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作文と映画

先日、心が軽くなる魔法のような言葉を「授かった」ので、そのことを書きます。←冒頭から振りかぶってすみません。

私は作文がほんとに不得手です。(正確には、「不得手だった」かな?)

だから作文がキライ。(こちらも、「キライだった」かな?)

このことは小学生のころからのことで、演劇や読書感想文などとなれば地を這うように苦しんで苦しんだ挙句、400字詰め原稿用紙を無駄にひらがなで埋めまくっていました。作文アレルギーの方であれば、あるあるの一つではないかと思います。

こんな私もいまでは言葉を生業にして生活をしているため、作文は人生の土台。大人になってから、作文が圧倒的にできる方から指導を受けたり、自分でもさまざまな本を読んだりブログを始めたり、いろんな挑戦をしました。ようやく、スキではないけれど、キライまでではないかなというところまでは到達しました。

それでも、やっぱり、いざ作文をするという段になると肩に力が入るというか、緊張するというか、頭の中で整理整頓ができていないというか。簡単に言えば、書けなくなるんですね。なんとか書いたものも、どこかよそよそしい感じがしたり、自分が伝えたいこととは真逆のことになっていたりするんです。

そんな中、昨年12月から新たに「はてなブログ」にて投稿をはじめました。毎日書いていますが、好きなことを投稿しているので続けることができています。特に「ワンコメント・シネマ」という鑑賞した映画にワンコメントを付けるトピックが大好きです。劇場で鑑賞して気に入った作品を紹介。その魅力の核心に迫れるように、言葉をこねくり回してコメントを創り出します。これが鑑賞後の気持ちをスッキリと消化してくれているように感じます。映画によって言語は変えていて、日本語、英語、中国語、韓国語で書いています。

noteで映画のことを書くようになったのも、きっかけはそのはてなブログです。もっといろんな角度から映画を楽しめたり、映画好きの人たちと交流できたら楽しいだろうなと思ったからです。

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noteで投稿し始めて一週間ほどたったある朝のこと。私は普段あまり夢を見ません。でもその日は、目覚める直前にめずらしく夢を見ました。場面はあまり記憶にないのですが、人からある言葉をかけられたことははっきりと覚えていました。

「文章を書くのがうまいから書くのではない。書きたいことがあるから文章を書く」

起床してから、すぐにこの言葉を紙に書き留めました。その時は自分でも無意識でした。なぜこの言葉を書いたんだろうと思ったぐらいです。しばらくして、これは夢で言われた言葉なんだとわかりました。

その日はずっとこの言葉が心のどこかにあって、なぜか心の重しが取れていくように感じました。

それはnoteに文章を書いている時のこと。いつもなら作文をするとき迷ってしまうこともありますが、熟慮をしながらもプレッシャーを感じずに、どこか自分自身に素直に書けたように感じました。映画館で鑑賞することは、最高に楽しいことだよって。

文章が上手いとか、印象よく受け取られたいからではなくて、書きたいこと、伝えたいことがあるからこそ書くんだということを、今更ながらに掴めたように感じました。

いまも作文は上手ではありません。けれど、noteで大好きな映画のことが書けることが、とてもしあわせです。書きたいことがあるからこそ思う存分自分の言葉で伝えていきます。


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