすら渋滞の道を運転しているだけで許されたわけですが、今年はどう過ごしかの判断が必要です。自粛を続けるか、発散を選ぶか。goto自粛 or goto発散、どちらが正解かはきっと誰も分かりません。


「自粛」か「発散」の塩梅を決めるのが親の仕事


実家への帰省は控えましたが、「どこかへ行きたい」は抑えられないリクエストに応え、近場の温泉宿という決断に至りました。きっと子どもたちが声をあげていなければ、今年の我が家の家族旅行はなかったでしょう。旅を切望することで、親の判断という仕事を全うさせてくれた子どもに感謝です。

将来を振り返ったとき、コロナのせいで家族旅行ができなかったことが子どもたちに何かしら影響を与えていたのかもしれません。

あのとき〇〇ちゃんは■■に旅行していたのに、私の親はどこにも連れていってくれなかった。

親として家族を守るために選んだことも、子どもに伝わっていないのであれば、家族にとって2020年夏の思い出はツマラナイしか残らない。こんな不幸なことはありません。コロナのせい、政府のせい、何かのせいにする時間があるならば家族のことを考える時間に充てることが親の使命。


「旅ラン」は最高だという恩恵


さて家族旅行が決まったときに私が密かに楽しみにしていたのは旅ラン。去年から始めた走るという趣味が、在宅勤務によってランを中心とした生活に変わりました。これも私にとっては立派なカイゼン習慣。

宿へのチェックイン後の夕方と起床後早朝を狙って周辺を走ってきました。朝夕とそれぞれ1時間弱のランでしたが、自分に向き合う時間としてのランは至極の時間です。


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旅先の息吹は走ることを通じて肌で感じることができます。地元のひとたちに話しかけることはできないけど、ちょっとした勾配や街の商店の佇まいやひとびととすれ違うことで確かにそこにある生活を感じることができるのです。

走るという肉体的にも精神的にも研ぎ澄まされている状態だからこそ、ローカルにトリップできるのかもしれません。これは車ではきっと味わえない感覚。


次はどこを旅ランしようか


もともと今年の夏は旅の予定がなかったのですが、我が子のおかげで改めての旅の必要性を教えてもらう結果になりました。それが今年の私のとっての学び。子どもが書いた絵日記を眺めながら親として日々の人生という名の日記を記していかないと大事なことを忘れていってしまうのではないか。そんな学びのあった1泊2日でした。

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気に入ってもらえたら、子どものことを書いたマガジンやラン日記も読んでもらえるとうれしいです。


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