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憧れの【怪物商人】について書いてみた

30日連続note更新チャレンジ18日目。

今日5月7日(土)は敬愛する実業家《大倉喜八郎》の半生について書かれた怪物商人の言葉をピックアップしたい。

喜八郎は、天保八年(一八三七年)九月二十四日に生まれた。生家は、地元の豪家だと言われているが、確かな記録はない。喜八郎は、鶴吉と呼ばれていた幼少の頃から、学問をさせてもらっていたことから推測すると、相当の資産家であったことは事実だろう。
「何をする?」  善次郎は、単刀直入に聞いた。「まだ、わからん。わからん。しかし、この胸の中を掻き毟られるような思いだけはある。この思いだけは確かだ」  喜八郎は、口角を引き上げ、薄く笑みを浮かべた。
「俺には、進むべき道が、間違いなく見えている。俺は、時代に食らいつき、食い破り、日本一の商人になる。きっとなってやる」
私は、商人であります。商人は商売が命で、相手はお客様しかございません。現金で品物をお買い上げいただけるのがお客様で、現金をお支払いいただけないのはお客様ではございません。それで自分たちに売らないのは不埒だ、怪しからんと申されましても、私にはさっぱり合点がいきません」
「武士は、哀れよのう。死ぬのが仕事だ。今まで永く太平の世が続いた。武士は、死ぬという仕事を忘れておった。今、やっとその役目を果たす時が来たのじゃが、それにしても哀れなものだ。死ねば、女子を抱くこともできぬ。それに引き換え、商人は生きるのが仕事だ。生きて、皆様のお役に立ち、その結果、利益をいただく。それだけ見ると武士の俸禄と同じではあるが、わしらは生きてお役に立つことが求められる。わしは、できるだけ長く生きて、この世に役立つ商人になってみせる。いずれ武士の世はなくなる。武士の世から商人の世になるのだ。わしの活躍の場は、大きく広がって行く。わしはもっともっと大きくなるぞ」
俺くらい覚悟を決めて商売に専念した奴はいないということだ。鉄砲屋は江戸に百以上もある。あまたある鉄砲屋で弘前藩の窮状を救うべく、命を張った奴はいるか。そして命を張った結果が上手く行った奴はいるか。いないだろう。俺には神仏の加護がついているし、その加護を受けるに相応しい度胸、機を見る力があるのよ。だから儲けたんだ。戦争は、鉄砲屋なら誰にでも平等に儲ける機会を与えた。しかし、その機会を生かせたのは俺だけだということだ。『敵を撃つ 鉄砲積んで その船を 仇の港へ 入れる大胆』だな」
「もう言うな。商人とはな、約束が命だ。約束を守らぬ人間は商人ではない。約束を守ることが信用になる。それが商人の土台だ。私は、朝鮮の人々に米麦を送ると約束をした。その約束をなんとしてでも果たさねばならない。その思いが大久保様に通じたのだ。大久保様は私を信用してくださった。それに応えるのは人間として当然だ」
商人とは足らずを埋めるのを生業にしている。あっちで余っているものを、足りないこっちに回しているんだ。世間では、ただそれだけで口銭を取っている不届き者が商人だと言う輩もいる。しかし足らずを埋めることも容易ではない。そう思わないか。
相手が必要としている物を知らなければならない。仕入先にはご迷惑がかからぬように早めにお支払いをして、信用をつけねばならない。できるだけ安く仕入れて、自分の利益は薄くとも相手が喜ぶ価格で提供しなければならない。その品物は、きっちりと相手に受け渡さねばならない。これだけの気遣いをして、やっと商人として一人前だ。

This is just the beginning🤗

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